お知らせ

2015年

【此花市岡会】「お花見」のご報告

此花市岡会  会長 西尾賢治
去る4月12日(日)に催したお花見の記録写真をご披露致しますので、ご覧下さい。
 
(さらに…)

【高26期】“26期3年6組還暦記念同窓会” 開催のお知らせ

来る、5月24日日曜日午後4時より、天神橋筋商店街の天神ポルポにて、26期3年6組還暦記念同窓会を開催いたします。
我々26期生、今年で還暦を迎えます。一昨年より毎年同窓会を開催し、旧友と親交を深めています。
担任の染川先生にも毎回お越しいただいています。
 

第26回兵庫市岡歩こう会のお知らせ

 今回は国宝姫路城とその周辺の散策です。
姫路城は9年前に一度行っていますが、平成の大修理を終えて「白過ぎ城」と言われるほど白さを取り戻し、初夏の日差しに映える大天守の姿を見に行きます。
 坂はありません。この機会にお気軽にご参加下さい。
( 記 )
開 催 日 5月31日(日)  雨天6月7日(日)
時   間
午前10時
集合場所
JR姫路駅 中央改札前
会   費
1,000円(通信費、写真代)及び
1,000円/1人(姫路城、好古園見学料)
そ の 他
弁当飲み物各自持参
経   路
姫路駅→姫路城(城内見学)→シロ トピア記念公園→好古園
→姫路商店 街で解散

尚、兵庫県以外在住の方も大歓迎です。是非お気軽に御参加下さい!!
出席の確認はしておりません。当日時間までに集合場所に御参集下さい。
 
昨年秋の歩こう会で多田神社へ行った際の集合写真です

会報誌「澪標」の発送と同窓会総会のお知らせ

市岡高校同窓会事務局

4月1日付で同窓会会報誌「澪標」を発送しましたのでお知らせ致します。

また来る6月14日に「同窓会総会・懇親会」を開催致します。
お忙しいところ恐縮ですが、万障お繰り合わせの上、是非ともご参加賜れますようお願い申し上げます。

開催要領の概略は下記の通りです。
参加ご希望の方は、会報誌に同封の返信用封筒、またはホームページ(下記)から申し込みをお願い致します。
(いずれも5月末必着でお願致します。)

日時 平成27年6月14日(日)
  総  会 11:30~12:00
  講  演 12:00~12:30
  懇親会 12:30~14:30
場所 リーガロイヤルNCB
  大阪市北区中之島6-2-27  中之島センターピル内2階 「松の間」
  電話: 06-6443-2251
会費 7,000円
講演 石田 英司氏(高校30期)

大阪市旭区出身の毎日放送(MBS)社員。元・報道局社会部デスクで、現在の役職は、制作局エグゼクティブ。
2014年7月現在、追手門学院大学の客員教授も務める。

ちちんぷいぷい(月~金曜日ニュース解説担当、
通称「ニュースのおっちゃん」)。
上智大卒。

催し物・食事のお知らせはこちら。

※ このホームページをご覧になった方で、4月初旬を過ぎても会誌が届かない場合は現住所が把握できていません。ホームページの「異動通知」をご利用の上、ご住所等の連絡先をお知らせ下さいますようお願い致します。

「12期の広場 」4月号のラインアップ

 桜が咲きました。こぶしも、モクレンも、ゆきやなぎも。空飛ぶ小鳥のさえずりさえもことさらに華やいで聞こえます。
散歩コースに咲く「こぶし」の花
(3/26 榎本進明君の撮影です。)

