12期の広場

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第6回「市岡高校東京12期会」雑感・近況など

<5組 阿部清二>
山田様

 11月16日の市岡東京12期会、お世話になりました。貴兄の素晴らしい司会の進行で始まり、2年振りの皆さんとの再会、楽しい時間を過ごせたこと感謝いたします。毎回のことですが、市岡12期のメンバーの現役時の活躍拝聴し、誇りに思います。

近況報告ですが、毎日午前はボケ防止(本人の勝手な思込ですが)の時間過ごしていますが、記憶力の衰えには勝てず、進捗状況は無残なものです。まだ、しばらくは根気よく続けるつもりです。

月3~4日、昔の会社仲間との懇親会に参加、週2~3日、地元仲間とスポーツ楽しむ等、人とのコミュニケーションにも努めています。大学卒業後48年関東在住、大阪が遠く感じ寂しさ覚える昨今です。次回の再会楽しみにしています。




<6組 中柴方通>
(近況報告)

 前回しろがね通りの存続活動を始めたことを報告しました。私の住んでいる三鷹市は住みやすい良い街です。駅に直結する重要な市道(この市道を近隣住民はしろがね通りと呼んでいます。)を挟んだ約10,000平米と約5,000平米の二つの駅前の土地を再開発する計画が以前からありました。

 これまで開示されていた資料では、全体を1棟にする案、しろがね通りを挟んで2棟にする案の再開発案があり、いずれにしてもしろがね通りの道路機能は残るものと私達は理解していました。ところが3年前に、再開発がしろがね通りを道路としての機能をなくした一棟案ですすんでいることが判明しました。

 存続活動を通じて、市長あて要望書に千数百の署名、市議会での多くの議員の支援演説を経て市長も私たちの主張に理解を示すようになりました。その結果、今年になり市長は再開発協議会に分棟案を提案し、さらに「しろがね通り」を市道の愛称名に採用することとなりました。


 

(三鷹市報7月号の愛称名決定の記事中の図)
再開発計画は最終決定されていないので注意深く見守っていくつもりです。


<8組 緒方(旧姓戎田)宏文>
日々是好日にしたくて想うこと!
先日、11月16日の市岡高校東京12期会に4年ぶりに出席、歳歳年年人同じからずの感にもかかわらず、ひと時で高校時代にタイムスリップするのは不思議である。出席者21名、大阪からは張君が市岡高校12期会の大きな垂れ幕を運び込み、中華料理円卓を囲んで旧交を温めた。卒業以来初めて会う友もあり、充分な時間なくお開きとなった次第。後はいつものコースで銀座のカラオケ店に潜る(地下のセルフサービス席)。充分歌って、日も暮れネオンのともった銀座の路上で再会を誓って、三々五々帰路についた。
ところで、小生の近況、
我が家の近くのコミニティセンターで、毎早朝ラジオ体操とか太極拳を老々男女で楽しんでいる。その帰路の雑談の中で”教育”とか”教養”とかの高尚な会話だけはしないで済むような日々でありたいねと互いを戒めている。なんのことはない、”教育”とは「今日、行くところがある」、”教養”とは「今日、用がある」。そして小生の夢は、矍鑠(かくしゃく)につきる、その意とするところは、ヘミングウエーの「老人と海」を思い浮かべて「もくもくと船一隻で金稼ぎ、それが老後の楽しい夢」。 ア!ア!大海原を相手に充実した人生を送りたい・・・・。
終わり。


