12期の広場

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「12期の広場」2022新春号のラインアップ

 新年あけましておめでとうございます。今年も「12期の広場」を、どうぞよろしくお願い申し上げます。
 写真は、美しい日の出です。泉信也君が提供してくれ、榎本進明君がレイアウトしてくれました。新しい年のスタートにふさわしい写真で、元気が出ますね。何とか収まってほしいコロナ禍はまだ続きそうですが、めげずに頑張りましょう。
 
 さて、我が 「12期の広場」 2022年新春号のラインアップは以下の通りです。お楽しみ下さい。
 
 
1. 「あけましておめでとうございます」 ・・・・・・・・・・ 4組  酒井 八郎
2. 「12期の広場」の形式変更のお知らせ      
3. 「市岡の森」の記念植樹の「桜」 ・・・・・・・・・・ 7組 張 志朗

あけましておめでとうございます

12期同窓会代表幹事   酒井 八郎
 明けましておめでとうございます。
 丸2年のコロナ騒動の中、12期の皆様、どのように新年をお迎えでしょうか。感染者数が激減しているとは言え、オミクロン株による感染拡大の不安を抱えての正月ですが、新しいカレンダーを前にすれば、心もあらたになり、清々しい気持ちがあふれるものですね。わが家でも元日に家族がそろって、正月膳を囲み、今年一年の平穏無事を祈っています。
 平清盛が安芸の宮島から分社していただいた厳島神社が、わが家の近くにあり、兵庫の海がすぐそこにあった昔は、大灯篭の灯が海の交通の守り灯になっていたそうです。またすこし歩けば、楠木正成ゆかりの湊川神社があり、毎年初詣の人で大賑わいです。初日を浴びた晴れ着姿の家族づれが、本殿に手を合わせる姿に、新年は祈りから始まるものと、心が暖かくなります。
 あらためて、令和4年、同窓生皆様とご家族一同様のご健康ご多幸を、慎んでお祈り申し上げます。
 
 大阪での全体同窓会を終えたあと、早や4年が経ちます。さらにこの2年間は新型コロナの影響で、東京での12期会も開くことができず、関西から出かけての交流もなく、唯一、「12期の広場」が同窓生の共通項として活動を続けてまいりました。
 古希から始め傘寿、「12期の広場」は開設して満11年です。この節目を中締めにして、今年の夏号から形式を変更することになりました。これからは「掲示板」形式を主にして、引き続き12期生のパイプ役を担ってまいります。皆様のご投稿、引き続きよろしくお願いいたします。
 長年にわたり投稿してくださった皆様、支えて下さった読者の皆様、またHP委員の皆様に心からお礼申しあげます。同時に便宜をおはかりいただいたプリンティング・サービスの皆様に深く感謝申しあげます。
 
 今号でもふれていますが、昨年の秋、大阪の舞洲、「市岡の森」へ記念植樹した桜の木の「銘板」を取り付けに行ってきました。記念碑の前の「卒業50周年植樹」の桜は「病」のため、腰の高さで切断されていましたが、まだ頑張っています。「母校創立100周年植樹」は、周辺が草ぼうぼうで特定できませんでした。残念なことです。母校南門(私たちが通学していた頃の正門)横に記念植樹したツバキは、昨秋も花を咲かせてくれました。母校へお立ち寄りの際は、一度ご覧ください。
 
 毎日南門をくぐって母校に通っていた頃、市岡高校には個性豊かな先生方がおられ、生意気な私たちを感性豊かに育てていただいたと思っています。
 「スバル座」で「道」を映画鑑賞したことがありました。ジェルソミーナが男に捨てられ、男が去っていくシーン。神澤先生は国語の時間に「なぜ彼女はあのような手の振り方をしたのか」を解説して下さいました。皆さん、憶えておられますか。「人を愛することの大切さ」をあの場面を想いうかべながら、先生の解説を通して教えていただいたと思っています。
 わが家の屋上のプランターに、昨年たくさんの小菊が咲きました。そのちいさな白い花びらが、一枚一枚、まだ元気なのに少しずつ、薄紫に色を変え、見る者の目を楽しませてくれました。
12期の私たちも80代。元気でありたいと願いつつ、つつましく、鮮やかに咲く小さな花に、わが身を重ねあわせてしまいます。
アイルランド民謡で、賛美歌にもなった歌が好きなのでここにご紹介します。
 
