12期の広場

12期の広場

「夏の思い出」 <日々の記 (1)>

6組 佐藤 裕久


 平成24年9月3日、小生は早朝4時頃に目を覚ました。今秋、はじめて、扇風機なしでぐっすり眠れた。早い朝食を『おはよう日本』(NHKテレビジョン) を眺めながら食べていると、アナウンサーが“今日:9月3日は [ぐっスリー] の日というのだ”と解説したので、「本当?」と観ていた我々も思わず吹き出した。

 グッスリ眠れた朝は、気分爽快で、何故か「頭の回転も良くなったのでは?」と勝手に考えてしまうとか、何れにしてもプラス思考の日となるように思う。今夜も、文字どおり、ぐっすり眠り、明朝、2日間連続して気分良く目覚め、爽快に過ごしたい。などと考えながら、朝食後、PCを立ち上げ、『‐市岡高校・澪標ホームページ‐12期の広場』を開いた。

 今月号の巻頭は「2012市岡高等学校第12期生同窓会の案内」だ。●「私達の同窓会が始まって、すでに 27年が経ちます」とある。また、●「小野義雄さんの連載記事は今回が最終回です」ともある。

 小生も縁あって、12期の広場に創刊(昨年1月)号から、特別な理由がない限り、10月号まで寄稿したところで、3.11大震災に関連した様々な用件が出てきて しばらく休んでいた。上記の後者●印の文章を見て、一寸の間、小生も そろそろ腰を上げなくては・・・、などという考えが、今朝、自身の頭を過ぎった次第である。

 
 まえがき
 

 昨年8月1日、宮城県塩竈(しおがま)市 浦戸諸島の桂島に、「3.11東日本大震災『心のケア・ボランティア』活動」のため、小生もその一員として降り立った。


図1 松島湾で有名な仁王島の後方
(北側)に位置するのが桂島だ
↑ 図2 塩竈市浦戸諸島(塩釜港から市営
汽船で渡る;↑印方向に仁王島がある)


 その後、これに関連した様々なボランティア活動等が今年の3月頃まで続いた。特に、体力的に、年齢には勝てずにいた。約50年前の学生時代に経験した昔のボランティア活動を思い出すと、「老骨に鞭打つ」行為が却って迷惑をかける事もあることに気付いていた。

 また、大阪から、市岡12期の同級生:6組・畠平さんが 彼の所属するボランテイア団体:ワイズメンズクラブの一員として、2回も来仙され、主に、我が宮城県などのため、継続して活動されている。有難いことである。ただ、ワイズのこちらのメンバーの立場も極めて重要で、小生はその方々から声が掛ったときには、その指示に従うつもりで 今もいる。

 

 なお、上述の桂島における『心のケア・ボランティア』活動・内容については、昨年:平成23年11月5日、国立オリンピック記念青少年総合センターで開催された日本精神対話学会の第6回研究論文集(抄録集付)に掲載されている(*)ので、ここでは、割愛させて頂く。

(*)
  • 同論文集内の、pp.104-110に、論文題目:クライアント・グループとの精神対話 の試み – 3.11東日本大震災「心のケア・ボランティア」活動に参加して – ;著者:佐藤裕久
  • 同抄録集内の、p.7 に、題目:クライアント・グループとの精神対話の試み – 3.11 東日本大震災「心のケア・ボランティア」活動に参加して – ;著者:佐藤裕久

 小生は昨年11月2日に古稀を迎え、嫌でも、年寄りグループの一員になり、意識的にPPK(ぴん・ぴん・ころり)を心掛けねばならなくなったと 考えさせられているこの頃だ。

 そのような次第で、今年3月からは、それまで毎週2回以上であった太極拳を、確実に3回は頑張って稽古することを自分の課題と決め、現在まで、実は楽しく通っている。

 
 青森ねぶた
 

 今年8月5日、これまで50年間も仙台に暮らして来たのに、はじめて、『青森ねぶた』なるものを見物し、祭りの雰囲気を味わって来た。

 青森ねぶた祭の始まる数時間前に、祭 会場 近くの青森港に行った。図3のような大きな豪華客船(日本丸)が停泊していた。後で分かったが、ねぶた祭の行列を見物する桟敷席の一つに、にっぽん丸・乗船客用のものがあった(図4参照)。乗船客が見物に来たのだ。


図3 ねぶた祭見物客を乗せ青森港に停泊
している 豪華客船“にっぽん丸”
図4 青森ねぶた祭行列見物会場の
桟敷席(にっぽん丸・乗船客用)


 青森港近辺をウロウロしていると、東北新幹線の新青森駅の近くに三内丸山遺跡があると聞いた。また、タクシーを使えば、その遺跡まで往復して、ねぶた祭の始まる前までに戻って来れるということも分かった。そのような訳で、三内丸山遺跡にも出かけた。


図5(左、上):新青森駅の近くにある三内丸山遺跡。この縄文時代の遺跡発掘は、今後も進められる予定らしく、敷地も広い。その一部には、青森県立美術館なども新しく建設されていた。


 その日の、まだ暗くなり始める少し前:午後7時近くになった頃から、青森ねぶたの行列・行進が始まった。(図6:大きな太鼓を乗せた台車が動き始めたが、まだ、太鼓を叩く人が乗っていない。)


図6 平成24年8月5日の青森ねぶたは
午後6時50分頃から始まった
図7 午後7時~8時頃にかけては、
約20台位の大型ねぶたが運行された


 ねぶたがどのように作られるか等については、例えば、青森ねぶたの公式ホームページ:
http://www.nebuta.or.jp/ 中にある、ねぶたの基礎知識などのサイト:http://www.nebuta.or.jp/kiso/dekirumade/index.html
等で、現在は、詳しく知ることができる。

 同様に、大型ねぶた運行スケジュールや運行コースも、公式HPに示されているので、どの辺りで、待っていれば、詳しく見ることができるかなどを、前もって知ることができる。
 

図8 (図7の続き:大型ねぶたの例)


 実際に会場で、ねぶた を見ていた時の臨場感は、前述の写真や文章ではとても表現できないのが残念です。何が不足していると感じるかといえば、『①笛や太鼓のお囃子、また、②跳ね踊りしながら行進するハネト(申し込めば、誰でもハネトに参加できる:跳ね子の意)の「ラッセラー!」,「ラッセラー!」という掛け声などがない.』ことと感じている。

           

 なお、『青森ねぶた』と『弘前ねぷた』とが有名であるが、もう一つ加えるなら『五所川原立佞武多(ごしょがわら・たちねぶた)』のようである。後の二つの見物は、近いうちに、また、出かけたいと思っている。

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