同期会

市岡高校17期同窓会の幹事会(2024.12.1)

「12期の広場」2024年秋号のラインアップ

 10月神無月です。いつもなら「秋になりました。涼しい風が心地よいですね」などと書き出す所ですが、今夏の残暑の長さと厳しさからでしようか、すんなりその言葉がでてきません。実に酷い猛暑と残暑。加えての台風、竜巻、集中豪雨災害に落雷、南海トラフ地震警報など、身も心も休まりませんでしたね。インバウンド客が『日本は災害大国ですね』と言ったとそうですが、今更ながら、この先の日本列島とその四季はどうなるのかと不安が一層募ります。友人から『毎日、これでもかとの暑さ』とのメールがありました。前日の暑さに充分弱っているのに今日またその上を行く暑さになる状況はまさにその通りで、言い得ての妙があると考えてしまいました。
 この文章を中秋の名月を眺めながら書き始めました。『暑さ寒さも彼岸まで』のならい通り、ここに来て朝夕が秋色に変わり、残暑もあと少しのようです。
 10月がごく普通で、本格的な秋到来となるよう期待するばかりです。
 
 訃報です。
 6組の駒崎雅哉君が亡くなられました。4月中頃に脳梗塞を発症、その後入院治療をされておられましたが、そのかいもなく8月1日に亡くなられたとのことです。
 同窓会が始まったころ、「仕事は何してんのん」との質問に、笑いながら「大手家電メーカーに勤め、アフリカで電気炊飯器を売っている」と話してくれたのが今も鮮やかです。アフリカ、特に南アフリカは長かったようで、退職の直前はアメリカのシカゴ駐在だったと記憶しています。バイタリティー一杯、何事にもその探求心と行動力は一貫していました。退職後ピースボートに乗りさらに見聞を磨いたこと、長崎の生月島に単身移住したこと、原発再稼働反対の座り込みに参加していたとバッタリ出会い立ち飲みで話し込んだことなど、実に彼らしいと感じ入っています。酒も麻雀も強かったですね。
 また一人、得がたい学友が私たちのもとから去りました。慎んで哀悼の意を表し、ご冥福をお祈りいたします。合掌。 
 
 「12期の広場」2024年秋号のラインアップは「ひろばリバイバル」のみです。
 駒崎君を偲んで、「12期の広場」2012年12月号に投稿された『生月島漂流記』を再揚載します。ご覧ください。記事中の顔写真が不鮮明なため、ここに卒業アルバムの写真を貼り付けます。
 
1.『生月島漂流記 3年6組   駒崎 雅哉
以 上

ひろばリバイバル

生月島漂流記

6組 駒崎雅哉
(一)
 
50cmのコチをつり上げた。
 2001年9月11日の米国での事件を駐在先のシカゴで経験した私は、ひたすら米国旗を車の後ろに結び付け街中を走り回るアメリカ人を見てやるせ ない気持ちになった。つまりグローバリズムの名の下に世界中に害毒を振りまく米国に対するアラブ側の自爆攻撃に直面していささかの自省することもなく、自 国旗に自らの正当性を求めるアメリカ国民に暗澹とせざるを得なかった。同年12月に米国で定年退職を迎え、会社に残ることなく退社し、2003年ピース・ ボートにて世界1周し(途上計画していたイスラエル訪問は、紛争ぼっ発の為実現しなかったが)翌2004年5月より、橋で繋がった島としては、日本最西端 に位置する生月島での一人暮らしを始めた。

 家を出る経緯については、省略するが、当初は、鴨長明又は吉田兼好の生活スタイルが目的で「方丈記」と「徒然草」を持って出たものの爾来8年半、今や島の生活にドップリ浸かってしまいミイラ化している自分に呆れている。

(二)
 島での生活は、先ず歩くことから始めた。1日約2時間距離にして4~5キロ、春夏秋冬夫々に美しい景色の移り変わりを楽しんでいた。毎年9月の最終土日には、平戸ツーデイウオークが開催され全国から3千名程の参加者が有り、初日の土曜日にはこの島を歩くことに成っている。

 自炊の為料理も学んだ。この島の北端では、東シナ海と玄界灘が合流する為、多品種の魚が生息しており、毎日新鮮な魚を味わえるのが素晴らしい。やがて船外機付きのボートを買って釣を楽しみ、クエまで釣りあげた。4キロほどのクエにしては小形で在ったが、鍋にして食うと地元の漁師連中から「バカだなあ、アラ(クエ)ならキロ1万円で売れるのに」と揶揄された。島では娯楽の1部としての祭事が多い。春・夏・秋の祭礼には、必ず鯨が売りに出される。盆と正月には、若者の帰省が多い。全国の他の離島同様年年過疎化が進み、私が滞在した8年半で1/4の人口減と成った。最近では団塊の世代が定年を迎えUターンしてくるのと田舎暮らしにあこがれてのIターンも見られるが、人口流失のスピードにはとても追い付けない。

