お知らせ

2017年

平成29年豚汁会のお知らせ

平成29年 2月 吉日
市岡高等学校 同窓会
会  長   佐藤 充利
 
平成29年 豚汁会のお知らせ

寒さ厳しき折、皆様には益々ご清祥のことと存じ上げます。
 
さて、恒例の豚汁会が近づいてまいりましたので、お知らせ申し上げます。

千客万来! 皆様、お誘い合わせの上ご来場下さい。 お待ちしております。

会の名前 豚汁会
開催日時 2017年3月5日(日) 12時~
開催場所 母校 同窓会館  TEL: 06-6584-8181 ( FAX兼用 )
会   費 一般: 3,000円   学生: 2,000円
( 高69期生は1,000円 )

※昨年の豚汁会の模様をお知りになりたい方は、こちらをご覧ください。( ← 下線部をクリック)

2017年春「バレーボールを楽しむ会」へのお誘い

平成29年2月吉日

市岡高校バレーボール部同窓会の皆様へ
 

「バレーボールを楽しむ会」へのお誘い
 

春寒の候 皆様方にはますますご健勝のこととお慶び申し上げます。
さて、毎年恒例の春の「バレーボールを楽しむ会」を今春も下記のとおり開催いたします。
同期の皆様等で連絡を取り合って、ふるってご参加くださいますようご案内いたします。 敬具
(さらに…)

「12期の広場」2月号のラインアップ

桜の木も雪で真白です。
 2月、如月です。最近の口癖が「おおっ寒い!」。外出から帰った時は勿論、暖房の効いた部屋を出る時も入る時もこの言葉が口をついて出てきます。ちじこまって身の丈までが小さくなりそうです。
 大寒を前後して寒波におおわれた関西でも今年の冬の寒さは、ことのほかきびしいものになりました。雪も良く降り、そして積ります。庭の水仙と蝋梅の蕾が寒さにふるえているようです。なんと5cmほどのつららができ、玄関アプローチの枕木までもが霜柱でうきあがる始末です。
 暦は立春が目の前ですが、春はまだ雪のなか、厳冬まっただ中です。
 
 先日、末廣君からお誘いがあって、伊丹市図書館であった「第2回浮世絵師―又兵衛まつり」の講演会に一緒に行ってきました。演題は「生き延びた村重の子孫たち」で、講演者は有岡城(兵庫県伊丹市)城主であった荒木村重の子孫にあたる荒木幹雄氏(山梨県在住。塩山市民病院皮膚科医長)でした。伊丹市は一昨年のNHK大河ドラマ「黒田官兵衛」の重要な舞台でもあり、個人的には20年間ほど生活した所。大河ドラマの「黒田官兵衛、有岡城幽閉の段」への関心も重なっての講演会参加でしたが、内容は期待にたがわぬ、興味深いものでした。
 まず、講演をされた荒木幹雄氏の古文書調査や現地踏査が真摯で細やか、ねばり強いものであることに感嘆しました。その詳細は割愛しますが、それらを通して「黒田官兵衛は、小寺政職(こでらまさもと)に本来殺害されるところ、有岡城に幽閉されることによって荒木村重に命を助けられ、黒田官兵衛とその子孫の黒田藩主は、代々、荒木村重に感謝をしていた」とする説を主張するに至ったとの話に驚きました。荒木氏は具体的にその多くの根拠を示されましたが、その中でも、黒田家が村重の子孫を家臣にし、その多くを黒田領内(黒田藩と秋月藩)で保護していたとの複数の古文書説明は、説得力十分。もともと、大河ドラマでの官兵衛の有岡城行きと1年にも及ぶ地下牢への入牢、そこからの生還の描き方に釈然としていなかっただけに、そうであったのかもしれないと、この説が腑に落ちました。そのほかにも丹念に拾い上げた古文書調査を通して、広く知られている「通説」を覆す解釈をいくつか聞くことができました。
 世の常として「歴史」の多くが「勝者の歴史観」によるものであるだけに、取り残された多くの古文書や埋もれた「歴史資料」から立ち上がってくる「新」史実は、実に人間くさく、魅力的、今日的であると再認識することができました。また会場には末廣君(大阪福島区歴史研究会事務局長)は勿論のこと、歴史を愛好し研究しておられる多く同年輩の方々が居られましたが、それを目の当たりにしては、意義あることをするわけでもなく、漫然と過ごす時間が多い自身の来し方を、反省することしきりでした。
 
