12期の広場

12期の広場

ブータン紀行 (1)

 泉 信也(5組)

 前号にご紹介したブータン王国の山旅についてこれから3回に分けてご案内します。

 折しも今週(11月13日の週)は先月結婚式を挙げたばかりのワンチュク国王夫妻が国賓として来日され、新婚旅行とは名ばかりで親善や被災地のお見舞いに忙しいご様子を報道で見られた方も多いかと思います。あらためて遠くて近い国の印象を強めました。


 さて今度の山旅の起点はブータンの古都パロだが、日本からの直行便は無く、バンコクに半泊しての長いフライトになる。観光政策と自然保護の両立のため、入国にはビザと一人一日当たり200米ドルのデポジットを課してコントロールしている。200ドルはホテル代、交通費のほか国内での安全保障にも充てられるので法外と云う訳ではなさそうだ。

 2006年当時、ブータン国営航空の国際便には2機の大型機しか無く、そのうちの真新しい120人乗りエアバスで4月26日にバンコクを飛び立ち、ヒマラヤの山肌をかすめながらパロの河原の小さな飛行場に無事到着。

 空港ビルは簡素なものだが、伝統的なデザインと清潔さが良い。入国手続きもその場で手早くビザが発給され、幸先良い旅を約束してくれるようで印象が良い。出口で迎えてくれたガイドのリンジン君は立派な体格でハンサムな好青年。民族衣装で正装の黒無地のゴ(ドテラを短くしたようなもの)を着用し、流暢な英語(公用語として小学校から習う)でてきぱきと案内してくれる。さすがに車はおんぼろだが日本製で運転も安心できる。

 パロの町の全景を見渡せる高台にあるホテルは広大な敷地に山小屋風のロッジが点在し、翌日からのテント暮らしを控えた身には贅沢な初日となる。夕食はさっそく地元の名物を試す。聞きしに勝る唐辛子料理のオンパレードで、旅行者用に辛さは和らげてあるというものの先が思いやられる味だ。


トレッキング第一日:パロ‐ドゲゾン‐シャナ(Camp 1)

 春とはいえ標高2300メートルの朝はかなり冷え込み、気持ちよく晴れた空に遠くの雪山がまぶしい。今日のリンジン君のいでたちはシェルパらしい山支度で気分も盛り上がる。車でパロ川右岸を15キロほど遡り、トレッキングのスタート地点のドゲゾン村に着くとすでにコック二人、馬方二人、馬九頭が大量の物資をそろえて待っている。ガイドと我々の3人をふくめ大キャラバンで豪勢な大名旅行の始まりだ。ザックひとつの軽装で、清冽な流れに沿ってのんびりと歩く。谷間はやせた畑だが良く手入れされ、日本の農業指導者の苦労がしのばれる。農家は置き屋根をのせた伝統様式で漆喰の白壁が美しい。山腹の森は五葉松や樫の混交林、人家が途絶えるころ左岸に最初の岩山、ドラツェ・ガン(5570メートル)が荒々しい姿を現す。

 初日は5時間半歩いて、Camp 1となるシャナのテントサイトに着く。先行したリンジン達がすでに設営を終え、熱いチャイを振舞ってくれる。三角テントは二人で使うには広すぎるほどで快適な住み心地、日暮れ前にはキッチンテントに全員が集まりご馳走をいただく。旅行者の我々にはスープ、豚肉と野菜の煮込み、茹でアスパラ、サラダに赤米などだが、皆はヤクの腸詰め、チーズや例の唐辛子を野菜代わりと称して旨そうに食べている。少し分けてもらったが昨日の数倍の辛さ、しかし慣れると旨そうだ。

第二日:シャナ(C-1)‐タンタンカ(C-2)

 山の朝は早い。6時前にはモーニングチャイが運ばれてきて、寝袋に入ったまま甘味に目を覚ます。次いで洗面器に熱い湯が充たされ、テントに居ながらにして顔を洗い、歯を磨くと云う贅沢だ。

