12期の広場

12期の広場

「武田尾“桜の園” 亦楽山荘(えきらくさんそう)のこと」

7組   張 志朗

 「今年のさくらの開花は早いようですね。」そんな話を聞きながら、ふと思い立って武田尾の桜の園を訪ねてみました。電車で一駅、自宅から30分。3月初めなのに陽気は4月上旬なみでした。
 武田尾駅は、JR福知山線の「生瀬駅」「道場駅」の間の武庫川渓谷にあります。いずれの名前も聞き覚えがあることでしょう。飯盒すいさんや、キャンプ、林間学校など、想い出が多い場所です。
 川の両岸を単線でのんびりと走っていた旧福知山線も今はトンネル主体の複線新ルートで、武田尾の駅の大部分はトンネルの中。一部武庫川にかかる部分だけが、橋のような空中駅です。
 駅から15分くらい。旧福知山線の二つのトンネルを越えた所の親水広場横に、“桜の園“『亦楽山荘』と呼ばれる40ヘクタールの山林への入り口があります。
 ここは明治45年、笹部新太郎氏がサクラの保存・品種改良やつぎ木などの研究のために拓いた演習林で、当時は全国から集められたヤマザクラやサトザクラが30種類、5000本以上が植えられていたと言います。亦楽山荘は笹部氏の命名。またここが“桜の園”と呼ばれるようになったのは、1999年宝塚市の里山公園になってからです。
 現在はいくつかのハイキングルートが設定されています。ただしすべて山道で、アップダウンが激しく、私の脚力では全コース踏破は無理。この日も“桜坂”を越えて、周回路の“さくらの道”に入り、“育樹の丘”の東屋で、はやばやと休憩しました。入口から1Km弱だと思いますが、急な登りに息がきれます。それだけに、“桜坂”でヤマザクラとエドヒガンザクラの巨木に出会ったときは思わずオォーッと声がでてしまいました。ほかにもオオシマザクラ、カスミザクラ、ウワミズザクラなどがあり、実に多様です。こう書くと私が桜の種類に詳しいような印象になりますが、すべて木に掲げられた銘板の助けによるものです。
 花はこれからです。サクラの早い今年でも4月に入ってからが見頃でしょうし、種類ごとに順次咲いては散って、を繰り返し約4週間程度、花が楽しめるとのことです。
 『亦楽山荘』周辺のサクラは、日本の固有種または固有種にちかい山桜、里桜が主で、ソメイヨシノは少ないようです。大量に植えられ、一斉に咲きそして散るソメイヨシノに慣れ切った私ですが、4月にまたここを訪ね、多彩な山桜・里桜を楽しんでみようと思っています。
 資料に載っている笹部新太郎氏(1887~1978)のことを少し書きます。お生まれは大阪の堂島の裕福な商家で、東京帝国大学法学科を卒業され、その生涯と莫大な私財を山桜、里桜の研究と保護・育成にささげられた方です。水上勉氏の『櫻守』の主人公のお一人、「竹部庸太郎」のモデルであり、関西は勿論、全国の名もなき桜までをも訪ね歩かれたそうです。大阪造幣局の通り抜けの桜、夙川・甲山周辺の桜の管理指導、なかでも1960年、岐阜県御母衣ダム工事で水没する樹齢400年のエドヒガンザクラの巨木二本の移植を行うなど、その業績は数えきれません。この時移植された桜が岐阜の“荘川桜”。ネットで検索すると、立派な花を咲かせて今も健在です。
 東屋周辺の見事なモミジを見ながら、周回路を“隔水亭”に向かいました。“隔水亭”は、笹部氏の研究拠点で、現在あるものは二代目だそうです。小ぶりで質素でしたが、机上研究もさることながら、フィルドワークが主で、つぎ木の技術など職人はだしであった笹部氏の人となりが偲ばれるようで、感じ入りました。
 道中、数人のボランティアと出会いました。“櫻守”と書かれたヘルメットに、山仕事用の作業服で、
周回路の“桜坂“の案内板にあった写真です
園路の整備や樹木の手入れをしていました。年齢はほぼ同じくらいですが、健脚で若々しい。楽しそうに作業する姿から、桜によせる思いが伝わります。
 美しい桜山にはそれにふさわしい美しい物語があるものですね。サクラを守り、支えるご苦労に、感謝の気持ち一杯になりました。



          

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