春の日の花と輝く うるわしき姿の
いつしかにあせてうつろう 世の冬は来るとも
わが心は変わる日なく おん身をば慕いて
愛はなお緑いろ濃く わが胸に生くべし
 
若き日の頬は清らに わずらいの影なく
おん身今あでにうるわし されどおもあせても
わが心は変わる日なく おん身をば慕いて
ひまわりの陽をば 恋うごと とこしえに思わん
 

「12期の広場」の形式変更のお知らせ

 昨年の11月3日に「12期の広場」のHP委員会議をひらき、長年続けてきた「12期の広場」の今後のあり方について話し合いました。ここには関西のHP委員である、末廣訂君、川村浩一君、八島平玐君、張志朗君の4名が出席し、また酒井八郎君、古藤知代子さんが同席しました。東京在住のHP委員として泉信也君がおられますが、遠方であることから、関西のHP委員皆さんの考え方をまとめて、泉君に連絡してその意見を反映するようにしました。3日の会議の後、約2週間にわたり、基本方針と細部を全員とメールでやり取りをして、下記の内容をHP委員全体の総意とすることにしました。
 
  「12期の広場」は私たちが古希を迎えた2011年正月から始め、傘寿の今年で満11年続けたことになります。傘寿は節目であること、加齢に伴い投稿や編集に支障が出はじめていることなどから、「ラインアップ」と複数の投稿記事・レポートが掲載されてきた従来形式から、主な内容を「掲示板」形式に変え、今まで同様に季刊更新を続けることにします。基本方針はきまりましたが、細部は手探りの部分がまだあります。皆様とともに考え、適正化を目指したいと思っていますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 
 
 
―――  記  ―――
 
★「いつでも、どこでも、だれでも同窓会」の「12期の広場」は「掲示板」を主とした形式に変更する。 
 
  1. 「従来形」の「12期の広場」は、2022年4月の「春号」で終了する。
     
  2. 「従来形」の「12期の広場」の終了は、正月の「2022新春号」でお知らせする。
     
  3. 「春号」の後の「12期の広場」は季刊更新を続けるが、そのイメージは下図による。(各号の構成は、左図=従来、右図=今後)