 馬方とコックにテントの撤収をまかせ、リンジン君の案内で三人で早発ち。

 しばらく行くと谷の様子が変わり、高木にサルオガセが絡まり屋久島の雲霧林のような雰囲気だ。標高が3000メートルを超すとトウヒが増えてくる。突然粗末な石造りの茶店が現れひと休みとする。なぜか中国製のビールが置いてある。

 この辺りにはチベットに通ずる峠道が多くあり、ラサからの密輸品らしい。
中国・チベットの紛争でブータンは中立を保つため神経を使っているが、昔ながらの交易路でこの程度はお目こぼしのようだ。

 パロ川は段々と渓谷らしく細く急な流れになり、材木を渡しただけの橋で渡捗を繰り返しながら高度を上げる。昼飯は若いコックがこしらえてくれた三段重ねのアルミ弁当、赤米とおかずが二品で結構いける。

 強い日差しに照らされながら黙々と歩くが、高度のせいかピッチが上がらずリンジン君に置いてけぼりにされる。川沿いの道は分かりやすく問題は無いが、アップダウンの連続に音をあげかけたころにようやくC-2のタンタンカが見えてくる。標高は3500メートル、樅の林に囲まれた平坦な良いサイトで熱いチャイに救われる。
今日の行程は20キロ強、8時間を超える歩行に疲れて、食事もそこそこに寝袋にもぐりこむ。


第三日:タンタンカ(C-2)-チョモラリ・ベースキャンプ(C-3)

 今朝も快晴。プレモンスーンの良い時期を選んだとはいえ、連日好天に恵まれラッキーだ。7時の気温は3℃、暑い日中との寒暖差が激しい。

 ダケカンバやシャクナゲの大木が混じるようになった樹林帯を抜けると、灌木帯の草原に出る。しばらくすると高山域に入ったようで植生も乏しくなり、赤茶けた土くれと石ころの殺風景な景色に代わる。パロ川も水量が減ってせせらぎとなり、ヤクが水を飲みに来ている。山の斜面には放牧されたヤクの踏み跡が綺麗な網目模様を描いている。

 息を切らしながら歩を進めると手前の尾根からツェリム・ガンの頭が見え、次いでヒマラヤ襞が美しいジチュ・ドレイク(6850メートル)が顔を出す。さらに行くとゾン(砦、寺院)の廃墟の奥にお目当てのブータンヒマラヤ最高峰のチョモラリ(7315メートル)がどっしりとした姿を現す。

 遂にあこがれの「白い女神」に対面でき、感慨もひとしおで夕暮れまであかず眺める。星の降るキャンプサイトで、到着を祝うお酒とご馳走が振舞われるが高山病の初期症状で食欲が無いのが口惜しい。

 明日は一日停滞日としよう。

                                 以上

トレッキング第四日目以降は次回に続きます。

“ブータン紀行 (1)” への2件のフィードバック

  1. 八島 平玐 says:

    私の行ったネパールを重ねて拝見しました。ところで、バロの街中の交通事情は、どうだったでしょうか? 道路の舗装は? カトマンズは、相変わらず、非常に遅れており、発展途上の感がなお強い様子でした。
    又、全体の高度が高いトレッキングですが、高山病の恐れは大丈夫だったでしょうか?

  2. 泉 信也 says:

    八島さん

    拙文に目を通していただきありがとうございます。
    貴兄のネパールトレッキングに触発されて旧聞を披露する気になりました。
    当時のブータンの道路事情は首都ティンプーとパロの市街地以外は舗装もなく、車の幅いっぱいの細い道が国の東西を結ぶ程度でした。JAICAの友人に聞くと今も大差はないようです。ただカトマンズに比べると車の数は圧倒的に少なく、信号も一つもありませんが渋滞は町の中心だけです。
    4000メートルを超えたあたりから高山病に苦しみました。詳しくは次回の記録をごらん願います。

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