 さてわが「12期の広場」2月号のラインアップは次の通りです。中断していた東京市岡12期会の皆さんの第3回目の「川歩き」が再開されました。お楽しみ下さい。
 
 1.「 川歩き再開 」          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3組  西條 軍蔵
 2.「 第8回市岡OB写真クラブ作品展 」
 3.「 2月の写真 二枚 」
以 上

川歩き再開

3組 西條軍蔵
 
 メンバーの体調不良等があり昨年11月9日(水)に約1年半ぶりに川歩きを開始しました。
メンバーは今回も泉 榎本 大石橋 山田 西條の5人です。三つ目の川は多摩川とし羽田空港近くの天空橋を出発点とし奥多摩湖を目指す予定。

もっとも河口に近い五十間鼻で
今は赤れんが堤防の内側に民家があります


 久しぶりのことと、後期高齢者5名のため初回はウオーミングアップなので軽く歩く予定。
出発して最初の橋が大師橋(川向こうが川崎市の川崎大師) 昔の赤レンガ堤防が残る多摩川の漁師街をぶらり。
 今は堤防も整備され 川原は緑地が続く。 対岸は川崎市、第二京浜の六郷橋を過ぎ京浜急行 東海道線の鉄橋近くの六郷土手駅近辺で昼食とる。
 午後出発頃より北風が強くなり 北に向かう我々には少々こたえる。  多摩川大橋を過ぎ ガス橋、緑地、テニスコート、球技場が多くある。

昼食後、広い緑地の水辺では水鳥が遊ぶ
吹きさらしの河原、河口から12キロ地点


 キャノン本社を右に北風のなかを一生懸命に歩く。しかし昔に較べスピードは遅い。  東海道新幹線の鉄橋近くで最後の休みをとり、丸子橋(中原街道)で警視庁交通係りのおまわりさんに写真シャッターを頼み記念写真とする。

最終地点の丸子橋から対岸の武蔵小杉方面を望む

今回の終着点東急東横線多摩川駅に到着。   
毎度おなじみで楽しみでもある打ち上げのため東横線で二駅先の自由が丘駅近くの和バル「SOU」で乾杯!次回は春の予定として解散した。

お巡りさんは快くシャッターを切ってくれました
道を挟んで建つ丸子橋の記念碑とお巡りさん

第8回市岡OB写真クラブ作品展

 1月19日、恒例の「第8回市岡OB写真クラブ作品展」に行ってきました。会場は昨年と同じ大阪天満宮近くのMGAギャラリーです。
 この日は薄日はさすもののいつ雪が降り出してもおかしくない寒い日。自宅で昼過ぎまでクズクズしながら、午後2時頃にやっと重い腰を上げて出かけました。1年ぶりのOB写真クラブ作品との再会は、やはり興味深く、元気が出るものでした。
 入り口近くに次のあいさつ文がありました。
 「私たち市岡OB写真クラブは市岡高校のOB・OGとその家族や友人たちが集まって、月に一度撮影にでかけ、学校で例会を開いています。旧制中学の卒業生から社会人として忙しく活躍中の会員まで年齢差は30歳あまり、写真を撮ること、見ることを楽しんでいます。第8回を迎え、少し上達したかなあ、というところです。どうぞごゆっくりご高覧ください。仲間入りしようという卒業生は是非どうぞ」
 作品数は出展者18名の36点、小ぶりですが、シックなギャラリーの壁面一杯に力作が展示されていました。作品展を訪れのは今回で4、5回目だと思います。リーダーの中務敦行 ( 高校13期 元読売新聞写真部長 ) さんの指導とクラブ員、皆さんの切磋琢磨の賜物でしょう、すべての作品が、すばらしい出来栄えと感じました。
 会場で当日の当番であった、薮田尹久子(14期)さん、椿良忠(15期)さんのお二人とお話しさせて頂きました。お二人とも市岡高校在学時は写真部だったそうです。椿さんはOB写真クラブ発足時からのメンバー、薮田さんは高校時代から教員時代を含めて写真との縁が切れないと楽しそうに笑っておられました。薮田さんは14期ですから、昨年亡くなった同期の川西君をよく御存じで、彼の思い出話に少々、しんみりでした。
 私は「12期の広場」のホームページ委員になってから、記事用の写真を撮ることが多くなりました。考えてシャッターを押すものの写真の出来は、ピントボケに始まり、肝心要の写したいものにフォカスしていないなあーまでのからっきしです。そんな自分ですから、ことさらに近づいては見、離れては見、メガネをはずしては見るなどして鑑賞させていただきました。
 感性ゆたかに選んだ被写体に、息をこらしてシャッターチャンスを待ち、そしてその瞬間を捉える、そんな思いが伝わり、どの写真も流石の「手練れ」と感心することしきりでした。
 薮田さんの「モネの絵に似た池」は岐阜県関市での撮影で、柔らかくて美しい写真に仕上がっており題名通り、椿さんのハスの葉に溜まった水滴の写真は、葉脈に沿って水に映える光が魅力的でした。市街地の水辺(題名:「魅惑」)とこれまた市街地の窓ガラスの雨しずく(題名:「驟雨」)を撮った山田美代子さん(7期)の写真と、長野県小谷村の秋(題名:秋彩」)、大台ケ原の星空(題名:「夏の夜の夢」)を撮った内山博子さん(15期)の写真が大層印象的で、長野県八方尾根で花にくらいつく蜂の鮮やかなシマシマを撮った里見慶彦さん(15期)の写真の題名に「頑張れタイガース」とあったのには思わず笑ってしまいました。わが同期の高見政博君は「早春の妖精」と「オオヤマレンゲ」の二点、可憐な花の写真を出展していました。当日、会えなかったのですが、傍にいるように感じる、優しくて静かな写真で、妙に納得しました。
 毎回感じることですが、よわいを重ねてもなお盛んな感性と好奇心、写真クラブ皆さんの熱い気持ちに脱帽のひとときで、足どりも軽くなったように会場をあとにしました。
( 張 志朗 - 記 )