     
  4. HP委員は留任とする。 
以      上

「市岡の森」の記念植樹の桜

7組   張 志朗
 ご存知の通り、大阪の舞洲の「市岡の森」に私たち12期生が植樹した桜の木が二本あります。一本は母校が創立100周年(2001年)を迎え植えたもの、もう一本は私たちが母校卒業後、50年を迎えた年(2010年)に植えたものです。
 月日がたつのは早いもので、植樹してから一本は20年、もう一本は11年になり、恒例の市岡の森でのお花見では他の期の皆さんが植えられた桜の木とともに、爛漫の花を咲かせて私たちを楽しませてくれています。ここには12期も毎回20人前後の同級生がつどい、宴のひと時と桜の成長を楽しんでいました。
 2019年のお花見の時に、その桜の木の「銘板」が大風の影響か、なくなっていることが話題になり、「来年(2020年)のお花見の時に新しい銘板を取りつけよう」ということになりましたが、一昨年、昨年と新型コロナウイルス感染症の影響で、お花見は中止になり、折角あつらえた「銘板」も手持ちのままで、3年がすぎました。代表の酒井八郎君と担当の原清明君、古藤知代子さんはやきもきしていましたが、コロナ感染者数が少なくなった11月3日、午後に取りつけに行ってきました。
 当日、お世話頂いていた原君は、体調不良で欠席、酒井君、古藤さんと私の三人で出かけました。
 出かけて驚いたのは、目的地の桜の園一面が背丈1m程の雑草でびっしりと覆われていたことです。一寸呆然としました。“市岡の森の管理はどうなっているのか”などとぶつぶつ独り言を言いながら、まずは記念植樹の桜をさがし、雑草を切ることから始めることになりました。作業は1時間くらいで、汗びっしょりでした。幸いにも町内の公園で草取りになれている古藤さんが鎌を持ってきていたので、それがまさかの大活躍。また酒井君は手回し良く持参した作業服姿、私は平服。三人とも服は“ひっつき虫”だらけでした。
 残念ながら一本の桜は、枯れたのか、虫食いがあったのか添え木より上は切断されていました。(写真をご覧ください。右は2015年のお花見の記念写真で、植樹した桜の前です。)
ところがもう一本の桜が特定できません。当日は藤棚の前、通路横の桜に「銘板」を取り付けたのですが、帰宅後、酒井君が植樹時の写真と見比べてそうではないと判断し、改めて11月21日、「銘板」を取り外しに行ったそうです。結果的に酒井君と古藤さんは二回市岡の森を訪ねたわけです。
 今のところ、もう一本の記念植樹の桜が特定できていませんので、今年の市岡の森のお花見の時に12期の皆さんと一緒にもう一度、探すことになりました。  最近またぞろ、新型コロナウイルスの新たな変異株による世界的感染拡大が懸念されていますが、2022年の市岡の森のお花見が開催されることを期待するばかりです。是非、多くの12期同窓生が市岡の森に集まり、桜吹雪と、うまい酒と料理、なによりも楽しいおしゃべりを堪能して、成長した記念植樹の桜を愛でたいものです。

「12期の広場」2021秋号のラインアップ

 秋です。なによりありがたいことは涼しくなったことですね。散歩道の桜も葉が少なくなり、紅葉がはじまりましたし、街角のささやかな田んぼは黄金色、稲穂を重そうに揺らしています。空は高く、うろこ雲。街路に枯れ葉が舞います。秋本番はこれからです。行楽の秋、食欲の秋、スポーツの秋、芸術の秋等々、秋のキャッチフレーズはたくさんあります。しかし旅行や外食、はては外出もままならない今、そのどれを楽しむのもちょっとはばかられますが、山装う錦繡の秋だけは近場でなんとかしたいと思っています。
 
 世間は依然と騒がしく、コロナ禍は「緊急事態宣言」が解除されても先行き不透明です。首都圏の患者数の増減や病床逼迫、さらに三回目のワクチン接種、第6波への危機感などが注目されていますが、今や関西圏もそれを上回ろうかとの状態です。さすがに、「気軽に梅田や三宮へ」とはいきません。こう言う時だからこそなおさら、国のトップへの期待が高まります。ようやく岸田文雄自民党新総裁が決まりました。各論はあっても総裁イコール首相ですから、岸田新首相にはその役割を存分に果たしてほしいものです。引き続いて衆議院議員選挙です。巣ごもりのなか、選挙カーの大音響や各種メディアの選挙報道一色にうんざりするでしょうが、避けては通れません。人々に寄り添う政治家が一人でも多く選ばれることを期待するばかりです。
 
 傘寿をむかえて初めての今夏は、昨年とは全く異なり、筆者には実に「しんどい夏」でした。熱帯夜とそのほかのイライラが重なり、眠れない日が続くことがありました。思い立って埃だらけのラジカセを探し出し、久々にラジオを聴きました。これが意外に新鮮で、心休まるものでした。多くのテレビ番組の「てんこ盛り」の喧騒に比べて、シンプルに音声のみ。今はNHKの「ラジオ深夜便」が気に入っています。特に午前1時頃にある「世界各地の今日の天気と気温」が妙に楽しい。アナウンサーの言葉に聞きほれて、かえって更なる夜更かしになる時もありますが、概ねいつのまにか眠りに落ちているようです。テレビ映像に慣らされている筆者にもラジオの言葉が刺さることがあります。雑音の入らない新しいラジオを買おうと思っています。
 冷気が忍び寄ります。今日から敷布団にマットレス一枚を追加することにしました。
 