<6組 平松弘行>

 市岡卒業後、実に54年振りの同期の皆さまとの再会、感激の一言です。

 なつかしく昔の様々な記憶がよみがえる一方で、最後まで皆様の顔と名前が一致せず、歳のせいか”ボケが進行中”ではと思ったりしました。

 大学時代たまたま外交畑の仕事に足を踏み入れることとなり、在外生活が三十余年の長きにわたり、いささか今浦島の気分で日本での生活に慣れようとしています。

 いずれにせよ幹事の皆様方の多大のお心遣いで、久方ぶりに最後まで楽しく過ごさせていただきました。

《HP編集部 注》
平松さんはバルセロナ総領事、エクアドル大使などスペイン語圏で活躍されました。
初参加の受付を済ませる筆者


<6組 佐藤裕久>
あの同窓会の後、夜行バスで、島根県松江市に向かいました。
次の17日は、安来市の和鋼博物館での講演会に出席して、午後2時ころ、車組の岡本(7組)さんや、西山 (8組) さんなど男計8名が鳥取県倉吉で合流し、地元の人もあまり知らない関金(せきがね)温泉に向かいました。途中、断崖絶壁に立つ国宝建築物『三徳山・三佛寺投げ入れ堂』を観ましたが、山形・立石寺の高所お堂の比ではなく、只々、驚いた次第です。
18日午前には、伯耆・大山の南壁を見に出かけました。常緑樹の緑から紅葉した部分までのグラデーションは素晴らしいものでしたが、雪が混じりはじめ、同行の2台とも、普通タイヤであったため、それ以上、登ることは断念しました。
午後は、小生一人だけ、出雲市に出て、「平成の大遷宮」中の出雲大社に参拝しまし た。 さらに、夜行バスで出雲市から新宿-仙台への旅を19日夜、終えた次第です。

杜遊会の方々、右から7組岡本成彦君、
3番目が筆者、4番目が8組西山吾郎君
三徳山・三佛寺投げ入れ堂
   
 
大山の山麓
 


<5組 中山賀弘>

 東京12期会の同窓会に初めて参加しました。約半世紀ぶりの学友達との再会に心穏やかである筈もなく、増幅する懐かしさの中で昂揚する心を抑えながら会場に向かいました。
クラスを超えての懐かしい学友達。当然の事ながら自分も含めて、あの時代の溌溂たる青々とした高校生の顔はなく、直ぐ誰々と分かった人、一瞬見分けがつかず名前と顔が一致するのに苦労した人様々でした。談笑が始まり高校時代を懐かしく思い出し、ああだったこうだったと語る学友達の表情の中、高校卒業後の半世紀夫々が選んだ夫々の<人生>をしたたかに生き、夫々の志しと思いと知力とエネルギーを思い切り開花させてきたと言う自負をも思わせる夫々の“顔の皺”に、ほんのりと生きてきた私には在る種の眩しさすら覚えた感じでした。同窓会の後皆でカラオケに行きその締めで定番の「高校三年生」を合唱。その一瞬、皆があの幼い高校生の顔に戻っていたように思います。とても懐かしく楽しかった同窓会でした。

『近況・その一』

 この11月2日(土)午前6時20分愛犬(シーズー犬)が亡くなりました。18歳と6ヶ月、人の年齢に換算すると90歳に匹敵します。大往生です。動物を飼ったことのある人達は皆口々に言います。「ペットは“家族”の一員。それ故にその死、その家族との別れは想像以上に寂しく辛い」と。ペットを失うことから来る深い喪失感“ペットロス”と言うコトバが生まれる所以です。この度同じ経験をして始めてその言葉の持つ意味が理解できました。生前その愛くるしい表情と立居振る舞いに、私達家族がどれだけ癒され楽しませ励まされてきたか・・・その一つ一つの場面が走馬灯のように浮かびます。また愛犬は4年前眼の病気にかかり左眼は眼球摘出手術を受け、右眼は白内障になり失明してしまいました。或る女性作家が“イヌは見つめ合うことができる動物である”という一文を読んだことがある、と紹介していましたが、 思えば、大型犬等が散歩で一緒に歩きながら時々飼い主の顔を見上げる場面や、信号待ちの時に飼い主の顔を一瞬見上げる場面、スーパーの出入口の前でドアに向かって忠犬ハチ公のように只管飼い主を待ち続ける姿をよくみかけます。私達の愛犬も失明してしまった後は極端に行動範囲が狭くなりましたがそれでもエリザベスカラーをつけながらよく部屋の壁、襖にぶつかりながら歩いていましたがその姿がとても痛々しく感じました。大事なコミュニケーション手段としての<眼>がなくなった後、私達は出来るだけの声掛けとその体に触れることでその絆を深めてきました。しかし矢張り加齢と病身には勝てません。少しずつ足の筋肉が衰え、数ヶ月前からは立ち上がるのがやっとと言う状態が続く様になり食欲も衰え食事は私と妻二人でなんとか食べさせると言う状態でした。下の世話も続くと言うまさに<老老介護>の日々でした。そして2日の早朝最後の瞬間、彼は妻の腕の中で苦しむことなく静かに息をひきとりました。今遺骨は私たちのリビングに置いています。暫くの間はお家で弔ってやろうと思っています。今のマンションに来て直ぐに家族の一員になったので家中に彼との思い出が染み着いており毎日が寂しいかぎりです。

