12期の広場
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2025年7月1日
ひろばリバイバル
ブータン紀行 (1)
前号にご紹介したブータン王国の山旅についてこれから3回に分けてご案内します。
折しも今週(11月13日の週)は先月結婚式を挙げたばかりのワンチュク国王夫妻が国賓として来日され、新婚旅行とは名ばかりで親善や被災地のお見舞いに忙しいご様子を報道で見られた方も多いかと思います。あらためて遠くて近い国の印象を強めました。
さて今度の山旅の起点はブータンの古都パロだが、日本からの直行便は無く、バンコクに半泊しての長いフライトになる。観光政策と自然保護の両立のため、入国にはビザと一人一日当たり200米ドルのデポジットを課してコントロールしている。200ドルはホテル代、交通費のほか国内での安全保障にも充てられるので法外と云う訳ではなさそうだ。
2006年当時、ブータン国営航空の国際便には2機の大型機しか無く、そのうちの真新しい120人乗りエアバスで4月26日にバンコクを飛び立ち、ヒマラヤの山肌をかすめながらパロの河原の小さな飛行場に無事到着。
空港ビルは簡素なものだが、伝統的なデザインと清潔さが良い。入国手続きもその場で手早くビザが発給され、幸先良い旅を約束してくれるようで印象が良い。出口で迎えてくれたガイドのリンジン君は立派な体格でハンサムな好青年。民族衣装で正装の黒無地のゴ(ドテラを短くしたようなもの)を着用し、流暢な英語(公用語として小学校から習う)でてきぱきと案内してくれる。さすがに車はおんぼろだが日本製で運転も安心できる。
パロの町の全景を見渡せる高台にあるホテルは広大な敷地に山小屋風のロッジが点在し、翌日からのテント暮らしを控えた身には贅沢な初日となる。夕食はさっそく地元の名物を試す。聞きしに勝る唐辛子料理のオンパレードで、旅行者用に辛さは和らげてあるというものの先が思いやられる味だ。
トレッキング第一日:パロ‐ドゲゾン‐シャナ(Camp 1)
春とはいえ標高2300メートルの朝はかなり冷え込み、気持ちよく晴れた空に遠くの雪山がまぶしい。今日のリンジン君のいでたちはシェルパらしい山支度で気分も盛り上がる。車でパロ川右岸を15キロほど遡り、トレッキングのスタート地点のドゲゾン村に着くとすでにコック二人、馬方二人、馬九頭が大量の物資をそろえて待っている。ガイドと我々の3人をふくめ大キャラバンで豪勢な大名旅行の始まりだ。ザックひとつの軽装で、清冽な流れに沿ってのんびりと歩く。谷間はやせた畑だが良く手入れされ、日本の農業指導者の苦労がしのばれる。農家は置き屋根をのせた伝統様式で漆喰の白壁が美しい。山腹の森は五葉松や樫の混交林、人家が途絶えるころ左岸に最初の岩山、ドラツェ・ガン(5570メートル)が荒々しい姿を現す。
初日は5時間半歩いて、Camp 1となるシャナのテントサイトに着く。先行したリンジン達がすでに設営を終え、熱いチャイを振舞ってくれる。三角テントは二人で使うには広すぎるほどで快適な住み心地、日暮れ前にはキッチンテントに全員が集まりご馳走をいただく。旅行者の我々にはスープ、豚肉と野菜の煮込み、茹でアスパラ、サラダに赤米などだが、皆はヤクの腸詰め、チーズや例の唐辛子を野菜代わりと称して旨そうに食べている。少し分けてもらったが昨日の数倍の辛さ、しかし慣れると旨そうだ。
第二日:シャナ(C-1)‐タンタンカ(C-2)山の朝は早い。6時前にはモーニングチャイが運ばれてきて、寝袋に入ったまま甘味に目を覚ます。次いで洗面器に熱い湯が充たされ、テントに居ながらにして顔を洗い、歯を磨くと云う贅沢だ。
馬方とコックにテントの撤収をまかせ、リンジン君の案内で三人で早発ち。