 さて我が「12期の広場」2021秋号のラインアップです。今号は3人の同窓生にお願いした「俳句」で、いずれも味わい深い句ばかりです。秋の夜長、じっくりとお楽しみください。掲載順は原稿の到着順としました。
 
1. 「街に住む ・・・・・・・・・・ 4組  児玉 恭子
2. 「年玉 ・・・・・・・・・・ 3組 西田 安男
3. 「秩父路 ・・・・・・・・・・ 5組 泉 信也
 

「街に住む」  4組 児玉 恭子

「年玉」  3組 西田 安男

「秩父路」   5組 泉 信也


 

「12期の広場 2021夏号のラインアップ」

 夏です。新型コロナウイルス禍中の二度目の夏です。コロナ禍が昨年の2月頃からですから、すでに16カ月以上。“突然の厄災”がこんなに長く続くとは思いもしませんでした。しかもその終息はいまだに予測できません。気持ちが落ち込んだままですね。こんな状態で夏本番を迎えていますが、はてさてどうなることかと先行きの心配で一杯です。
 先月、梅雨時というのに気温が30度を超え、猛暑日に近い真夏日が何日か続きました。また、関西地方は5月16日に異例の速さで梅雨入り、所が関東甲信越地方は6月14日、しかも例年に比べて1週間遅れの梅雨入りでした。気象庁には、さくらの開花や鶯の初鳴きなどの「生物気象観測」があり、あまりにも著しい季節感とのずれなどから、その対象と有用性について議論されていると聞きます。
 天候は思惑通りには行かないものと分かっているつもりですが、はや大乱調の気配、この夏も耐え難い暑さの予感です。ほどなく傘寿を迎える老骨の身にあれば、何が何でも穏やかで過ごしやすい盛夏であって欲しいと願うばかりです。
 
 同年代の方々とマスク越しにお話すると、もっぱらの話題は、ワクチン接種のことでした。「予約はできましたか」「どう予約しましたか」に始まり、「接種はいつですか」、「何ともありませんか」と続きます。筆者もようやく6月22日に、第1回目を受けることができました。振り返って見ますと、予約に執着していた頃は、さながらドタバタの「ワクチン予約狂騒曲」状態。6月中旬の「朝日歌壇」にあった『ワクチンの予約四日目昼頃につながりて「五月、六月終了しました」』(枚方市鍵山奈津江さん)には膝をうって同体験と、笑ってしまいました。煽られてはなるまいぞと戒めても、しょせんは凡人、焦燥と腹立たしさ、落胆の繰り返しに正直、疲れはてました。結局は息子に頼っての予約です。こんな話が笑い話になり、同窓生と思いっ切りおしゃべりし、食事とお酒が存分に楽しめる日が一日も早く訪れるようになってほしいものです。
 
 さて、いよいよ東京2020オリンピック・パラリンピックが開催されるようです。1年の延期に加えて新型コロナウイルスの感染爆発の不安と「不確定要素」を抱えての開催です。言いふらされた言葉ですが、オリンピックは世界の平和とスポーツの祝祭です。遅ればせながら、日本の代表選手も次々と決定し、メダルへの期待も高まります。しかし今回ほど権威主義や商業主義、政局がらみの政治的思惑があからさまになっての開催はないでしょう。それだけにアスリートたちの鍛え抜かれた心技体の発露とそれにまつわる人間ドラマがさらに輝きを増すことは間違いありません。それを楽しみに、また、オリンピック・パラリンピックの諸々を、しっかりと見届けたいと思っています。
 
 わが「12期の広場」2021夏号のラインアップは以下のとおりです。ご覧ください。
 
1. 「長引くコロナ禍の中で体験‣経験したこと」 ・・・・・・・・・・ 8組  末廣 訂
2. 「 4代・125年の家業 」-(2) ・・・・・・・・・・ 8組 林 榮作
以 上

