21期

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高校21期同窓会(2023.11.23)

【高校21期】同窓会のご報告
スカイルームの窓からパレードが終わった御堂筋を眺めながら出席者を出迎えました。
懐かしい顔が次々に笑顔で登場する一方で、見覚えのない顔もチラホラです。
少しの緊張で始まった同窓会は、乾杯の後は打ち解けてあちらこちらで笑顔がこぼれました。
スピーチあり、インタビューあり、ゲームあり。もちろんフォークギターありです。
4人のMCがそれぞれの演出で宴会を盛り上げました。
世話人会の思いが伝わり、実に楽しい同窓会となりました。
出席者の皆さんありがとうございました。
別れを惜しんで30人が2次会へ。貸切のお店は満杯!。こちらも大盛況でした。
皆さんお疲れ様でした。帰り道にながめた御堂筋のイルミネーションは綺麗でした。
/世話人会一同
 
会えるときには会っておかないと
 同窓の親友が亡くなった後にコロナが始まり、ショックが大きい日々を過ごしていました。そんな折に同窓会の案内をいただき、会えるときには会っておかないとと思い参加しました。
 当日は、小学校・中学校とずっと同じだった懐かしい友人達と会えました。同じクラスになった人達とも出会えたり、多くの方々とも語り合えて本当に楽しい3時間があっという間に過ぎ去りました。数学の浮舟先生も、ご体調がすぐれない中でもご参加くださいました。
 美味しいお料理とともに、懐かしいフォークソングの弾き語りやオカリナの演奏があったり、それぞれの想いのお話があったり、クイズ大会やじゃんけん大会があったり、盛り沢山の賑やかで楽しい場がたくさんありました。最後に校歌をみんなで歌ってお開きになりました。
 竹内さんをはじめ幹事の皆様方のお力で実現したことに心から感謝申し上げます。素晴らしい同窓会を企画、運営していただきましてありがとうございました。
 区切りの同窓会とお聞きしましたが、是非またこのような同窓会を開催していただきたいと思いました。
 本当に楽しい素晴らしい同窓会をありがとうございました。
(3年5組 森本 雅子)

 