2月の写真 二枚

* 昨年の年末に1組の藤本加奈子さんと6組の井東一太郎くんから写真が届きました。
  藤本加奈子さんからの分は海外旅行によく出かけられると聞き、その写真とコメントをお願いしたもので、井東君の分は、彼のアルバムにある写真の中で「珍しい」と思われるものをお願いしたものです。偶然ですが、2枚とも2月の写真です。
 
「南仏のニース海岸のモーニングセット」



 先日は丁重なお電話有難うございました。写真はニース海岸で頂いたモーニングセットです。南仏ニースを拠点に国鉄や路線バスを使い、モナコ、カンヌをはじめマントン(レモン祭り)、ニースのカーニバル、ツウレットシュルール(すみれ祭り)、ランドリューラナプール(ミモザ祭り)などコートダジュールを殆ど廻りました。2月といっても陽光サンサン、波もなく泳いでいる人もいましたよ。来年はまたパリに行く予定です。 ーーー 藤本 加奈子
 
「テーブルマナー」



 高校3年次の卒業間近い2月に「テーブルマナー」の講習会がありました。「百周年記念誌」の「年表」に拠りますと昭和35年2月8日「三年特別講習(美容講話、テーブルマナー)」、11日「三年女子特別講習(午後 テーブルマナー)」とあります。この写真は8日の「テーブルマナー」講習時のもののようです。とすれば、2月11日にも「テーブルマナー」講習はあったのでしょうか。まったく記憶にありません。それはそれとしても、女子が中心のようですが、男子も参加しています。なつかしい写真ですね。誰が誰かわかりますか。井東君の記録によると場所は電気科学館の地下だったそうです。

「12期の広場」新年号のラインアップ

 あけましておめでとうございます。新しい年、2017年がスタートしました。
 「12期の広場」も2011年の開設から満6年が過ぎ、今日、この日から7年目の新しい歩みを始めます。開設時の勢いに比べると、現状、ややかげりがありますが、気持ちだけは新たに頑張るつもりでいますので、今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
 
