自彊百年史 (1901年~1926年)

1901年(明治34年)

・創立
3月、大阪府告示六十号をもって大阪市西区市岡に大阪府第七中学校として設置(第一中学にて仮事務所を設置)
*この年、同時に二校設置(第八中:富田林、第一高等女学校:清水谷)


<創立当時の校舎>

・4月1日
大阪府市岡中学校と改称
校舎完成、新校舎に移転

・4月10日 始業式
・4月22日 授業開始
・6月3日 大阪府立市岡中学と改称
・6月12日 開校式 (この日を創立記念日としている)


<初代坪井仙二郎校長>

<開校来賓記念帖>

1902年(明治35年)

・澪標(校友会報)発刊

1903年(明治36年)

・はじめて豚汁会を開く

1904年(明治37年)

・第1回談話会を開く

1905年(明治38年)

・毎学期3回の臨時試験と1回の定期試験を行う

1906年(明治39年)

「送別の歌」
第一回卒業式に向けて当時の石川彌太郎校長の依頼を受け、一柳安二郎先生が作詞、大橋純二郎先生が作曲された。
・第一回卒業式
(卒業証書授与56名)「送別の歌」初めて歌われる

<第一期卒業生>

1907年(明治40年)

・第1回武術大会を開く

1908年(明治41年)

・本校にて府下中学校校長会議開催

1909年(明治42年)

・自彊会
5年生を中心に結成、校紀粛正にあたる

1910年(明治43年)

・生徒帽子白線二條を三條に改める

1911年(明治44年)

新校歌制定
開校十周年記念事業の一つとして校歌(現校歌)が制定された。 送別の歌同様石川校長の依頼を受けた一柳安二郎先生、大橋純二郎先生の作である。旧校歌は開校記念の歌として保存。


・澪標園
十周年記念事業の一つとして初代澪標園が造られる

<初代澪標園>

1912年
(明治45年・大正元年)

・教室増築 平屋建を2階建に改築

1913年(大正2年)

・生徒定員650名16学級に増加

1914年(大正3年)

・柔剣術を正課に編入

1915年(大正4年)

・市内4中学入学試験問題共通が各校独自になる

1916年(大正5年)

・夏の第二回全国大会に野球部準優勝

<野球部準優勝のメンバー>

1917年(大正6年)

・生徒定員800名18学級に増加

1918年(大正7年)

・豚汁会廃止

1919年(大正8年)

・土曜半休実施

1920年(大正9年)

・四校主催全国中学校庭球大会出場

1921年(大正10年)

・創立20周年記念式挙行

1922年(大正11年)

・登下校時のゲートル廃止

1923年(大正12年)

・制帽側章改訂

1924年(大正13年)

・校舎焼失
12月1日、夜半原因不明の出火により木造校舎の大半が灰燼に帰した。

<焼失した木造校舎>

1925年(大正14年)

・2年連続の落第者は訓示退学となる