 見上げれば六甲の山並みは春霞の中。おまけに花粉までが飛んで、鼻がグスグス、目がかゆくなります。
 行きかう人の服装も実にカラフルになりました。若い女性のミニスカートに少しドッキリし、サラリーマンのワイシャツの白が陽光に映えて眩しいくらいです。昼休みの公園では歓声が上がり、陽だまりのベンチでのうたた寝姿もちらほら。一気に人や景色や時間までもが動き出したように思え、気持ちが浮き立つようです。すべてが生き生きとして見えるのが不思議で新鮮ですね。
 今日から4月、まぎれもない春、春、春です。
 正月が新しい年月の始まりとすれば、新しい季節の始まりはやはり春のようです。こうしてラインアップの文章をかいているせいか、春夏秋冬、以前に比べ季節の移り変わりに少しは関心をもつようになりました。そしていままではあまり意識しなかった四季とその移ろいの美しさや味わい、またそれらへの感興に自分でも驚く事が多くなりました。
 4月には新学年が始まり、多くの役所や会社でも新年度がはじまります。古い話を引っ張りだすと、私達が希望に胸ふくらませて市岡の門をくぐったのも4月です。
 母校の市岡高校が単位制の高校になって6年。今年度の母校受験志願者数は定員の1.42倍でその関門をクリアーした男女合わせて320名が、入学式を迎えます。内訳は男子が132名、女子が188名の女子生徒優位です。この傾向は最近ずっと続いていると聞いていますが、それでも今学年は男子生徒の比率が幾分改善されたそうです。
 『質実剛健』は男子生徒優位の言葉のように思いますが、旧制中学であったとの言も今や昔話のようで、クラブ活動で言えば、柔道部が部員一人で合気道部と一緒に練習しているとの話には硬派でならした同窓会の大先輩を含めて寂しいかぎりでしよう。
 しかし、明治34年(1901年)創立以来、114年の校歴をもつ母校に今年もまた新入生を迎えることができ、その新入生がたゆまない校歴に新しい足跡をきざむことを考えると素晴らしいの一言です。
 あふれるばかりの希望とひそやかな不安を胸に、新しい旅立ちに臨む70期生に心からのお祝い言葉とエールを送りたいと思います。

 さて「12期の広場 」4月号のラインアップは以下の通りです。お楽しみ下さい。
  1. 思い出を綴る  (3)」                  3組    石井 孝和
  2. お花見のお誘い」                    4組    酒井 八郎
  3. 豚汁会に行ってきました
 以  上

思い出を綴る (3) -就職試験-

 3組   石井 孝和

 学歴社会と言われていた時代、高校生活から次への進路を選ぶ時期を迎えていた。
“京大”を一時夢見たわたしは、一転、この頃、直接、社会に向かう道を選択した。「学問は、そのあとからでも・・・」と考えた。
 校内の廊下に100近くの求人企業を紹介した貼り紙がずらりと並べられ、その辺りは就職を志した生徒で混雑していた。企業ごとの貼り紙には、給料の額が記されていた。多くの企業が、月給8000円台から9000円台であった。中には1万円超の企業もみられた。NHKの朝の連続小説「マッサン」に登場したウイスキー製造会社「サントリー」当時の社名は「寿屋」をはじめ、「東洋レーヨン」今の「東レ」、「国際電信電話会社」現在の「KDD」それに「日本放送協会大阪中央放送局」などがその一例だ。
当時のNHK大阪中央局、前に懐かしい市電が走っています
この時「大阪中央放送局」がNHKだということを友達から知らされたことが後押しになって、受験日の異なる「東洋レーヨン」に続いて「大阪中央放送局」を受験することにした。
「東洋レーヨン」は、一次試験をパスしたあと、二次試験の面接の日が雨降りだった。
わたしは、通学の時と同じように学生服姿で黒の長靴をはいて、大阪・中之島の本社を訪れた。面接会場にあてられた部屋の外で順番を待っていたところ、「次の人」と呼ばれたので、学校で習った通り、ドアをノックして入って一瞬、後ずさりしそうな気分になった。部屋の床にじゅうたんが敷きつめられていたからだ。窓際に4~5人の面接者が座っていて「どうぞ」と声をかけられたので、そのまま“ガバガバゴソゴソ”と靴音を響かせて中央にポツンと置かれた椅子に腰をかけ、いくつかの質問を受け、それに答えた。しかし、面接する人たちの顔は、ややシルエット気味であるうえ、緊張して自分の顔もこわばっていたと思う。そんなことで、今になっては、何を質問されたか、さっぱり覚えがない。1週間ほど経って、家に「不合格」の通知が届いた。
 次に受験したのが大阪・東区馬場町にあった「大阪中央放送局」だった。
 一次試験は、50問あり、英語や数学などに混じり、時事問題があった。にが手の数学の問題も微分や積分などはなく、解け、49問までは“正解?”としたが、時事の問題の中で「去年、日本芸術院会員になった『日本画家のひがしやまかいい』を漢字で書きなさい」の問に対し、わたしは全く知らず、答えを放棄して試験場を出た。答えは「東山魁夷」であった。
就職試験でお名前を答えられなかった
東山画伯。平成5年に取材でお目にかかりそのことをお詫びしました
 東山魁夷画伯といえば、その後、文化勲章を受章し、10年かけて奈良・唐招提寺の障壁画の大作を完成させた昭和を代表する日本画家の一人といわれている。東山魁夷画伯とはそれから30年余り経った平成5年、兵庫県の姫路市立美術館で開かれた「東山魁夷展」の取材でお目にかかる機会があって、昔話になるが、わたしの“無知”を伝えると、画伯は「そりゃそうですよね。私ごときの者、知らなかったのはあたりまえですよ」と、この大家にして謙虚なことばが返ってきて驚いた。このとき画伯の温かく、やさしい人柄まで知ることができたことを、今も忘れていない。
 さて、もう一方“作文”のテーマは「わたしとテレビ」か「わたしとラジオ」のどちらかを選ぶものであった。
 NHKの統計によると、この年の2月末現在で、テレビの受信契約者数が400万を突破したそうだが、わたしの家にはまだテレビの受像機はなかった。そこでわたしは「わたしとラジオ」の方を選んで作文にとりかかった。
 うまい具合に、高校3年の頃、家で2台のラジオを使って音楽を聴いたことを思い出しながら鉛筆でマス目を埋めていった。
 “2台のラジオで音楽を”ということは新聞でたまたま知ったことであった。その頃、まだFM放送がなかった時代で、2台のラジオは、中波放送のため左に第1放送、右側に第2放送に置いてステレオで聴くというものだった。作文ではその時の経験を書いた。“ベートーヴェンの交響曲「田園」が2つのスピーカーから流れ出た時に、音に奥行・幅が生まれ臨場感のあることを初めて知った”と、そして、“放送は送り手の工夫と受け手の理解が大切なことだ”と、偶然のように400字の最後のマス目に句点「。」を記した。

