12期の広場

12期の広場

母校吹奏楽部の第57回定期演奏会に行ってきました

 4月28日(日曜日)、29日(月曜日)の両日、母校吹奏楽部の第57回定期演奏会が大阪市立住吉区民センター大ホールで開催されました。28日は午後6時開演、29日は午後1時30分の開演で、二日間にわたっての演奏会は、第53回以来、4年ぶりのチャレンジだったそうです。常々、母校吹奏楽部の活躍に注目し、またそれを是非「12期の広場」に掲載したいと思っていたこともあって、28日の初日公演に出かけました。
 
 「満員の観客に支えられて」
 
 梅田から難波に出て、南海電鉄高野線に乗るのは久しぶりのこと。会場の最寄駅である沢ノ町駅までは何故か落ち着きませんでしたが、下車後、演奏会に向かうと思われる人並みにすっかり安堵しました。会場に到着し、開演まで40分もあるのに、すでに400人くらいが行列しているのを見て、今度は大いに驚きました。
 開場は5時30分、定員数800の客席は、すぐにほぼ満席状態になり、6時の開演時には、両側に立ち見の観客がいるなどの盛況ぶりでした。
 観客は子供から高齢者まで実に多彩です。やはり多いのは部員の家族や同窓生・友人、吹奏楽部のOB・OGの市岡の関係者のようで、一般観客の中には他校の吹奏楽部部員と思われる人や、市岡の吹奏楽部に憧れて来たと思われる中学生が目立ちました。後日確認したのですが、二日目もはかったような満席だったそうです。
 定期演奏会は年に1回です。今回が57回目ですから、第1回は1962年ということになります。創立100周年記念誌によると、音楽部の中にブラスバンド部が出来たのが、1960年で、そこから独立してブラスバンド部として創部されたのが、1963年となっています。
 実質的には音楽部内のブラスバンド部が、独立し創部する以前から演奏活動を始めていたとするのが自然で、その第1回を1962年としても矛盾はありません。私達12期の卒業が1960年です。その時に初めてブラスバンド用の楽器を卒業記念品として贈呈しており、翌年13期が同様に楽器を贈り、それらが現吹奏楽部の出発点になったのは間違いないようです。一寸嬉しくなりますね。
 創部以来、概ね60年、吹奏楽部はブラスバンドからウインド・オーケストラに成長してきました。筆者もはじめて知ったのですが、ブラスバンドは主として金管楽器(トランペットなど)による編成で、ウインド・オーケストラは、金管に加え木管楽器(クラリネットなど)が入った編成だそうで、そのぶん緻密で多彩な音色を持つ合奏形態になるのだそうです。
 
 「『聴く人の心に響く音楽を!! 』と、楽しんでこそ」
 
 公演は2,3年生中心、楽器種別11パート、72人編成と、それに元気一杯の新1年生43名を加えた115人編成で行われました。
 第1部は3曲、(『音楽祭のプレリュード』― A・リード 作曲、『管弦楽と打楽器のためのセレブレーション』― J・スウエアリンジェン 作曲、『Requiem』― G・ヴェルディ 作曲)第2部は企画ステージ 『平成最後の市岡ヒットショー』、第3部はディズニー映画曲に乗せてのパート楽器紹介とほか3曲(『Merry-Go-Round』― P・スパーク 作曲、『心の瞳』― 三木たかし 作曲、『富士山-北斎の版画に触発されて』― 真島 俊夫 作曲)でした。
 いずれの演奏も部員の皆さんの心と練習の成果が一つになった音楽性の高いもので、個人的には、第一部の『音楽祭のプレリュード』と第3部の『富士山-北斎の版画に触発されて』に魅了、圧倒され、鳥肌が立ちました。
 プログラム構成全体も、よく工夫されています。『聴く人の心に響く音楽を!! 』との合言葉と客席と一体になって音楽を楽しもうという気持ちがみなぎったものです。
 特に第2部の企画ステージ 『平成最後の市岡ヒットショー』はその真骨頂で、懐かしのメロディの数々に加えて、ダンスあり、コントあり、パロディありのアンサンブルでした。客席からの手拍子と歓声、笑いが一杯、そして大盛り上がり。吹奏楽の生演奏ならではの大迫力と醍醐味に溢れていました。
 会場の入口でプログラムを配布していたのですが、そのすべてに名刺大の手書きメッセージカードが付いています。私が貰ったそれには「第57回定期演奏会にお越しいただきありがとうございます。最後まで楽しんでお聴きください。」との言葉と名前、担当楽器が書かれており、部員皆さんの熱い気持ちが直に伝わります。
 