『近況・その二』

 定年後に読み始めた<司馬遼太郎>作品に少し嵌まりました。数多い<歴史小説>の中でも、北越戊辰戦争と長岡藩家老・河井継之助を扱った作品『峠』と、「維新の三傑」の一人と言われた西郷隆盛が明治新政府と対立し下野し最後は西南戦争で敗北、 自決するまでを描いた『翔ぶが如く』が特に好きです。その影響かどうか分かりませんが少し歴史を齧ってみたくなり3年程前から某大学のオープンカレッジに通っています。カリキュラムも年間通じての同一講座制等とても充実しており早稲田界隈の学生街を歩いていると一瞬タイムスリップした様な錯覚に陥ります。<幕末・維新>をテーマにした講演会やセミナーに出席したり、昨年は司馬遼太郎記念館の交流ツアーに参加しました。又<京都>には及びませんが<東京>はまさに権力者の街です。歴史散策・幕末歴史散策するにはこと欠きません。暫くはこんな生活が続きそうです。


<8組 村崎裕昭>
事務局の皆様、お疲れ様でした。そして、東京12期会に参加のみなさん、楽しい時間を有難うございました。
卒業して50余年を経過し、皆それぞれがいろんな人生を歩んできたけれど、「市岡で過ごした3年間が、人生の中でもすごく大切な時間だったんだ」ってことをつくずくと想いおこす一時でした。
2年後にまた参加できるよう、弱った心臓を労わりつつ、頑張ります。


<1組 上原(旧姓大川)澄子>
「市岡東京12期会に出席して」

今回も出席することが出来て、嬉しく思います。最後にみんなで、「高校三年生」を歌った時、思わず涙が出て来てしまい、それを山田正敏さんに見られました。「お前、泣いとるんか?」と言われ、その言葉が、冷やかしでなく感じられ、うなずきました。
多感な高校時代の、三年間を共有したことは、かけがえのないことと思います。今回出席出来なかった方達とも二年後にお会い出来ますように・・・・
幹事の方々、お骨おり有難うございました。


<4組 川合兵治>
11月7日に72歳の誕生日を迎えた10日後の12期生東京同窓会は、体調が思わしくなかった上に(夜の咳き込みが10日以上も続いていた)、勧めじょうずの重松兄の口車に乗せられて二人で高価かな紹興酒を2本空け(山田兄の予算を裏切った原因の一つ)、その後の流れのカラオケでウイスキーをストレートでダブルを?杯飲んだためか、かなり酩酊していたらしく帰りの地下鉄乗り場まで山田兄に強制連行されるという失態を犯してしまった。幸い二駅乗り過ごしたぐらいで何事も無く帰宅できたが、72歳にして何をかいわん、である。80歳まであと8年ある!!!8年あれば何か出来る!!!今やっている学童指導員は当然続けるとして、囲碁の腕前を磨いて自称2段の山田兄に常に黒石を持たせられるようになる時間も、又、念願の翻訳本出版の夢もかなえられる時間は十分にある!!!気持ちを引き締めなければと考えさせられた夜となった。


<8組 稲田 紘>

 私は東京大学を定年退官した後、2004年から兵庫県立大学大学院応用情報科学研究科に勤務していましたが、昨年の2012年3月に70歳になったため、定年退職し、名誉教授の称号をいただきました。しかしながら、縁あって同年4月から特任教授を委嘱され、講義や博士課程学生の論文指導などを行っています。また、国立循環器病研究センターの客員研究員のほか、二つほどの学会の資格試験の試験委員を務めるなど、それなりに充実した日々を過ごしています。

 現在、大阪の千里ニュータウンに住んでいますが、数年間、東京に勤務していたこともあったことから、市岡東京12期会(以下、東京12期会)に参加させていただいています。大阪に戻ってきてからも、11月に催される同窓会には、ほとんど出席しておりますが、前回の2011年の時は仕事の都合で欠席せざるをえなかったため、今回は4年ぶりの参加となりました。

 我々の学年の同窓生は72歳か71歳ですが、この年代になると余命も限られていると自覚するようになるせいか、いろいろな同窓会に出てみたくなるものです。私も幾つかの同窓会に出席していますが、東京12期会と交番で大阪にて開かれる12期会全体の同窓会を含め、市岡12期会に出ると、在校時のクラスとは関係なく誰ともフランクに語り合うことができ、卒業後50余年の時空を越えて高校時代に戻れる気がしています。東京12期会は参加人数が少なく小じんまりしている分、その感をいっそう強くします。