長引くコロナ禍の中で体験‣経験したこと

8組  末廣 訂
 
 *長い巣ごもりを通して
 2020年の春先から降ってわいたようにマスコミで報道され、アッという間に世界にまん延したのが中国武漢から発したとされる新型コロナウイルスで、人々を不安のどん底に叩き落とした。
 今まで経験したことがないコロナ禍生活も、早1年半にもなる。当初は英国船籍のクルーズ船の横浜寄港云々から、オリンピック開催の延期、そして、志村けんさんの死去で、緊張感が高まった。
 アベノマスクは不評で税金の無駄使いに終わった。マイナンバーカードが使い物にならず、日本政府のIT化やデジタル化遅れを露呈してしまった。PCR検査が行き渡らず、政府は経済優先か感染対応優先か方針が定まらず、第1波、第2波と感染の山があったが、少し下がったところで、GO-TO キャンペーンといった旅行や食事にクーポン券を出し景気をあおるも、今年に入って、再度非常事態宣言が出され6月現在も続いている。
 今回のコロナ流行により、我々の生活が180度転換し、或いは全く経験したことのない世界に突入するきっかけが始まったように思う。
 その1つが、働き方。これまでの労働のあり方が大きく変わると思う。
テレワークという、会社に出勤しない自宅勤務で今まで通りの成果を上げる勤務形態である。これは、従来の様に会社は大きなオフィスが不要、便利で地価の高い都心部から空気のキレイな田舎に移転、従業員はワーケーションと称し、娯楽と仕事を上手くミックスして生活を楽しむことができる。次女の夫は、昨年初夏に東京単身勤務から大阪の自宅に戻り、遠隔操作でシステムエンジニアの仕事をしている。
 その2は、デジタル化、IT化というDX(デジタルトランスフォーメーション)の実現がますます進んでくる。 これはアナログという言葉からデジタル化という方向に向かうことで、例えば、オンライン会議、授業、採用試験、ペーパーレス化、遠隔医療と電子カルテ等、限りなく広がってくる。 70代の家内が音楽(オカリナ)のレッスンを受けているが、最近はオンラインに切り替えて自宅で練習をしている。
 昨年はコロナの中で、安倍首相の突然の辞任表明で菅新内閣の発足、東京五輪・パラリンピックの延期、そして大阪人には忘れられない「大阪都構想の再投票」で否決された。
 会社のOB会、同窓会や地域や仲間の会が中止、また、地元の夏祭りや諸行事が中止される中、300年以上続いて大阪府無形文化財に指定されている海老江八坂神社の宮座神事をこのような状況でどうするのか、たまたま今年の頭屋に当たっていた我が家は、コロナで神事の続行できるのか心配したが、座衆で話し合いした結果、松明行列や直会を中止して、饗料理のお供え神事のみを行って無事に終えることができた。また、中学1年生になる孫が古式の装束で参加してくれたのがよい思い出となった。
 2021年に入っても、一向に衰えることのないコロナの感染が新たな変異種・イギリス型、インド型になり、さらに拡大する勢いである。新型コロナの影響や問題を災難と受け取るか、或いは変化を上手く利用して「禍を転じて福と為す」という勝者になりうるかどうかが大きな分かれ目になると思う。
 人間の知恵と自然界の摂理とのせめぎあいが容易にはおさまらない巣ごもりの中で、いろいろ考えたことは、「人間生きている間は元気で頑張る」そして「自分のことは自分で守る」しかないなーと思ったことです。