 「多彩な吹奏楽部の活動」
 
 定期演奏会は、毎年、この時期に行われていますが、新1年生にとっては、初ステージへの挑戦、2年生には吹奏楽部主力への自立、3年生には引退を前にしての総仕上げなど、それぞれの課題への号砲ともなるようです。この後、吹奏楽部の活動の中心は、6月の「全日本吹奏楽コンクール」の地区大会、大阪府大会への出場に移って行きます。地区大会をクリアーした大阪府大会では、近年、金賞を連続受賞するなど、安定した好成績を残していますが、関西大会への出場は、出場枠の数の制限に阻まれ2015年以降、実現していません。関西大会の先に全国大会があるわけですから、コンクール出場のハードルは非常に高いようです。また部内でも、ブラインドオーディションを行うなど、コンクール出場者55人枠決定のための厳しい選抜があります。
 コンクールを終えた後の8月に、「ファーストコンサート」(昨年は淀川区民センター)、9月に3年生を送り出すための「ファミリーコンサート」(昨年は住吉区民センター)を主催し、それを縫うように、各種行事への招待出演や賛助出演を10回程度こなしています。昨年度の記録を見ると、10月28日の「天保山まつり」に始まり、11月27日の「第3ブロック音楽会」までの一か月の間に、さらに2回の演奏を行うなど、息を付く暇もないのではと思われるほどの活躍です。また、これらを学校や、指導スタッフ、OB・OGの支えがあるとは言え、すべて吹奏楽部の部員自らの力で計画・組織し、実行・運営していると言いますから驚きです。
 
「全員が奏者、マネージャーなしの自主的運営」
 
 定期演奏会の後、お願いして吹奏楽部部長の森下遼君(トロンボーン担当)、副部長の菅原ひかりさん(打楽器担当)、同じく副部長の河口莉緒さん(サクソフォーン担当)、金管セクションリーダーの松野美妃子さん(トランペット担当)、木管セクションリーダーの上原誠実君(クラリネット担当)の5人の3年生から色々なお話を聞かせてもらいました。
コンクールへの練習の厳しさに集中。それを繰り返す中で音色が洗練されて行くのが新鮮で感動的です。
そのすべてをここには書けませんが、そのどの言葉も115名の部員と共に市岡の吹奏楽を作る自負と喜び、そして責任感にあふれるものでした。
 二日にわたる定期演奏会は、このメンバーでは初めての経験です。練習は勿論、気持ちと体力への負担が相当大きかったはずですが、それを「満席のお客様に楽しんで頂き、また自分たちも楽しんで最後まで吹けました」と笑顔で言い切る姿が清々しく印象的です。
 吹奏楽部はピッコロ、フルート、オーボエ、ファゴット、エスクラリネット、ベークラリネット、アルトクラリネット、バスクラリネット、テナーサクソフォーン、アルトサクソフォーン、バリトンサクソフォーン、トランペット、ホルン、トロンボーン、ユーフォニアム、チューバ、コントラバス、パーカッションなど、20余種の楽器と100名を越える大編成です。部員の出身中学を見ても南は和泉市、北は池田市などの大阪府下全域に広がり、楽器経験も当然のように様々です。さらに言えば、学業とクラブ活動の両立が原則の公立高校ですから、練習時間をはじめさまざまな制限があります。楽器の数も十分とは言えないようで、クラブ所蔵の楽器を中心に、個人所有の楽器や一時借用した楽器でまかなっているそうです。専用施設や有名楽器を潤沢に揃え、専用バスまでを持つ有名私学吹奏楽部との環境のハンディキャップは実に大きいと言わざるを得ません。

