兵庫と奈良の「市岡歩こう会」に行ってきました。

2017年12月01日(金)
7組   張 志朗
 兵庫と奈良の「市岡歩こう会」の「秋のウォーキング」が開催されました。
 兵庫市岡歩こう会は、生瀬~武田尾間、武庫川渓谷の「旧福知山線廃線跡ハイキング」(11月19日)、奈良市岡歩こう会は「談山神社の紅葉~飛鳥石舞台へのコース」(11月23日)です。4組の古藤知代子さんと一緒に両方とも行ってきました。
 
 「旧福知山線廃線跡ハイキング」

 19日は、前日からの雨も上がり、冷たい風がふいていましたが、おおむね晴れでした。集合は午前10時JR生瀬駅(宝塚の一つ先の駅)です。私は、次の駅の西宮名塩駅に住んでいますので、「廃線跡ハイキングコース」の入り口まで歩いて行き、そこから合流しました。参加者は市岡の同窓生とそのゆかりの方々、39名です。行程はJR武田尾駅までの約6kmです。

 前半は武庫川渓谷を右に見ながら歩きました。コースは廃線跡ですからところどころ枕木が露出していて、足もとに注意が必要ですが、それはそれとしての“味”があります。
 武田尾の山々は、ハゼやカシ、ところどころのモミジなどの紅葉真っただ中で、見事で美しい。また、それを背景にした渓谷は、キャンプや林間学校で訪れた時代の清流とは異なっていますが、数多くの巨石と滝のように流れ落ちる水しぶきなど、やはり渓谷の美しさそのものです。川鵜でしょうか、大きな魚を飲み込みながら泳いでいました。
 小掠先生とご一緒しながら、紅葉と渓谷美を楽しみました。ここは、市岡高校生物部のフィ-ルドワ-クで良く訪れた場所だったそうです。蓬莱峡もすぐ近くで、フィ-ルドワ-クの後、そこでソフトボールを楽しんだと話しておられました。
 大阪や神戸などの都市部から近いせいでしよう、ハイカーが多く、この日も別のグループにまぎれて、市岡のメンバーとはぐれ気味です。
 対岸は岩の壁になっている所が多く、その岩も、形とひび割れが独特で変化に富んでいて面白い。初めて気がついたのですが、遠くに光りながら滝が流れ落ちるのが見えました。
 6か所のトンネルを通りました。勿論、照明がなく、300m~400mのトンネルになると真っ暗です。皆さんご持参の懐中電灯で足元を照らしながら歩きます。時折、天井からの冷たい水滴に驚いた声が響きます。トンネルは単線用ですから広くありません。また、古い時代のものですから、側壁は石積み、天井は煉瓦で仕上げているようです。姿、形が懐かしさを誘います。私は、蒸気機関車の時代が長かった旧福知山線で、武庫川沿いを走るこの区間が最も美しいと、今でも思っています。幼かった頃、煙に驚いては、慌てて窓を閉め、トンネルを出るや、開けた窓からのさわやかな風が吹き込み、旧式車両の丸天井に清流の照り返しと木々の緑が美しく映えたことを記億しています。
 コースには、唯一の古びた鉄橋があります。ここから武庫川を左に見ながら歩くことになります。トンネルを抜けた所にあるこの鉄橋は、リベット(古い時代は鉄を接合するのにボルトではなく、これを使った)と鉄の組み立て部材で出来た橋で、“手作り感”が一杯、しかもレトロです。またこのコースの見どころの一つです。写真撮影の絶好ポイントということで、多くの人がカメラを手にしていました。以前は、枕木の隙間から、下の渓流が見えた危なっかしい所でしたが、今は、安全な別の通路が作られています。
 午後2時前、ゴールの武田尾の「親水公園」に到着しました。ここで自由解散でした。
 私は古藤さんと一緒に、すぐそばの山の上にある「桜の園」まで足を延ばしました。ここは水上勉の「桜守」でも有名な笹部新太郎博士が、桜の演習林として作った「亦楽山荘」(えきらくさんそう)があった所です。急斜面を200mほど登るのですが、息が切れて展望あずま屋まで行き、引き返しました。ここには名前の通り、桜の木が沢山ありました。ヤマザクラが主で、それはそれは見事な巨木でした。また、展望台をはじめ、各所にいろはもみじの群生があり、その紅葉が絶景でした。
 紅葉と渓谷の美しさと自然を満喫した一日でした。
 