しばらく行くと谷の様子が変わり、高木にサルオガセが絡まり屋久島の雲霧林のような雰囲気だ。標高が3000メートルを超すとトウヒが増えてくる。突然粗末な石造りの茶店が現れひと休みとする。なぜか中国製のビールが置いてある。
この辺りにはチベットに通ずる峠道が多くあり、ラサからの密輸品らしい。
中国・チベットの紛争でブータンは中立を保つため神経を使っているが、昔ながらの交易路でこの程度はお目こぼしのようだ。
パロ川は段々と渓谷らしく細く急な流れになり、材木を渡しただけの橋で渡捗を繰り返しながら高度を上げる。昼飯は若いコックがこしらえてくれた三段重ねのアルミ弁当、赤米とおかずが二品で結構いける。
強い日差しに照らされながら黙々と歩くが、高度のせいかピッチが上がらずリンジン君に置いてけぼりにされる。川沿いの道は分かりやすく問題は無いが、アップダウンの連続に音をあげかけたころにようやくC-2のタンタンカが見えてくる。標高は3500メートル、樅の林に囲まれた平坦な良いサイトで熱いチャイに救われる。
今日の行程は20キロ強、8時間を超える歩行に疲れて、食事もそこそこに寝袋にもぐりこむ。
第三日:タンタンカ(C-2)-チョモラリ・ベースキャンプ(C-3)
今朝も快晴。プレモンスーンの良い時期を選んだとはいえ、連日好天に恵まれラッキーだ。7時の気温は3℃、暑い日中との寒暖差が激しい。
ダケカンバやシャクナゲの大木が混じるようになった樹林帯を抜けると、灌木帯の草原に出る。しばらくすると高山域に入ったようで植生も乏しくなり、赤茶けた土くれと石ころの殺風景な景色に代わる。パロ川も水量が減ってせせらぎとなり、ヤクが水を飲みに来ている。山の斜面には放牧されたヤクの踏み跡が綺麗な網目模様を描いている。
息を切らしながら歩を進めると手前の尾根からツェリム・ガンの頭が見え、次いでヒマラヤ襞が美しいジチュ・ドレイク(6850メートル)が顔を出す。さらに行くとゾン(砦、寺院)の廃墟の奥にお目当てのブータンヒマラヤ最高峰のチョモラリ(7315メートル)がどっしりとした姿を現す。
遂にあこがれの「白い女神」に対面でき、感慨もひとしおで夕暮れまであかず眺める。星の降るキャンプサイトで、到着を祝うお酒とご馳走が振舞われるが高山病の初期症状で食欲が無いのが口惜しい。
明日は一日停滞日としよう。
トレッキング第四日目以降は次回に続きます。
ブータン紀行 (2)
多難の年を越し、2012年が平穏な年であるよう祈ります。
辰年の初めに「雷龍の国・ブータン」の山旅紀行を綴るのも、何かの縁を感じています。
トレッキング第四日:チョモラリBC(C3)
今日も快晴。三角テントから顔を出すと真正面の「白い女神・チョモラリ」に朝日が射し、ヒマラヤ襞がモルゲンロートに染まってこの上ない美しさだ。それに比べて体調は最悪、高山病で脳がふくらんでいるのか頭痛と吐き気に悩まされ今日は休養日ということにする。
相棒は前年のヒマラヤ経験から高所順応がうまくゆき、キャンプサイトから頂上につづく尾根歩きを試してみると云う。フラフラしながらも後を追って、ヤクの踏み跡を辿りながら4,769メートルの峠まで上がる。眼下にはエメラルドグリーンの氷河湖をのぞみ、絶景ポイントだ。すぐ先には雪をかぶった5,150メートルの小ピークが誘っているが、息切れで気力もわかずテントに戻ることにする。
昼、夕とも食事をパスしてひたすら水を飲む。持参したパルスオキシメータで血中酸素飽和度を測ると70%台にまで落ちている。腹式呼吸を繰り返すと80%台には戻るがそれでも危険な値だ。アスピリンを一錠。2リットルのペットボトルにお湯を入れ、湯たんぽ代わりにして無理やり寝につく。
第五日:チョモラリBC-ヤクセ(C4)
快晴、気温3度。テント内は霜に覆われている。 休養のお蔭で頭痛は軽減、コックが特別に作ってくれた赤米おかゆを何とか口にする。
