12期の広場

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「同窓生を訪ねて」  自然治癒とは何か

8組 榎本 進明
 1月23日(火)は前日の大雪が止み快晴であった。しかし、電車が定刻通り動いているか不安であり、少し早めに家を出る。新大阪駅で7組の張志朗君と待ち合わせているので、遅れることだけは避けたい。半分祈る思いで横浜を出発した。しかし、そんな心配はなく新幹線は定刻通り新大阪駅に着く。20番ホームでは既に張君が待っていた。駅弁も買ってくれていて、一路広島に向かう。
 辻紘一郎君には昨年の11月に東京での12期会で会ったばかりであるが、今回はじっくりと彼から『ツーセル』の話を存分に聞くことが目的であったので、楽しみが大きくてウキウキしていた。彼と同窓会で会っても、いわゆる雑談をしている時に『自然治癒力』の話はでるが、こちらも腰が痛いとかの相談をして名医を紹介していただくのがせいぜいで、即効的なモノを求めていた。中身をほとんど知らないままに別れていたのがもどかしかった。
 今回、彼を訪問して2日間、徹底的に教えてもらって『自然治癒力』の奥深さの穴を埋めることが出来たのは筆者にとっては大きな収穫であると同時に、彼の仕事の偉大さに感銘したことであった。
 考えてみると世の中が進化して病気にかかることも、治ることも、その原因がわかってきている時に、あらためて『自然治癒力』を声高に言われても、『そんなのはわかっている』という先入観があって、それ以上の質問もしてこなかったのであった。今回、筆者の愚問に対しても、彼のわかりやすい説明と『実験からわかった真実』を聞かされて、謎が解けたことで、彼の偉大さを実感したことは幸せであった。
1.不思議な力
 それでは何がわかったのか。不思議な力が解明できたことである。2日目の仕事が終わったお昼過ぎ、彼も客先との打合せのため東京に出張ということで、のぞみ号で話す機会を持てた。そこで、まだモヤモヤしていたことがあったので、『自家と他家』について聞いてみた。
2.自家と他家
 まず、素人の筆者及び読者の方は、自家は自分、他家は他人、とご理解ください。
自分の細胞は安心、他人の細胞は危険。筆者はこのような常識を何となく持っていたのが現状。それは『拒否反応』がある。『がん化』するという不安である。結論から言うと、彼は『世界で初めて』この疑問を克服・解決したのがすごいところである。
 母親が赤ちゃんをお腹に宿した時に、母親と赤ちゃんは『自家』だと筆者は思っていた。実は間違いとのこと。『他家』なのである。『そんな馬鹿な』が本音でした。しかし、彼の中外製薬(株式会社シー・エス・ケー実験動物研究所)での数多くの実験から導いた結論であった。でも、当時は彼の結論を誰も見抜けず・信用せず、社内ではこれ以上仕事を先に進めさせてくれなかった。それでは自分でやってみようと起業した動機となったのである。
 母親はO型、子供はB型、そのような親子がお腹の中で血管を通して栄養補給のため血液が循環している。これは明らかに『他家』の二人であるとのこと。『そう言われてみると・・・・』が本音。しかし、この考え方がベースにあって、現在の膝関節の病気を治すために『治験』に入って、現在、第3フェーズ(許認可の1歩手前)まで進んでいるのが現状。
3.世のため、人のため
 1人の細胞で何万人にも投与でき、病気を治せるのは素晴らしいことであるのは言うまでもない。自分の細胞は自分にしか使えない、というのに比べて、格段に量産性があることが素晴らしい。このような夢に向かって邁進しているのが、彼と50人の仲間達である。ツーセルのオリジナルTシャツにもその文字が躍る。
4.次は脳へ
 残念ながら膝は膝にしか使えないようだ。それで次のターゲットは脳だ、と彼は言う。
脳梗塞の人を助けたいとのこと。元巨人の長嶋さんに右手でキャッチボールをさせてあげたいと熱く語っていたのが印象的であった。神経細胞の再生は、膝と理屈は同じことであるから今から楽しみにしている。
5.五年きざみ
 彼は相当前から自分の体と相談しながら、コントロールしながら、生活をしている。
その習慣は、今から思えばいい習慣となっている。短時間に効率よく物事が進んでいる。しかし、焦っているようには見えないのは、芯が一本通っているせいだろう。
そして、記憶力が全く衰えていないと感じた。メモを取る暇もないようだ。テキパキとスタッフに指示を与えているのを目の当たりにして感じた。
6.量産は自分たちの工場で
 今は量産前なので、いわば手作りで、自分たちで培養して作っている。同じビルの2階にその工場はある。でも生産量は少ない。量産はどうするのだろうと筆者は想像した。ファブレス工場での生産か?と。しかし生産工場は自前でやりたいと言う。喜寿を迎えてこの生命力、ただものではない。やはりその生い立ちにさかのぼらないと一本芯の通った精神力は解明できないのではないか、と思った。
7.絵画が好き
 絵を描くことは、誰かの真似をすることではなく、常識にとらわれないことが重要。 忙しくても絵は相当量を今でも描いている。この『常識にとらわれない』ことが『常識外のこと』をやる原動力になっていることに間違いない。市岡で培った美術部での体験が今でも忘れないと語っていた。それが大学へ、会社での研究へ、そして今に続いているとのこと。ブレがないのが良かったとも語っていた。
8.最後に
 今の我が母校は廃校の危機に立っているのは悲しく思う。これを何とかするには、やはりトップのリーダーシップが必要ではないか?どのようなものかは、その人が考えるべきだが、筆者は『自由』ではないかと思う。辻君は『自由人』だと思ったからだ。彼にあなたならどうする?と聞いてみたが愚問だった。『そんなのわからない』と言われた。いい先輩がたくさんいらっしゃるが、それが今に繋がらなかったら『即効薬はない』と思う。強い運動部は、在校生が、毎年・毎年、卒業していっても、いつまでも強い。
 人間はそこで学んだ全てを持って卒業後も持ち続ける。辻君は今も市岡イズムを持ち続けている。当時の先生の授業中の言葉、考え方、入学式の校長先生の言葉、みな覚えていて、自分なりの咀嚼(そしゃく)を加えて生きている。彼が社員に『常識外』を強調しているのは、一言で言えば『自由人』でないと言えない言葉だと感じ入った
 ツーセルにはいたるところに彼の絵や、オリジナルのTシャツが壁に貼られたり吊るされたりしている。社長室のドアはいつもオープンで社長と話ができるようになっている。『先進的な仕事はこのような環境から生まれるのだなあ』と、後ろ髪を引かれる思いでツーセルをおいとましたのであった。ありがとうございました。


 

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