 *糠喜びした「アメリカの小切手」とバイデン大統領の手紙
 今年の4月末のこと、住所、宛名が英語のレターが届いた。 早速開封してみると、1枚の小さな紙に名前、住所の右下のサインの上にどうやら1400ドル(約15万余円)を標記した小切手のようであり、それ以外は、何の説明書も入ってなかった。
 今頃、アメリカ合衆国から高額なプレゼントが日本に住む元駐在員に何故来たのだろうかと不思議に思ったので、早速NY在住35年のパナソニックで同期のT君にメールした。T君はここ1年ほど、コロナでN.Yに帰れず東京に居り、問い合わせをした折は小切手の件はすでに知っていた。
 T君は小切手に関して既に20件ほどの問い合わせを受けており、質問の内容は「これは一体何なのか・本当にもらえる資格があるのか・どのようにして円転換するのか等々」。何の説明文もないため、処理をどうしたらよいのか、困惑した様子が伝わってきた。
 T君から「今回の小切手は、米国民のコロナ対策の3回目の支給であり、米国以外の居住者にその受給資格があるのかが問題である」と助言があった。また「受給資格云々について、我々日本人は知らないので、しばらくキャッシュ化しないで、様子を見ること。小切手は1年間有効ですから」と、アドバイスがあった。その後、詳しい情報がないまま、小切手を受け取った人は、どのようにしてこの小切手を現金化できるのか、また円に転換できる銀行はどこか等々で右往左往したという情報も入ってきた。私もその1人で大阪駅前にある、旧シテイバンクに聞きに行くと、多くの人が来ており、係員に同じような質問していた。
 そうこうしていると、今度は「バイデン大統領」の手紙が届いたので、ますます混迷した。
 5月の中ごろになって、日経新聞や朝日新聞が小切手の件を大きくとりあげた。双方の記事の結論は「元米国駐在員に届いた小切手は、コロナ対策給付金を日本に誤送付」とあり、「永住権がなく換金は違法」との事。何とも人騒がせな今回の小切手で、「美味しいケーキを食べようと口を開けたら、夢だった」。
 ぼちぼち小切手の裏に「VOID」と書き、テキサス州のIRS当局に返送しようかと思っているところである。ただ、この件で、何年振りかで元米国駐在の旧友や、同僚達と電話やネットで情報交換ができ、お互いの近況が聞けたのがせめてもの救いであった。

 *コロナのワクチン接種
 日本のワクチン接種開始がもう2ヶ月早く始まっていれば、我々の日常の生活、経済活動、医療のひっ迫等がここまでひどい状態になっていなかったのではないかと思うのは、私1人だけではないでしょう。
 日本製のワクチンが近々できるという報道もあったが、結局外国メーカーのワクチンが届くのを待つしかなく、後手になってしまった。
 コロナワクチン接種を受ける場所が増えているのに、意外と予約に苦労した。 私の場合、係りつけ医者はあるが、年数回の受診では接種の対象とならず、大阪市から来たハガキにより、5月31日、朝9時から、パソコンと家内の携帯も利用して予約申し込みをした。
 パソコンの受付は最初から動かず、電話は2機とも通話中でかからず、時間のみ過ぎていった。そうこうしているうちに1時間近くたったので、家でテレワーク中の近所にいる長女に無理を言って来てもらい、やっと市の受付とつながったが、すでに地元の福島区民センターは満席でダメ、他の区の会場を探すもすでに埋まっていた。ただ幸い中央区の中央スポーツセンターのみ13日の午前中があいており、滑り込みでとれた。
 一方、家内の方は、係りつけ医者に5月中旬にたまたま薬をもらいに行った翌日が接種受付日で、すでに1回目の接種を終えている。近所の会社のオーナーさんは、従業員5-6名がパソコンをフル稼動して、国際会議場の予約を取ったとか、またある人は、お孫さんに頼んでとったとか、それぞれ苦労されているようだ。
 直近では、自衛隊の大型会場には、東京、大阪 以外の他府県の方も自由に申し込み可能になり、接種年齢も下げて、職場や大学をも対象に範囲を広げている。
 全国の感染者数はやや減る傾向にあるが、まだまだ予断を許さない状態で、早く希望者が接種でき、五輪オリンピックも、うまくいくよう祈るばかりである。
(ワクチン接種1回目の6月13日; 記)