今日は行程中の最難所にさしかかるので気合いを入れて出発する。モレーン(氷河上に堆積する岩屑)の急斜面を喘ぎながら登り、U字型の氷河谷をひたすら奥に向かう。やがて勾配が緩くなると、幅広い谷底に細い流れが現れる。ヤク飼いの粗末な仮小屋が二連の氷河湖、ツォフ湖のそばに佇んでいる。
対岸にはヤクの群れがのんびりと草を食み、振り返れば起伏の大きなブータンヒマラヤの白い峰々が、コバルト色の空に映えてまさに桃源郷の趣だ。
ふたたび登りがきつくなり、残雪が現れる。坂を上りきると氷河圏谷の底のような湿地帯。際限のない長い登りに、100メートル歩いては息を整えることを繰り返す。ルート中の最高点4,890メートルのポンテ・ラ(峠)への最後の登りは急な雪の壁で、見上げると雪庇が張り出している。何とか抜けられそうなポイントを見つけ、ステップを切って、やっとの思いでせり上がると眼前に峠の雪原が開ける。ガイドのリンジン君に記念写真を撮ってもらい、しばし最高点からの眺めを目に焼き付ける。ところが疲れと高山病のせいか、二人とも肝心の絶景写真を撮るところまで頭がまわらない。惜しいことをしたものだ。
下りは南面で雪も少なく、難所を切り抜けた安心感で足も軽くなる。それでも勾配はきつく、ヨレヨレで膝が笑いだした頃にヤクセ(C4)にたどり着く。
テントに倒れこんだ途端、睡魔に襲われる。
まわりの騒がしさに目を覚ますと、近くの集落の住民が我々の到着に気がついて集まってきたと云う。ヤクの乳で作った乾燥チーズや、ヤクの毛の編み物、雑多な飾り物、色鮮やかな手織りの布などを売り込もうと云う訳だ。山の民に英語は通じないが身振り手振りで値引き交渉を楽しみながら、珍しい手作りの土産物を調達できたのは幸いだ。夕食を前にこの旅では初めての雨が降り出す。ようやく少し食欲を取り戻す。
めずらしく昨夜はかなり遅くまで雨がテントを叩いていた。濡れたテントはバリバリに凍っているが、谷奥に朝日が届くころには柔らかく乾きはじめる。順調な天気のお蔭で日程に余裕ができたので、ここでもう一日停滞することにしておかゆ朝食のあとはまた寝袋にもぐりこむ。午前中は持参した本を読んだり、CDを聴いて贅沢な時間を過ごす。
午後は馬方の案内で、右岸の山腹をしばらく上がったところにある集落まで散歩に出かける。集落と云っても斜面に二軒のみだが家族の数が多く、昨夕土産物を売りに来た女性の顔も見える。家の外には山から引いた共同水場があり、大量の薪が整然と積み上げられている。家は木造で古いがしっかりした作りで大家族用に大きい。それでも近々さらに家族が増えるとかで、自分たちの手で手際よく一部を二階家に改築中であった。
暮らしぶりを尋ねると、三代六十年にわたり定住していると云うおばあさんと息子夫婦が我々を家に招き入れ、バター茶を振舞ってくれる。室内は薄暗いが、薪ストーブの暖かさと明るさが心地良い。ヤクと馬を五十頭ほど飼ってバター、チーズ、乾燥肉などを里に売りに行き米、野菜などの食料品と日用品を買って生活していると云う。子供たちは学齢になると下の部落に預けるようだ。
山の民の暮らしは極めて質素だが、雄大な自然の中で心豊かに過ごしていることが良く分かる。お茶代をと云っても受け取らず、わずかに日本製の缶詰めや菓子を珍しがってくれただけだ。名残を惜しみながらテントサイトに戻る。
夕食前のひと時、積み上げられた枯れ木に火がつけられる。谷を吹きあがってくる風で盛大な炎が上がり、思いがけずのボンファイヤー。どうやら焚火は禁止のようだが、頑張って峠を越えてきた旅人へのご褒美らしい。ドテラ姿の親方は恥ずかしがりでいくら囃しても歌わないが、若い馬子とコックが田舎の情景を詩にした民謡を遠慮がちに披露してくれる。我々も下手な安曇節を返す。
満天の星につつまれ、久しぶりに寛いだ夜を過ごす。
第七日以降は次回(最終回)に続きます。
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