 このような条件をクリアーしながら、府下公立高校で、トップクラスの吹奏楽部として活動している訳ですから、練習や演奏会とその運営での自主的努力と創意工夫やチームワークは、大いに称賛されるべきものと言えそうです。演奏活動の運営と大部隊を動かす手法やノウハウは、代を継いで先輩から教わり、それを確実に体得してきたはずです。
楽器11パートの皆さんです。ともに楽しみ、競い支え合うかけがえのない仲間、チームワークは抜群です。
しかし、新入生を迎え、絶えず 変化する部員の人間関係やチームワークだけはその都度、愚直なまでのコミュニケーションとぶつかり合いを繰り返すことによって築いているようです。そしてそれが、深く貴重な"生きた学び”として実を結んでいるようです。 

「“生きた学び”を通して」
 
 インタビューでの一言を下に紹介します。
 「これだけ部員がいるといろんな意見があって、ぼくらが予想もしていなかったような意見が出てきたり、全然違う方向を向いている新入生もいたりして、それをまとめて行くことは大変だなと思いました。しかし、部長になって思った事は、1年生の頃には全然そういうところが見えていなかったことです。先輩方もいろんなことがあって頑張って来られたのだなと思い、最後まで頑張ろうと思っています。」(部長:森下君)
 「副部長の立場で、練習以外に定期演奏会プログラムに載せる協賛の広告をもらいに回る仕事や、演奏会のホ-ルの予約等、外部の人との関わりを持たせていただきました。将来のために良い経験をさせていただいたと思っています。」(副部長:菅原さん)
 「中学校の時から、人に指示をするようなことがありませんでしたが、今は、自分が変わってきたことを実感できています。演奏会を見に来ていただいた人で、よかったよと涙を流してくれる人がおられ、“あぁ聞いてくれる人に届けられる演奏ができているのだ”と思い、そこに携われているということが嬉しいなと思っています。」(副部長:河口さん)
 「セクションリーダーになって一年とちょっと経つのですが、定期演奏会まで、特にこの春前ぐらいまでの期間が一番しんどかったように思いました。でも、自分達が引っ張って行く初めての定期演奏会であったので、今ものすごい達成感があります。自分一人ではできない演奏会なので、自分にこれだけの人が手を貸してくれているということに気付きました。17年生きてこれほど感謝の気持ちを強く感じたことはありません。」(金管セクションリーダー:松野さん)
 「セクションリーダーとしてよくミーティングをしましたが、部活全体をどう動かしていくかという立場で物を考えることができるようになりました。集団でしているのだから複雑な形で良い経験をしています。」(木管セクションリーダー:上原君)
 最後に“めざす市岡サウンドはあるのでしょうか”などと、余分な言葉を付け加えてこれからのことを聞きました。
 森下君は「コンクールへの出場と、そこでの成績も重要ですが、部員全員が存分に楽しむことを大切にしたい」と言い、菅原さんは「モチベーションが下がることがあります。その時こそつながりが重要で、人としてのつながりをより大切にしていきたい」と話してくれました。
 また河口さんは「心を動かせるような演奏をしたい」とめざす音楽について話し、松野さんは「あと4か月で引退ですが、今後につながる何かを残したい」と、これからを見つめています。上原君は「毎年、変わるのでゴールはありません。吹奏楽が生きてゆく糧になれば、自然と演奏も厚みが出るのではないでしょうか。楽しんで行けたら良いなと考えています。」と、ぶれがありません。
 
 部長の森下君をはじめ5人の皆さんから返ってきた的確で冷静な言葉は、自主・自律的に部活動に精進してきた人だからこそ出てくる言葉だと、少々たじろぎながら、感じ入りました。同時にまた、その言葉は、吹奏楽部の部員全員がともに市岡の吹奏楽を作る過程で育んだきずなを示すものとして心に響きました。
 吹奏楽部創部57年の歴史が脈々と受け継がれているようです。
 そして、市岡高校の代表的クラブ活動の一つになった吹奏楽部は、新しい伝統につながる確かな足跡を残しながら、今日も、コンクールや演奏活動、その練習にと猛暑の中、頑張っているようです。

(取材: 張 志朗、 上野 裕通)

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