12期の広場

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野球と人生

三井健司  4組
 
 名門、市岡高校卒業50周年を祝して発行される記念誌の1ページに、投稿させていただく事に感謝いたします。

 私の人生は、市岡高校公式野球部に始まり、諸先輩方の激励とおだてに乗せられて、母校の甲子園出場を夢に青春の情熱を傾けてまいりました。今振り返ってみましても、先輩、監督・コーチの怒鳴り声が絶えることがなかった厳しい練習風景が脳裏に焼きついております。
 真っ黒になったユニホームと、縫い目の切れたボール、所々裂けたグローブに、ひたすら甲子園を目指した青春の思い出ばかりの、市岡高校イコール野球の学生でした。
 紅顔の悪がき大将も、今は老眼の「皺お爺さん」。しかしこの投稿を機に、若かりし頃の思い出に浸ることが出来ましたことに感謝を致します。高校生活最後の、夏の高校野球大阪予選で、市岡高校の野球部員の一人としてマウンドに立ち、仲間達の応援歌「東大湖の水受けて・・・・・・」を聞き、私が母校の主役になったような気分で、元気百倍の勇気を背に受けてマウンドに立ちましたが、準決勝で力及ばず八尾高校に無念の敗退、甲子園への夢は叶うことができませんでした。
 しかし早稲田大学野球部に入部し一年の秋リーグ戦の早慶六連戦に勝って優勝を果たし、石井連蔵監督の胴上げには加わることができました。
 ひたすら野球に専念した高校・大学時代、先輩・後輩の秩序、縦横の教え、社会に出てからの諸先輩方のお助けも、スポーツをした者ものではないと解らない有難味を頂きました。社会人となり、後輩をもう一度甲子園へ出場の一念から、母校市岡高校野球部員に、野球の楽しさと厳しさ、そこからは無尽蔵に汲みだされる人生の喜びを伝えたく思い、昭和62年及び平成7年、河合監督の手助けをして、子供たちを念願の甲子園に連れてゆくことができ、伝統ある三本線の入った野球帽を全国高校野球ファンの前に34年振りに思い起こさせることができました。
 齢68年を数える今、私には汗と埃にまみれた苦労はもうできようもありませんが、その思い出だけは心に深く残っております。野球から学んだ人生、仕事から学んだ野球人、厳しさの連続の中から出会った先輩方からの教えが、現在の未曾有の不況に立ち向かう私の、力の原点となっていると申しても過言ではありません。私の心には、市岡高校のために頑張った青春、今社会から助けていただいている人生も、野球からの教えの賜物との思いが常に溢れております。  
 社会人として認めて頂ける人生も市岡高校に入学をさせて頂いたから現在の私があります。
 若い後輩たちに一言申上げるとすれば、それは、「青春は二度と戻ってこない!今、君達は何を目標として頑張り、また何を思い出として残そうとするのか?」です。
 
 卒業50年を顧みれば、私にとりまして野球だけが青春の思い出となりました。
 市岡高校の益々の発展と、何か伝統あるスポーツ殊に、私にとりましては野球部が全国制覇を果たすのを、見果てぬ夢として筆を擱きます。

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