 しかも残念ながらこうした移入者に対して行政から何の生活支援も見られない。

(三)
 
島のバンド「デラ・ルンナ」のボーカルとして
「スタンド・バイ・ミー」を歌う
 そうした中での島おこし作業は、非常に難しい。存在するのは、美しい自然と古い因習位なもので、どちらも島おこしには余り役に立たない。それでも 私は永年止まったままに放置されていた風力発電の風車を動かす運動を個人的に、又行政と共にオランダ市民との交流、オランダ商館運営企画、ボランテァガイ ドと結構多忙な生活を送っていた。兎に角島おこしの為には、島外の人々にこの島の事を知ってもらうのが先決と考えての活動であった。




  生月島には、「古式捕鯨」と「カクレキリシタン」の二大伝統文化が有り、今も継承されているが、今後も守り継承し続けるには、新しい文化(血)との融合を 図る事によって初めて可能と成ろう。幸い宣伝の影響で最近は、関西からの観光客も増え、学生達の体験学習を通じて島の文化は、徐々に伝播しつつある。従い これからの課題は、I・Uターンの人々を如何に積極的に受け入れ共存するかである。

 私の場合、企業年金の減額により家賃が払えな くなり10月末で島を引き上げる結果と成ったが、もし行政からの何らかの支援が得られたならば、多分この島を終の棲家に出来たのでは・・・。しかし現在 は、一介の漂流者でしかなかった事を残念に思う。毎年税金と家賃を入れると120万円近く行政に支払っているにも拘わらず。

(四)
 
水耕栽培で甘いトマトを作る。
 カナダでグランプリを取った高倉健主演の最新映画「あなたへ」の舞台も生月島であったが、撮影に際し監督がこの島の港を見て余りにもコンクリート で近代化されているので急遽向かいの平戸に舞台を替えたと聞いている。ストーリーは、亡くなった妻の手紙により散骨する話だが、永年この島での暮らしにあ こがれやっと実現したものの二カ月でガンを発症し亡くなった奈良の友人も又私の義父母もここで散骨した。

 この島での漂流生活を終 え、新たな漂流生活を求める旅を続ける今年71歳の私も75歳に成れば断食修行を始めようと思っている。その目的は、自然死において西行法師の様にその到 来時期を感知したいからである。「願わくば桜の下で春死なん・・・・」の歌の通りに3月の満月の夜に死んだのは断食修行の結果と聞いている。


(五)
 引っ越しに際し全ての荷物を人に譲ったので、10年近く付き合った家具類が徐々に引き取られて行くのを見ているのは、寂しい。荷物だけでなく、身ぐるみも心さえも剥がれてゆく感じだ。考えるに次の世代に語り継ぐべき何物をも持ち合わせない現状に不安・恐怖を感じる今日この頃である。

 しかし唯一云えることは、原発だけは断じて子孫に残すべきでない。その為大阪にて毎週金曜日夕方6時から7時半まで関電本社前で叫んでいるので時間と興味のある方は合流下さい。待っています。(完)

17期同窓会幹事会のお知らせ

東京21期会を開きました。

2024年6月29日(土)神楽坂「木瓜の花」に9人が揃い、久々の楽しいひとときを過ごしました。今回は恒例の病気の話は余り出ず、珍しく夫婦間の微妙な言葉遣い、若かりし頃の亭主関白行為に女性陣からの一斉攻撃を受けたり、和気藹々の5時間あまりの同窓会でした。この「木瓜の花」での東京21期会は今回で10回近くになるのかな。今回は大阪から2名と関東地区の7名でしたが、次回はもっと多くの同胞に声をかけ旧交を温めればとおもいます。まずはご報告まで。
(二村 記)
写真左から
山田(野口)泰江、篠原博(大阪から)、田尾(中井)美子、中條隆一、竹本(伊藤)ミチ、二村(高谷)和義(大阪から)、中川卓志、梶井香樹、小川宜久

