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会長の挨拶

市岡110周年を見渡して
今は亡き先輩を含む2万5千人のOBの、心のよりどころとして

同窓会会長 佐藤 充利(高校8期)

  明治34年(1901年)大阪市西区(現在の港区)の片田舎に、大阪府立市岡中学校が産声をあげました。創立当時の校舎は西瓜畑の中にポツンと建っていた。木造の2階建て校舎でした。当時は「田舎の学校」と言われていました。近代化が進むなかであっても、明治維新後の喧噪から少し落ち着いた風情を楽しむ余裕が生まれていました。自由で闊達な気運の時代に開校した市岡中学がどう進むのか?どのような方法で教育を進めていくのか、今往時を振り返ると、不安と期待が入り交じって、複雑な思いで学校運営をしていたに違いありません。しかしこの片田舎の、名もない"市岡"という二文字を、全国津々浦々に、この名を知らしめることができたのは、先人の方々の努力と熱意と志があったからであります。


開校から10年の間に"自彊"の精神を支柱として、個性豊かな人間を育てる校風がほぼ確立した頃です。特筆すべきは、この期間に多くの有為な人材を様々な分野に送り出し、著名な先輩が世に出ました。この草創期の先輩たちの作り上げた基礎を、旧制中学20~30期の先輩たちが、大きく花を咲かせる"市岡ここにあり"を世に知らしめたのです。
時が流れて、戦後の教育改革により、新制高校へと変わり男女共学3年生になりました。それから約20年後"高校版学園闘争"が起こりました。高校ではそれまでに経験したことのない出来事でした。今から考えると、幼児の麻疹みたいなものでしたが時代の趨勢が生んだ、落とし子のようなものでした。このことが原因?か、市岡高校の地盤沈下が始まりました。昔日の伝統が薄れ行く感がありました。
そんな中にあっても、市岡の底力は残っていました。昭和62年と平成7年の春の甲子園(センバツ)に出場したのです。公立高校のハンデイを乗り越えた快挙でした。全OB及び関係者は燃え上がりました。実にうれしいことでした。そして平成13年(2001年)創立100周年を迎え、市岡の総力を結集して記念事業に取り組み、まず"市岡の森"の創設と同窓会館の建設。100周年記念誌の発刊、記念式典など実に大きな事業をすべて見事に成し遂げました。多くの方々の物心両面にわたる、暖かいご支援をいただき心から感謝しています。

その後10年の間の出来事と言えば本校が単位制へ移行したことです。この単位制に対する評価は、かなりの時間的経過が必要です。開校からの伝統として「自由と自彊の精神」という市岡独自の個性と豊かな発想力を併せ持った伝統を引き継いでほしいものです。
今は亡き先輩を含む2万5千人のOBの、心のよりどころとして、いつまでも母校市岡が元気であってほしいと心から願うものです。

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