12期の広場

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巻頭コラム

終活?・奥神鍋にスキー

8組 榎本 進明
 2月13日横浜を出発して奥神鍋に向かいました。
天気は良く途中の富士山は今までになく素晴らしくきれいでした。
 京都で山陰線に乗り換えて、福知山で大阪からの列車に再び乗り換えて江原駅に。そしてバスで山田に到着しました。
 バス停からすぐの「ニューみちや」が今日の宿です。荷物を置き早速レンタルスキーを借りてゲレンデに。リフトを2本乗り継ぎさっそうと滑降する・・・というイメージでしたが、1本目のリフトを降りたとたんにスッテンコロリン。20年ぶりとは言え、「こんなはずではなかった」と頭の中は真っ白。起き上がるにも滑って起き上がれない。まるで初心者と同じ格好でショックをうけました。
 リフトのおじさんも切符を買うのにもたついていると「いいですよ」と言ってタダで乗せてくれました。2本とも。よほど爺サマに見えたのでしょうね。
 もう何時間も滑ったかのように疲れたので、そのままスキーを返却して宿に戻りました。泊り客は一人だったので大浴場にはお湯はなし。近くの温泉まで送ってくれて疲れを癒すことに。
 散々なスキーとなったが、やはり温泉が似合う自分を再発見。1時間ほどで迎えに来てくれました。
 宿に戻り、奥神鍋まで来た目的である「猪太郎いたろうさん」にお線香をあげることができました。
中学、高校、大学と永きにわたりお世話になりました。当時は民宿で、ご主人の名が猪太郎さんでした。最後に訪れたのが昭和39年の1月か2月でした。4月から大阪を離れて長野県に就職するので、これが最後だと思い一人で出かけたのでした。
 市岡の山岳部では、スキー合宿の時に興梠君がスキーの先端を折ってしまいました。部員全員で雪を掘ってその先端を探したのですが見つかりません。そして雪解けの頃に猪太郎さんが見つけてくれて興梠君に届けてくれました。当時は宅急便もなく、その親切に感謝したことも思い出です。
 今は、お孫さんが旧母屋は取り崩し、少し離れたところにロッジを経営しています。夕食は広い食堂で、ご主人とお手伝いに来た親戚の人と3人ですき焼きを囲みました。懐かしい話にお酒も美味しく時間の経つのを忘れてしまいました。
 翌14日も滑る予定でしたが、急遽、引き上げることにしました。ご主人が江原駅まで送ってくださったので、大阪までの特急に乗ることができました。そして、西宮名塩で途中下車。張君が迎えてくれました。
そのまま旧福知山線廃線跡を案内してくれました。約5キロの道は武庫川に沿って武田尾まで続いています。景観もさることながら、ズーッと話し通しでした。昨日は単独行で口数が少なかったので、楽しい散策でした。

武庫川がこんなに奇岩が多く急流であるとは思いもしなかったです。
 そして宝塚で夕食をごちそうになり、彼のご自宅で一泊させていただきました。大変お世話になり有難うございました。 
 
 そして、大阪では難関の“終活”がありました。和歌山県にある「墓じまい」です。頭が痛い相談となります。
弟と妹に了解を得る必要があるからです。遠くてお墓をお守りするのが困難になっています。でも、原則賛意を得たのでやれやれ。妹宅で泊り、翌16日に横浜に帰りました。
 しかし、終活はまだ残っています。満州時代からのお付き合いの方が富山に居ます。「早く行かないと」と思いながら、もう何十年もお会いしていません。書類等を捨てる終活は一人でもできますが、一言お礼を言いたい人に会うことの終活は春以降に行おうと思っています。

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