「12期の広場」 2024夏号のラインナップ

 7月、いよいよ夏です。この月は私の誕生月ですが、加齢に比例するように苦手度は募り、酷暑をどうしのぐかと身構えてしまいます。
紫陽花の さまざまに咲く 同じ株
(同級生の近況を思いつつ)
メディアは既に夏日や猛暑日が何日記録したとか、今夏は記録的な暑さになるとか、またそれに関わる熱中症対策など、はやし立てるがごとく繰り返して、すでに気分は盛夏の酷暑を想像してげんなり。温暖化を通り越しての“地球沸騰化”、身に危険な暑さになるのは間違いないようです。
 先日漸く関西その他の地方の梅雨入りが発表されました。今年の梅雨は「短期集中型」だそうです。先に梅雨入りした沖縄・九州ではすでに豪雨土砂被害が報道されており、今後更にそれを上回る災害が予想されるようですから、これまた気持ちが落ち込みますね。

 訃報です。5月15日、6組の武田博君が亡くなられました。武田君は同窓会発足以来の幹事さんで常に主要メンバーとして同窓会の活動に尽力してこられました。同窓会開催時に舞台正面に掲げる「大阪府立市岡高等学校第12期同窓会」の大きな横幕も制作から発注、完成まで武田君のご苦労で出来上がったものです。「12期の広場」にも投稿して頂きましたが、2012年7月号の「ジェーン台風の写真」は評判を呼びました。温厚で真っ直ぐ、優しい語り口と物腰、にこやかな笑顔は今も鮮やかです。また一人、私たちの側からいなくなりました。寂しさが身をつつみます。心から武田博君のご冥福をお祈りすると共にお知らせいたします。合掌。 
 さて「12期の広場」2024夏号のラインアップです。残念ながら今号の「巻頭コラム」「掲示板」は休稿です。「ひろばリバイバル」は、武田博君の「ジェーン台風の写真」(2012年7月号からの転載)です。彼を偲んでお読みください。
 
「12期の広場」2024夏号のラインアップ
1.巻頭コラム、及び、2.掲示板・・・(今号は休稿)
3.“ひろばリバイバル”
「The あの頃」 ジェーン台風の写真
(2012年7月号から)
6組 武田 博
以 上

ひろばリバイバル

「The あの頃」 ジェーン台風の写真

6組  武田 博

 今年、「福島区災害展」の開催にあわせて町内の方々から災害写真を集める機会がありました。

 その時に、私が親しくしていた方から頂いたのが、このジェーン台風時の写真です。

 私はその時は吉野小学校の3年生でした。その日は日曜日で学校は休みでした。2階の洗濯物を干す場所に通じる4畳半の部屋に3人の兄弟で震えながら外の風雨のビュービューと唸る音を聞きながら眺めていました。

現在の北港通りの写真です。左に「江成町」の住居表示が見えます。


 
左の写真でさらに西側を撮ったものです。玄関扉を横板で打ち付けていますが、如何に風が強かったかを示しています。
ジェ-ン台風の時は瓦が紙のようにペラペラと飛びガラス窓を壊しました。
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【高37期】2024年市岡高校37期生同窓会のご報告

 2024年4月27日(土)に37期生同窓会を開催しました。鶴崎先生、田野先生、河島先生をお招きし、1次会103名、2次会99名、3次会68名(1~3次会のいずれかに参加した方合計129名)が出席しました。
 1次会では、豪華賞品をゲットできる大じゃんけん大会、2次会は37期生同窓会恒例となったライブパフォーマンスで盛り上がりました。その後の3次会が終了したのは22時で、丸一日、高校時代の友との楽しい時間を過ごしました。
 37期生は、4年に一度、夏季オリンピックイヤーに同窓会を開催していますが、次回は、特別に還暦を記念する会として2年後の2026年に開催します。37期生の皆さま、どうぞ、お楽しみに!
(報告:市岡高校37期クラス会幹事・久米秀樹)
ANAクラウンプラザ大阪での1次会集合写真

市岡高校31期生同窓会のご報告

2024年5月11日(土)ホテルモントレ大阪において、31期生の同窓会を開催いたしました。
本来であれば、還暦を機に開催をする予定でしたが、新型コロナウィルスの影響でこれまで延期となっていました。
当日は、141名の同窓生と、当時担任をしていただいた5名の先生方、合計146名の参加を得て、3時間の本当に楽しいひと時を過ごすことができました。

 

市岡高校45期50歳birthday記念同窓会のお知らせ

開催日時 2024年6月22日(土) 18時〜
開催場所 スイスホテル南海 10階 ナンバー10
会費 8000円
二次会3000円(同会場でやります)
お問合わせ 09025944454 尾崎