高校時代に私が描いた水彩画です
 後日、面接の日を迎えることができた。今回は天気は晴れ、意気揚々として、馬場町角の放送局(BK)に白いズックに学生服で階段を駆け登って局の受け付けを訪ねた。学生帽を脱いで五分刈りの頭を垂れ一礼するとすぐに面接の部屋に行く順路を教えてもらえた。面接の順番がきて、部屋に入ると、今度はリノリューム張りの床だったので特別驚きはなく、一礼して椅子に座った。「いしいたかかずくんですね」と4~5人の面接員のうちの一人が“確認”し、わたしの「はい」という応えを待っていた。次の質問は、「あなたは家からここまでどのようにしてきましたか」わたしは「市バスで福島から大阪駅北口まで来て、市電で大阪駅前から馬場町まで来ました」と、ここまではあたり前の質問が続いたが、次の質問からわたしを困らせるものに変わった。その1つ。別の人が「あんたは、学科で得意やったのは何?」と尋ねたので「得意というのは特になかったのですが、数学はにが手でした」とちょっとおずおずと応えた。するとその人「あんたそれやったら行く部署あれへんやん」と言われ、へこんだ。
 続いてまた別の人が「きみは体格からして競馬のジョッキーになったらよかったんと違うかな」とちょっとおどけた調子で言われたのに対し、内心、「確かに身長1メートル56センチ、体重47.5キロ(今も変わらず)体操していたし、それもありなん」「あの人そういえば馬面やな」と思いながら「そうですか」と小声で応えた覚えがある。こんな日が過ぎたあと、事務系合格者十人中唯一人「報道部」に配属された。
(次号に続く)

お花見のお誘い

4組    酒井 八郎
(12期同窓会幹事会代表幹事)

  4月12日(日曜日)、大阪の舞洲新夕陽が丘の「市岡の森」で此花市岡会恒例のお花見会が開催されます。主催は此花市岡会ですが、「市岡の春は舞洲のお花見から」が定評になっているようで、市岡高校全体同窓会の皆さんはじめそのご家族、懐かしい先生方や、現役吹奏楽部の皆さんなどが集われます。昨年は約200名がお花見を楽しみました。
  私達12期同窓生も、毎年の定例行事として20名前後が参加しており、なだらかな南斜面の桜の下でペチャクチャと楽しくのんびりした一時を過ごしています。
  12期としては昨年10月に「2014市岡高校12期同窓会」を終えたばかり、今秋に市岡東京12期会の定例同窓会があるとはいえ、大阪で広く皆さんと集える機会はこのお花見になります。
  此花市岡会の西尾会長はじめ幹事さんのお世話で、おいしいお弁当も準備して頂けます。お弁当をご希望の方は私、酒井八郎へ、4月3日までにご連絡をお願いいたします。缶ビール1本とつまみまでついてのお弁当代金は¥2,000-です。勿論、お弁当ご持参も大歓迎です。
  集合は午前11時、「舞洲ロッジ」の正面玄関前です。(JR夢咲線「桜島駅」からバス「舞洲スポーツアイルランド」行き、終点下車)
  雨天の場合は、「舞洲ロッジ」内での食事会になりますが、何年も雨はありませんでした。例年、現役吹奏楽部部員の屋外演奏が大好評で、校歌斉唱で午後2時頃にお開きですが、その後も場所を替えてワイワイと楽しくやっています。 同窓生の原清明君から焼酎「森伊蔵」を準備しているとの連絡もありました。気軽にお越しください。お一人でも多くの方のご参加をお待ちいたします。