会計史研究の道を拓いていただいた市岡の先輩のこと
 先日は久しぶりに21期の同窓会に出席させていただきました。出席者のうちには、昔の面影が偲ばれる方、また、そうでない方など、さまざまでしたが、皆さんそれぞれに卒業後50年を超える歳月を有意義に積み重ねてこられたと拝察させていただきました。
 小生の方は、2016年に神戸大学、2021年に国士舘大学をそれぞれ定年退職し、以後は講義や会議などから解放されて「年金暮らし」に入りました。公的年金の支給額は予想通り少ないですが、時間的余裕だけはできましたので、家内との旅行や、単身での「乗り鉄」の旅、あるいは、「呆け予防」を兼ねて大学院の学生時代から専攻している会計学、特にその細分野である会計史について原稿をまとめたりしています。
 竹内さんから何か一文をというご依頼をいただきましたが、同期の皆さんとの思い出というよりも、自身の人生に大きな影響を与えていただいた市岡の先輩のことについて記させていただきます。
 大学紛争が続いていた1969年に神戸大学経営学部に入学した当初は公認会計士の資格取得を目指していましたが、受験勉強をはじめてみると会計学そのものにあまり関心がもてず、その道は諦めて、高校時代に世界史が好きだったこともあり、きわめて幼稚な内容でしたが、会計史をテーマに選んで卒業論文を作成し卒業しました。そして、指導教授の勧めもあり、ややモラトリアム的ではありましたが、1973年に大学院に進学することになりました。
 1970年代は、会計史の研究者は国内でも海外でもきわめて限られていました。また、隣接する社会科学である経済学における経済史、経営学における経営史のようには、会計学における会計史は学問分野として確立されておらず、先行するアメリカでもようやく専門の学会が設立された程度であり、まして日本の学界では「海のものとも山のものとも知れない」という状況でした(今でもなおきわめてマイナーな分野であることに変わりはありませんが)。
 さて、単に歴史が好きだからといって、会計を歴史の視点から研究することができるわけでもなく、学部学生の後半は卒業論文の作成を兼ねて、我流ながら大学図書館で国内外の会計史を取り上げた文献を借り出して読んでいました。その過程で、国内で会計史にかかわる研究成果を積極的かつ継続的に公表されている現役の研究者が少数ですがおられること、特に関西には関西学院大学商学部教授の小島男佐夫先生がおられることを知りました。
 大学院の講義は、通常であれば当然に神戸大学の教授が担当するはずですが、小生が進学した当時は、大学紛争の中で、簿記講座(会計学第一講座)の教授が学部長、学長事務取扱、さらに学長に就任されたので学部・大学院の教育の現場から離れられ、そのため、神戸大学で経営学博士の学位を取得されていた関係か、1972年から3年間だけですが、先に述べた小島先生が、非常勤講師として、大学院の簿記のコア科目を担当されておられました。そして、先生が講義を担当された期間のうちの2年間が、小生の修士課程(博士前期課程)の在学期間と重なることになりました。
 先生の大学院での講義は、簿記そのものというよりは、やはり精力的に研究されていた会計史、特に簿記の歴史に関するものでした。他の受講生にとっては多少のとまどいを感じさせる内容であったかも知れませんが、小生にとっては、それまで書籍や論文の上でしか触れることのできなかった小島先生の会計史について自分が在籍している大学で「生」で受講できたことは、神戸大学の教学人事による偶然の結果とは言え、きわめて幸運なことでした。
 当時の大学院は、大学院大学化(大学院部局化)を経た現在のような文科省による定員充足の締め付けがあまりなく、入学者も比較的少なく、講義も少人数で、振り返れば非常にゆとりのある教育環境でした。授業を受ける傍ら、小島先生とは、短期的には修士論文、長期的には博士論文の作成を視野において、会計史の研究をどのように進めていったらよいかなどを、神戸大学での講義の後、場合によっては関西学院の先生の研究室で、さまざまな相談に乗っていただきました。また、雑談の中で、先生が大阪市此花区西九条の生まれで、旧制市岡中学の卒業生(旧制25期)であり、小生から見れば市岡の大先輩であることもわかりました。
 その当時、会計史研究を志向する学生は、神戸大学の会計学専攻の大学院学生の中で稀であり(おそらくは先生の本務校であった関西学院大学でも同様)、また、市岡の後輩であったこともプラスに影響したと思いますが、会計史の研究者として何とか育ててやろうというお気持ちを持たれて、関西学院大学の学生でないにもかかわらず、非常に親密に指導していただきました。そして、1975年に神戸大学経営学部の助手に採用されたときは非常に喜んでいただきましたが、採用の背景には小島先生の働きかけもあったと聞いています。
 専任講師時代の1980~1981年、助教授時代の1984年に長期の在外研究に出る機会を与えられました。博士論文を作成するために必要な会計関係の史料を入手することが主たる目的でしたが、その際にも、先生がそれまでに構築されてきた海外の会計史研究者との人的ネットワークに基づき、有力な研究者を紹介していただくことができ、また、欧米各地の図書館や博物館・古文書館へもスムーズにアクセスすることができました。
 在外研究にあたり、先生からは、「むこうで勉強する必要はない。日本に帰ってからでも勉強はできる。それよりもできるだけ多くの研究者に会い、また、多くの美術館や博物館などに行って、現地の文物に触れてきなさい。」と言われました。それは、欧米で作成された会計史料を読み解く上で必要な基礎的な「教養」(コモンセンス)を身につけてきなさいという趣旨だったと思います。
 先生は、1981年に関西学院大学を定年後、近畿大学に移られて1988年に退職された1年後に76歳で亡くなられましたが、亡くなられるまで英文による会計通史の執筆を続けられていました。
 小生が、これまで曲がりなりにも会計史というテーマで自由に研究を続けて来られたのも小島先生の指導に負うところが大きいですが、このような先輩との縁(えにし)をもたらしてくれた旧制中学から現在に至る市岡の歴史と伝統に感謝する次第です。
  個人的な思い出かつ冗長な文章となり恐縮ですが、一文を記させていただきました。
 最後に21期生の同窓会を企画・運営していただいた竹内さんをはじめとする皆さんにお礼申し上げます。また、平均余命を考えればわれわれにはまだまだ残された時間があると思います。同期の皆さんもお元気でご活躍ください。再会の機会があれば幸いです。
(21期3年5組 中野常男)

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