12期の広場

12期の広場

ふるさとは遠きにありて思ふもの

7組   児嶋 雄二 

 市岡でどんなことを学んだのだろうか、と思い起こそうとしてもなかなか出てきません。ただ、僅かに神沢先生の、日本近代詩の流れを辿る授業で知った、室生犀星の詩集『抒情小曲集』中の一篇「小景異情その二」が、何故か、深い水底から気泡が浮かび上がってくるかのように思い出されることがあります。犀星がこの抒情詩に詠み込んだ寂寥や哀切の想いが、当時、多感な少年期にあった私の琴線に強く触れたせいでしょうか。

 

 ところで、昨今、世間の話題の中心にあるのは、際立つマスメディアへの露出で注目を浴びる橋下徹さんではないでしょうか。私にとっては、かつて勤めた古巣の職場で、市長の椅子に座ってその一挙一動が報道される人物だけに尚更関心があるのです。

 以下は、OB全般の思いではなく、また市長の方針の下に職務を遂行している現役市職員が感じていることでもありません。あくまでも私個人の考えに過ぎないのですが、その行政手法の特色は、こういうことだと思います。

 その第一は、タレント弁護士時代に身に付けた巧みなメディア戦略を駆使していることです。自分が「不都合・不要」と判断した対象をメディアの前で繰り返し徹底的に叩く。社会が閉塞状況にあるだけに、捌け口を求めている人々がこれを見て溜飲を下げ、共感を覚えていく。このように当面の目的とするところを実現し得る環境を整えていく訳ですが、その政治感覚ないし技術は見事と言う他ありません。

 しかし、その手法には社会の多様性を認めようとする姿勢が余り見えません。橋下さんの改革・見直しにかける熱意は認めますが、市民生活に密接に関係することが多いだけに、その実施に当たっては、長期的・体系的な見通しの下に精緻な評価・検証作業をオ-プンな場ですることが必要だと思います。これまでに、このような作業が現実に橋下改革において行われていると聞いたことは有りませんが、いずれにせよ、この点に関わって橋下改革の評価も決まってくることになるでしょう。

 それから、これはよく言われることなのですが、オ-ケストラとか美術館、或いは大阪が世界に誇りうる伝統芸術・文楽とか南港の野鳥公園への対処のように、どうも文化行政が金銭的な収支計算を最重要視して取り扱いが決められているのではないか、と感じます。


 ルヌサンスという芸術文化の大輪の花を咲かせた都市、フィレンツェとメディチ家との関係からもわかるように、そもそも文化芸術は財政支援なしでは成立し得ないものなのです。しかし、文化芸術は都市に品格をもたらし、市民の心を豊にし、多種多様な才能・技術をもった人材を呼び集めて経済活動を含めた都市の活性化に寄与するものです。

 このような文化芸術への冷たいとも思える対応の一方で、橋下さんはカジノの大阪誘致に殊のほか熱心です。モナコとかラスベガスをイメ-ジし、経済活性化に繋げたい意向のようですが、大阪市のような人口稠密な既成市街地の真っ只中にカジノをつくれば、青少年の健全育成へ悪影響を及ぼすなど新たな社会問題を生み出します。高級リゾ-ト地にあるモナコのカジノ等とは立地環境条件が全く異なっており、肝心の経済効果さえもどうか怪しい。

 さらに、橋下さんが市民の喝采と強い支持を得て、あたかも市民から「白紙委任」を受けて市政運営を行っているかのように見受けられることにも危惧をもっています。タ-ゲットにした相手に対して「私は市民によって選挙で選ばれているのだから」と、自己の正当性を強調しますが、選んでくれた市民が、その問題に関してどのような考え、意見を持っているか、を知ることには関心が無いようです。

 少し硬い話しになって申し訳ないのですが、地方自治は民主主義の原点であり、同時にそれは「住民自治」が原則です。この住民自治は「ポピュラ-・コントロ-ル(民衆統制)」によって支えられるべきものです。市民が市長に白紙委任し、観客化してしまっている状態は、民主主義の基底を支えるポピュラ-・コントロ-ル機能が働かなくなっている、と言えるでしょう。

 

 豊中のマンションから山里にある現在の住家に引っ越してからも既に四半世紀になりますが、郷愁からか、生まれ育った大阪市内に戻って人生の最終ステ-ジを終えるのもまた良いのではないか、と思うこともありました。しかし、現在の市長が就任してその行政運営の方向性なり輪郭が具体的に見えてくると、私が思い描く都市像とはかなり異質で違和感を抱くようになりました。さらに、この9月には、混迷する政局の中、いづれも決定力を欠く主要政党が解散、総選挙を意識して、勢いのある橋下さんに擦り寄った結果、橋下さんが掲げる大阪「都」構想を後押しする法律が制定されました。最終的には住民投票に委ねられるとは言え、私の「ふるさと(大阪市)」が地図から永遠に消え去りかねません。

 このように事態が進むとともに、現住の山里に骨を埋めよう、ここも住めば「みやこ」ではないか、と考えるに至りました。そこで、早速、今後の老後生活に耐えられるように床段差の解消、床暖房などの住宅のリフォ-ム工事を終えた次第です。

 

 秋空を赤く染めて夕陽がダム湖の彼方の山の端に落ちていっています。

 ゆったりした時の流れの中、居間からベイ・ウインドウ-越しにこの情景を眺めながら、深紅色を帯びたコ-ト・デュ・ロ-ヌのクロ-ズ・エルミタ-ジュ2006年を口に含むと、仄かな芳香とシラ-種特有の深みのある力強い味わいが拡がっていく。

 その余韻に浸っているとき、胸中に浮かんできたのです。あの詩が、あの犀星の詩が、寂々たる低い呟きのような調べを伴って・・・・・。

 
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれ異土の乞食(かたい)となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや
     - 『 小景異情-(その二) 』
(11月10日記す)

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です