 76回目の正月です。幼い頃のように、「もういくつ寝るとお正月」と指を折って待ち焦がれたお正月のようにはいきませんが、やはり、この日ばかりはどこか心が華やぎ、しみじみと気持ちがあらたまるものですね。なにより、家族が集まり新年のあいさつを交わし、正月膳を囲むのはうれしいものです。そして、今年1年が平穏でありますよう、家族一同が健康でありますよう、うれしいことが一つでも多くありますようにとささやかに念じたりします。
 私ごとで恐縮ですが、この春、遠くにいる一番上の孫が高校を受験します。特に有名進学校を受験するわけではありませんが、行きたい高校に合格し、有意義な学園生活とすばらしい友にめぐりあってほしいと、「爺馬鹿」よろしく、今からどきどきしています。
 思えば、市岡高校への入学は、まさに筆者の人生のとばくち、と同時にすばらしい恩師と多彩な個性をもった学友にめぐりあい、そして営々と培われた伝統にはぐくまれた高校生活であったようです。その市岡高校が定員割れから存続の危機にあると言いますから、あらためて、いたたまれない気持ちになります。市岡高校は卒業生である私達が拠って立つ所の母校、現役生徒にとっては大切な伝統ある学び舎です。なにがなんでも、この危機を乗り越えられるよう切に願うばかりです。
 正月号ラインアップのカットとしては地味かもしれませんが、 井東一太郎君(6組)が保管しておられた写真を添付します。
 これは1961年1月2日に 桑山貞子さん(2組)の自宅であった同窓生有志の新年会の写真だそうです。高校卒業後1年目の写真ですから、大学入学後または社会人初年の頃のものです。和服も洋服もみなさん良く映えて、なんと華やかで初々しい写真でしょう。女子の殆どは微笑みを浮かべていますが、男子はかたく口を閉じています。新年を迎えて、それぞれの夢と希望と理想に溢れる心情が見て取れ、ただただ懐かしく、心が温かくなります。
 齢をかさねていまや、老境。このまばゆいばかりの若さは望むべくもありませんが、市岡の健児の心意気と初志はいつまでもいつまでも大切にしたいものです。
 
 さて「12期の広場」新年号のラインアップは以下の通りです。お楽しみ下さい。
 
1.「あけましておめでとうございます」         12期同窓会代表幹事 酒井 八郎(4組)
2.「写真投稿」― 12期修学旅行 雲仙 旅館 芳仙館           井東 一太郎(6組)
3.「シャソン・コンサート」                               榎本 進明 (8組)
以 上

あけましておめでとうございます

大阪府立市岡高等学校12期同窓会 幹事会       
代表幹事 酒井八郎
 
 12期の皆さん、あけましておめでとうございます。
 昨年、秋の同窓会、福井金治先生、田中順三先生をお迎えして67名が無遅刻、無欠席で開催できましたこと、皆様に感謝申しあげます。
 1年がかりでクラスメイトに連絡をとりながら準備を進めて下さった各クラスの幹事さんに、そして今回は欠席とのハガキを投函されながら、応援してくださった方々にお礼申しあげます。
 同窓会で盛り上がった同窓生のパワーの余韻のおかげか、猛威を奮い始めたインフルエンザの侵入も跳ね除け、新年を迎えることができました。同窓会に感謝!感謝!です。
 会が始まる前の嶋田ハル子(旧姓 杉山 3組)さんのご指導による筋力トレーニング、ご参加いただいた皆さんは、いかがでしたか。その後も筋トレを心がけていることもあって、新年をケガなく、前を向いて歩んでいこうと思います。
 「後期高齢者」と言われると、「老人」になったと思うはずなのに、同窓会での仲間の元気な声に、そんな思いは全く感じられず、毎日、毎日をそれぞれ精一杯生きている様子をつくづく感じました。
 若い時のように跳んだり跳ねたりはできなくても、日々の生活の中で、少しずつ運動を続けていくこと。人との係わりを常に保つことで肉体と心のバランスを良くしていこうと、新年、自分に言い聞かせています。
 春に向けて、母校での豚汁会、4月第2日曜日の「市岡の森」でのお花見会、6月の母校同窓会、秋には東京12期会の同窓会が予定されています。
 後期高齢者になって母校と係わりのある4つの行事に今年は全て参加するつもりです。
 「僕も!!」「私も!!」と一人でも多くの同窓生がご参加下さることを願っています。
 最後になりましたが、毎年「12期の広場」の充実に努力を惜しまず、編集くださる、ホームページ委員の皆様、そしてご投稿下さる同級生の皆様に心から感謝申しあげます。
 新年を迎えて12期の皆様のご健勝と、支えてくださるご家族の皆様のご多幸を謹んでお祈り申し上げます。
2017年  元旦

「写真投稿」― 12期修学旅行(1959.3.26) 雲仙 旅館 芳仙館

6組  井東 一太郎
 
 修学旅行は2年生の時なので,難波先生は5組です。前半24~28日と後半25~29日に分かれて同じコースを旅行。写真を見ても,この旅館(雲仙―芳仙館)で泊まった記憶もないのだが,写真を見てやはり,泊まったんだという証ですね。皆さんのご記憶はいかがですか。