 
昨年の「お花見会」の写真です。「市岡の森」は市岡ゆかりの人達で大賑わいです。
 

母校の「豚汁会」に行ってきました。

 3月1日、恒例の母校の「豚汁会」(主催:市岡高校同窓会)に行ってきました。
 1年ぶりの母校訪問です。JR弁天町で下車、一部に懐かしい思い出が残る通学路を歩き、現在の母校正門まで行くと、「豚汁会の参加者は裏門から」との案内がありました。現在の裏門は、私達が通っていたころの「正門」そのもので、市電通りに面し、大きなワシントンヤシの並木のすぐそばでした。始業時間に遅刻寸前で数えきれないほど走った校内のコンクリート道や校舎正面左にあった藤棚など、今はもうありません。時の流れなのでしょうが少し寂しい気分での豚汁会への(会場:100周年記念会館)参加です。
 12時に開会、まず全体同窓会の佐藤充利会長から「豚汁会」の主旨と母校の平成27年度入学願書受付状況などの母校の現状にふれてのご挨拶がありました。
豚汁会でのテーブルスピーチです
皆さんお喋りでお疲れかちょっと神妙です
 続いて旧制中学40期の浅見忠彦大先輩の音頭で乾杯がありました。早速、校内食堂で準備された豚汁を食しての宴の始まりです。
 浅見先輩のお話によると旧制中学40期の卒業は昭和20年になるのですが、当時は戦争中、特に米軍機、B-29による激しい空襲でそれどころではなかったとの事です。当時は桜島(現在はユニバーサルスタジオがある所)の「住友伸銅所」での「勤労動員」が毎日で工場内の防空壕で爆撃から避難するのが一度や二度ではなかったそうです。それでも学問にたいする情熱は衰えることなく、戦後、東京大学に進学されました。結局、卒業式はないままであったのですが、卒業50周年時に母校の卒業式に招待をうけ、そこで改めて卒業式をされたと話され、拍手喝采を受けられました。
左から、上野、武田、酒井、張、塩野の各君
12期の参加者一同です
 豚汁会参加者は70余名、昨年に比べて参加者が増えたように思います。12期は同窓会代表幹事の酒井八郎君はじめ、武田博、上野裕通、塩野憲次、張志朗の各君の5名が参加しました。残念ながら、昨年の参加者であった、末廣訂、田端建機、西川常正、川村浩一、川副研治の各君は所用のため欠席でした。
 この「豚汁会」は旧制中学時代以来の伝統行事であるだけに大先輩のお話を聞けるのが楽しみの一つです。また毎年、母校を訪れることが出来る事、高校を卒業して数年の若い同窓生を含めて旧制、新制の各期の同窓生から実に多彩な話が聞けるのはやはりこの会があってのことでしょう。我が12期生も今や同窓会や豚汁会では古株に入りそうです。
 恒例の「市岡高校吹奏楽部OB・OGバンド」の素晴らしい演奏があり、その伴奏で校歌を斉唱して午後3時頃に閉会になりました。

2015年春「バレーボールを楽しむ会」の写真です


2015年3月21日(土)、母校で「バレーボールを楽しむ会」が開かれました。第1部 昼食会と第2部 練習試合 (準備) の模様をスナップ撮影しましたのでお楽しみください。

(さらに…)

此花市岡会 市岡の森“お花見”のご案内!!

平成27年3月吉日
此花市岡会  会長 西尾賢治

此花市岡会会員様

謹啓 寒さの厳しかった冬も過ぎ去ろうとして早や春を感じられる時期になりました。
会員の皆様方にはお元気の事と拝察申し上げます。
 
さて恒例行事の「市岡の森」でのお花見会を今年も開催いたしますのでご案内申し上げます。

お知り合いの方お誘い合わせの上ご家族共々ぜひ多数のご参加をお待ちしています。
敬白

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