 「談山神社~飛鳥石舞台ハイキング」
 
 23日も前日夜半から本格的な雨で、中止になるのではと心配したのですが、雨は上がり、曇天からのスタートです。時折、薄日が差すまずまずのお天気です。
 近鉄桜井駅に9時20分集合という事で、いつもより早い6時前に起きて、7時に家を出ました。参加者は30名です。駅前から40分程バスに乗って、まずは談山神社に向かいました。
 談山神社は初めてです。観光ポスターで見事な紅葉と十三重の塔の写真を見慣れていただけに、期待は大きいものがありました。思いのほか、山深い場所で、到着した広いバス停から、遠く紫色にかすむ山並みが望め、薄日さす中、その山並みに霧が筋状に立ち昇る景色には、道中が長かったせいもあったのか、奈良らしいと思わずにはいられませんでした。
 神社は「「談(かたらい)の山」と「御破裂(ごはれつ)山」の南側の斜面一帯を境内とする大きな神社で、全山モミジの紅葉に染まっていました。赤、黄、そしていまだ紅葉していない薄緑とのグラデーションが実に見事です。本殿に向う長い石段から見上げる紅葉に、本殿回廊から見下ろす紅葉、十三重の塔に寄り添う紅葉に、木立を見通しながらの紅葉、そのどれをとっても名にしおう紅葉の美しさです。
 入山時のパンフレットに「大和多武峰(やまととうのみね)談山神社」とあり、その横に「大化の改新発祥地」とありました。背後の山「談の山」の中で、中大兄皇子と中臣鎌足が「乙巳の変」についての談合を行なったと言われていることからだそうです。神社自体は中臣鎌足の長男である定慧(じょうえ)和尚が678年に遺骨の一部を多武峰山頂に改葬したことが始まりのようです。
 11時30分に石段で集合写真を撮って、いよいよ、飛鳥石舞台をめざすウォーキングの開始です。
 神社前の坂道を登れば、後は下り坂と言われていましたが、この坂道がきつい。古い屋敷と大きな竹林、苔むした石積みを左右に見ながら、前傾姿勢でゆっくりと歩きました。坂の頂上が、神社の西門にあたる場所、石仏や石碑がありました。しかしゆっくり見る余裕がありません。
 たしかに、ここから飛鳥石舞台までは下り道がほとんどで、登り坂の記憶がありません。車が通る一般道を避けて、林や森の中の細い道を歩くのですが、前日の雨に濡れた落ち葉が重なった下り道ですので、結構疲れました。ようやく、集落がある所にでたのが、上居地域で、めざす石舞台まであと一歩の所です。果樹園が多くあり、柿やミカンがたわわに実っていました。見事な瓦葺きの古い家が多く、中には反り返った立派な石垣を持つ家もありました。天気は、晴れたり曇ったり、冷たい風が吹き付けた所もあって、疲れもピークです。
 午後1時半頃に石舞台地区の飛鳥歴史公園の入り口付近に到着し、公園のあずま屋で昼食をとりました。食後、恒例の自己紹介とショートスピーチがありました。参加者の内、最高齢者は86才の澤井さんです。その次が、5期の小掠先生で、その次が12期である私達でした。同窓会ではまだまだ、若い方と思っていたのですが、いつのまにか、年長者に仲間入りしていることに一寸うろたえながらも元気にウォーキングできることを改めてうれしく思いました。
 ここで自由解散です。石舞台を見られる方、さらに足を延ばして、歴史遺跡を探訪される方など、思い思いに目的地に向かいました。
 私が最後に石舞台を訪れてから50年ほどになるので、「特別史跡石舞台古墳」を拝観することにしました。
 現在の石舞台は周辺に空堀を巡らせた、方形墳として整備されています。石舞台の石室は、ほとんど土に覆われ、玄室の天井の巨石のみが露出しているかっこうになっていて、初めて訪れた頃より小さく見えます。しかし、総重量2300tにものぼる威容は健在です。石室にも入りました。長さ7.7m、幅、3.5m、高さ4.7mの空間は、玄妙というしかありません。御存じのように被葬者は、6世紀後半にこの地で権勢をふるった蘇我馬子の墓と言われています。
 石舞台周辺は国営歴史公園石舞台地区となっており、石舞台を中心に、広い範囲が整備されていました。各所にススキの群生があって、それが陽の光に輝きながら風にそよいでいます。北にむかってなだらかに駆け上がる斜面中腹に植えられた柿の実の赤が点々と際立ち、広々として穏やかな美しい景色になっていました。悠久の歴史、いにしえ人のたおやかな営みとその栄枯盛衰を見守った古代飛鳥は、どんな風だったのだろうとしばらく佇みました。
 石舞台を後に、橘寺、亀石、天武・持統天皇陵をへて、中尾山古墳、高松塚古墳まで、4km程度歩きました。
 高松塚古墳周辺も国営歴史公園高松塚周辺地区として整備されています。公園を取り巻く木々は、ここでも見事に紅葉していました。また落ち葉が分厚く降り積もった展望台は、ふかふかの絨毯そのものです。陽が西に傾き始め、晩秋の色は一層深くなっていくようでした。
 石舞台で手に入れた明日香村観光マップのごく一部しか訪ねることができなかった、名残惜しさを胸に、近鉄飛鳥駅から帰路につきました。紅葉の美しさと、歴史ロマンにあふれる奈良の奥深さを実感した一日でした。
post by 12期HP編集委員

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