 今年の第6回東京12期会は、11月16日(土)にいつもの銀座の三笠会館で催されました。私は美味しい中華料理に舌鼓をうち、紹興酒を何杯もおかわりしながら、参加諸兄の近況報告を中心とするスピーチに耳を傾けました。参加者は21名で、その中で初めての参加者が3名ありましたが、初参加の方々とも打ちとけることができました。

 今年の諸兄の近況報告のうち、荒川の川上りに関する報告がありましたが、グループでの行動とはいえ、70歳を超えて新たに挑むチャレンジ精神に敬服しました。私はまだsemiretiredといった状況にありますが、完全に引退して毎日家にいるようになったら、家内から粗大ゴミだの濡れ落ち葉だのいわれかねないので、そうならないためには何をしたらよいのか、今から考えることが時々あります。また、これからいっそう年齢を重ねて行く段階で、高齢者が出しゃばるでもなく、また卑屈にもなることもなく、今後の社会に溶け込んで満足感に溢れた生活が送れるようになるにはどうすればよいか、思案したこともあります。

 今回の参加者諸兄のスピーチを聴いていると、市岡12期生の方々はそれぞれ自分の置かれた環境の下で、たいへんよい歳の取り方をしておられるようで、ややオーバーな表現ながら、私にとっての今後の生き方の参考になる点が少なくないと思われました。

 三笠会館での同窓会の後、これも恒例の2次会のカラオケへとなだれ込み、またまた楽しいひと時を過ごすことができました。このように東京12期会は、いまはやりの半沢直樹流に表現すると、かけた参加費と時間の2倍や3倍あるいはそれ以上の楽しさが返ってくるといっても過言ではなく、また次回に参加することを楽しみにしながら帰阪の途についた次第です。

 なお、末尾ながら、東京12期会会長の大石橋宏次君ならびに今回の幹事役をお務めいただいた山田正敏君に深く感謝致します。



<2組 佃(旧姓岡本)富江>

 昨日「スヌーピー展」から帰ってくると、「お母さーん、ファックスが来てるよー、めずらしいねー」… こんな生活です。
友達との集まりがなくなると、手帳もいらなく、カレンダーに忘れてはいけないことを書きこんでおけば済む。

 そんなわけで、HPにしゃれたひと言なんて、ムリ。
こういう私でも、同期会は嬉しい時間です。これもひとえに皆さんのお心遣いあっての事なのですが。




<4組 重松清弘>
私の近況(2013年11月)

 かねてよりの心積もりどおり、昨年70歳になりましたので、これからは妻との時間を大切にしたいという強い思いで、これまでのサラリーマン生活を卒業することにしました。今までは、皆さんと同様、9時から5時まで、土日祝日以外の勤務を48年間やってきたわけですが、月日はあっという間にすぎ、気持ちだけは若くと思いつつ、過ごしてきましたが、改めて70年間経ったのかと感慨深いものがあります。

 これからは妻と一緒に充実した日々がおくれるよう心がけて参りたいと思っています。



<8組 榎本進明>

 今回の東京12期会では「ご学友」と「まあまあだ」という言葉が会話のあちこちで聞かれたのが耳に残りました。

 まず「ご学友」については、8組稲田君の紹介状を持って、とある大学病院の心臓外科を受診したときに高名な教授の先生が「あ、稲田先生の『ご学友』であらせられますか」とご丁寧な応対をしていただいたと言うお話を私がしたのがことの始まりでした。それから「よ、ご学友」と言ってお酒を注いだり、「いいご学友に恵まれた」とか「よ、ご学友、元気か」とか会話のあちこちで流行となりました。今回の12期会が何か新鮮に感じられたのは新語?のやりとりがあったことも一因だと感じました。ちなみに病気(不整脈)が完治したのは言うまでもありません。

 次に「まあまあだ」は二次会のカラオケで受けに受けた言葉です。歌い終わって拍手喝采のあとに出た言葉が「まあまあだ」でした。この言葉は実に味わいがある言葉で日本人気質が出ていて和ませてくれました。公平感もありいろんな解釈もあって笑いを誘いました。

 二次会もあっという間に終り6時間超の12期会もお開きになりました。それから三々五々家路に着きましたが、別れ難く喫茶店(お酒はもう飲めないので)でコーヒーを飲みながらだべり、家に着いたのは10時を過ぎていました。ああしんどかった。楽しかった。ありがとう。
 


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