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自彊百年史 (1926年~1950年)

1926年
(大正15年・昭和元年)

・新校舎竣工
6月、新校舎竣工。順次、講堂、図書館等完成、プール竣工

<新校舎>

・大正末期から学校教練が実施されるようになった
<学校教練>

1927年(昭和2年)

・全国中学校長会議 本校講堂にて開催

1928年(昭和3年)

・校舎新築落成式を挙行する

1929年(昭和4年)

・大朝甲子園野球大会で準決勝に進む

1930年(昭和5年) ・制服改訂
1931年(昭和6年)

・澪標園(二代目)
創立30周年記念事業として中庭に造成

<創立30周年記念二代目澪標園>
・同窓会発足 澪標会卒業生部会が独立して同窓会となる


<天体観測部>

1932年(昭和7年)

・同窓会第1回総会を自習室にて開催

1933年(昭和8年)

・市岡夜間中学校開設
・大阪府立夜間中学校開設許可(2月14日)
・開校式(5月5日)

1934年(昭和9年) ・9月21日、室戸台風のため校舎浸水(0.8m)


<授業風景>

1935年(昭和10年)

・保護者会創設総会開催

1936年(昭和11年)

・31期生記念植樹(アカシヤと支那桐を30数本)
・田龍会創設 夜間中学同窓会を田龍会と称す

1937年(昭和12年)

・坪井初代校長の胸像除幕式を挙行
・夜間中学第1回卒業式挙行

1938年(昭和13年)

・満朝旅行出発(7月20日~8月2日)

<英語の授業風景>


<職員室の風景>

1939年(昭和14年)

・補習科1学級増設、30学級に増加

1940年(昭和15年)

・紀元2600年奉祝式挙行

1941年(昭和16年)

・文部当局の命で澪標会は解散、報国団を組織し、部はすべて班と改称された

1942年(昭和17年)

・信太山養正道場にて宿泊訓練始まる

1943年(昭和18年)

・教育に関する戦時非常措置方策発表

1944年(昭和19年)

・4年生1、2、3組中100名勤労奉仕

1945年(昭和20年)

・3月、第一回空襲で木造校舎(澪標館、物理教室)焼失
・9月18日、枕崎台風のため校舎浸水し、今宮中学校を借りて授業(10月16日~11月6日)

1946年(昭和21年)

・市岡中学校新聞「みおつくし」第1号発刊

1947年(昭和22年)

・パネルディスカッション開催(男女共学の是非)

1948年(昭和23年)

・4月、学制改革に伴い大阪府立市岡高等学校となり、男女共学が実施され府立市岡高女・市立西華高女と生徒・職員交流した

1949年(昭和24年)

・高校第一回卒業式
3月、高校第一回卒業式(卒業生72名)
この卒業生は昭和18年に旧制市岡中学へ入学、昭和23年中学43期生として卒業、さらに1年間新制高校(3年)に学んだ人である


<高校第一期の卒業記念写真>
・講堂を改造、体育館に兼用

1950年(昭和25年)

・4月1日、市岡夜間中学校が大阪府立市岡高等学校定時制課程となる
・9月3日、ジェーン台風のため校舎浸水(1.5m)

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