※ 懐かしい写真ですね。とは言ってもこんな写真があったことさえも記憶にありません。早速井東君にお会いし、お持ちのアルバムを見せていただきました。
これ以外にも下の二枚の集合写真を保管しておられたので送っていただきましたので、ご覧ください。
―― HP委員 記
 
大分の高崎山です。写真左下に猿が映っています。餌をやろうとして追いかけられたことを想いだしました。
 

長崎の平和記念像の前ですね。

シャンソン・コンサート

8組  榎本進明
 
 東京12期会会長である大石橋君の令夫人(あい美沙子さん)のシャンソンコンサートが昨年の11月27日(日)に開催されました。朝は晴れ、午後は夕方から雨になるとの予報。その通りになったが小降りであったので濡れずにすみました。このコンサートは毎年行われています。今年で何回目かは聞き漏らしたが筆者は5~6回しか参加していない。ご夫婦で参加したのは5組10人。西條君は奥様がシンガポール旅行中で残念ながらお一人での参加でした。
 シャンパーニュという名のシャンソン専用の会場は新宿御苑の近くにあって、そこのオーナーから今年はソロコンサートを提案されたそうですが、横浜の仲間である男女1名に協力していただいて3名で行われました。

入場券
プログラム


熱唱する あい美沙子さん
 コンサートはプログラム通り進行しましたが、あいさんが司会・進行役で、特に歌の初めにそれを選んだいきさつやエピソード・思い出を話されたイントロも印象に残りました。その一部を紹介します。また、夫君宏次君への感謝の思いをこめたプログラムにもなっていました。
  • ☆待って・・・この歌はシャンパーニュの先代オーナーであられる矢田部道一さんの訳詩でありますが、とても男性が訳したと思えない歌詞で驚きます。”待って、入るのは着替えが済むまで、待って、裸なのお風呂上がりだから”から始まる歌詞は色っぽくて、聴く人に次の展開を想像させるみごとな出だしです。ドキドキ感に思いっきり浸らせて、期待させて・・・。最期には ”いいわよ、どうぞ!” と彼を部屋に招き入れる辺りはみごとな終わり方です。
  • ☆人の気も知らないで ☆陛下お茶をどうぞ・・・この2曲は吉住法子さんの訳詩、作曲になりますが、こころざし半ばで残念なことに他界されました。生前先生から「あいさんは自分にあった曲をじっくり歌っていくと、良い歌い手さんになると思いますよ」と言って頂いていました。
  • ☆人の気も知らないで・・・淡谷のり子さんが歌われて有名な曲ですが吉住法子さんは一番原曲に忠実に訳しましたとの事でした。年下の男性に恋をしてしまった女性のストレートな女心が共感を呼びます。

今回出席の東京12期会の皆さんと奥様
☆ケ・サラ・・・有名なカンツォーネなのですが、今回は伊東ゆかりさんが歌っておられる日本語版が、とても今の私の心に染み入りましたので、こちらで歌わせて頂きました。  ”見えない明日を夢みて、喜び悲しみ歌い続けるそれが私の人生” で締め括りますが、そうなんです。2月肺癌手術から生還してくれた夫に感謝と、これから二人で終活に向かって行く私の人生そのものなので、ラストソングに選ばせて頂きました。この様に歌はその時の聴く人の心に響き、少しでも心に残せればこんなに嬉しい事はありません。私のモットーは”有名にならなくてもいい、自分らしさが伝えられる味のある歌い手になりた~~い”です。

 今回も素晴らしい歌とトークで観客を楽しませてくださったあい美沙子さんでした。筆者も家内も余韻をもって小雨の中を二次会の会場に向かいました。
 
 二次会は11人全員参加でにぎやかでした。あい美沙子さんを中心にシャンソン談義。観客も多かったし大成功だった。と思いきや、本人は反省するところ大とのことで、後日談では帰宅後は寝付かれず一睡もせずに夜が明けたと話してくれました。でも二次会では、12期生とその奥様も交えての飲み会に大はじゃぎされていました。エンタテナーに徹していただいたと解釈しています。宴も終盤近くになって、10月23日に結婚50周年を迎えた筆者夫妻の金婚式に皆さんが乾杯して祝ってくれました。来年は1組、再来年以降は次々と金婚式を迎えるペアがいらっしゃって、皆で「二人そろって長生きしよう」と盛り上がったところでお開きとなりました。