12期の広場

12期の広場

東京市岡会に参加しました

8組 榎本進明

 平成25年7月20日(土)13:00から新宿三井ビル54階で「第54回東京市岡会」が開催され参加しました。それに先立ち9:15~11:30まで近藤太一さん(高校15期 京都市民大学院 教授)が主催するミニツアーにも参加いたしました。今年は「東京愛宕山NHK放送博物館見学会」でした。このミニツアーは毎年恒例となっていて、今では近藤さんの旅行会社勤務での豊富なご経験から発せられる説明に聞き入るのが楽しみになっています。

 案内される先々で「先生」「先生」と呼ばれて、親しみのある人柄にも魅力を感じています。

近藤さん(写真左)の説明を聞く参加者
愛宕山の頂上に湧き水があるのが不思議

 NHK放送博物館のある愛宕山は西郷隆盛が勝海舟と会談、内戦を回避した場所とのこと。標高25.69mの山の上になぜ水が出るのか不思議で、徳川家康は江戸防火のために神社を祀られたとされています。(愛宕神社)

 博物館の中に入ると従業員の皆さんが我々を迎えてくれました。ベテランの若山さん(広島県出身)が我々の案内役で懇切丁寧に説明してくださいました。1925年(大正14年)3月22日東京芝浦にある東京高等工芸学校(1951年東京工業大学に移管)図書館の一隅に開設した仮放送所から日本初のラジオ放送が始まった。同年7月には愛宕山新局舎が完成して本放送が開始されるが、それまでの4ヶ月間マイク1本でニュース、天気予報、音楽演奏、講演、ラジオ劇、など放送された。

富士山頂でラヂオを聴く 1925年(大正14年)
8月
初めての中等野球実況中継1927年(昭和2年)
8月13日

 放送に関する技術的なものからエピソードまで詳細な説明を受けた中で、歌手の藤山一郎さんとNHKの関係は印象に残りました。昭和3年17才のとき独唱で出演したのが始まりで、昭和21年には復員第一声をラジオ「音楽玉手箱」で、また25年~26年に「愉快な仲間」にレギュラー出演、昭和26年「第1回紅白歌合戦」にキャプテンとして出演以来平成4年まで連続43回出演、また昭和26年には終身刑戦犯者の慰問もされました。晩年(81才)には国民栄誉賞を受賞され翌年82才で永眠されました。

戦犯を収容していた戦後の巣鴨プリズン特別警備本部より送られた感謝状。
「熱烈慰問演奏」とあるように日米安保条約締結を記念して斯界大物が連名で自署している。
文面は、「神も人も ききいる妙の 楽の音に あまの岩戸も 開けゆくらし」
昭和二十六年霜月十八日 平和安保両条約批准 国会通過の佳き日

 午前中のミニツアーは地下鉄神谷町駅で終了しました。近藤さんとはひとまずお別れして13:00からの同窓会でお会いすることになります。9:15から立ちどうしのツアーでしたので、近くのカフェで休憩後新宿三井ビルに向かいました。

 受付終了後、しばらくして同窓会(東京市岡会)が始まりました。今年は出席者108名で盛会となりました。幹事さんのご努力の賜物と深く感謝したいと思います。
 

 開会の言葉のあと、卒業50周年にあたる15期の皆さんのひと言ご挨拶、校歌斉唱、そして三浦宏文会長のご挨拶、来賓の前比呂子校長、佐藤同窓会長のご挨拶と続き、山下清泉(ジェームス三木)さんのご発声で歓談が始まりました。三浦宏文会長は12期の三浦孝文君の4つ上のお兄さんです。現在工学院大学の顧問をされています。関西方面の入学者が居ないそうで学生集めが課題と仰っていました。前校長は普通科単位制の定着で成果が出てきたことを話されました。佐藤会長は陸上部、野球部、吹奏楽部の活躍を紹介されました。山下さんの乾杯でのお話はユーモアのあるものでした。後期高齢者の話から「自分は適齢期だ」と言ったら「何を言っているの、使用済み燃料棒ですよ」と奥様が揶揄。その奥様も「栗ご飯を炊くと言ったので楽しみに釜のふたを開けたら普通のご飯だった。栗を入れるのを忘れたらしい」「死んでお詫びをしますがカミサンの口癖だ」「しかしいまだかって死んだことがない」と応酬されたお話を披露。皆大笑いで大きな声でカンパイ、宴会に入った次第です。
 

12期からは山田、中柴、榎本の3人が参加
31期は女子会のよう、突如男性4名が現れた
7期 益田さんのお孫さん・中央・
音大学友の演奏
9期 野球部OBの益原さんは熱血漢、
仕事も現役
6期 山下(ジェームス三木)さんの「渡されたバトン・原発にさよならした町」  今年は作家が多い
15期 渡辺勇三さんの 「夢中で宇宙・探求メモリー」 左は司会の井原さん(24期)
44期 柴崎友香さんの最新刊は「終末カミング」 いつもより少しだけ特別な日
23期 西村誠さんの「平家公達の歌」雅な武士たちの滅びの美学
剣道部OB 左より12期山田君、10期別宮さん(12期別宮信彦君ご尊兄)10期文屋さん
東京市岡会三浦会長(右から二人目)を囲んで同窓会佐藤会長(左)同窓会河村副会長(右)
31期 西田典子さんの独唱 ピアノ伴奏は旦那様 シューベルトの「鱒」他を原語で。
締めは佐藤会長。二拍子から始めて盛り上げていく。何事も終わりよければ全てよし

 会もとどこおりなく「閉会の辞」まできました。5期 根津さんのお話の中に同期の会が京都で開かれて80才で解散することに決まり今回が最後になったと話されました。理由は人数が少なくなり消息不明者も増えたとのことでした。だから永遠に残る同窓会である東京市岡会の意義は大きいと話されたことに一抹の寂しさを覚えて家路に着きました。わが12期は90才まで続けたいなと考えているうちに夢の世界に入りこみ意識がなくなってしまいました。

 以上、写真を多用した「東京市岡会」のダイジェスト版でしたが、ご報告といたします。
 

“東京市岡会に参加しました” への2件のフィードバック

  1. 吉川貞夫 says:

    榎本さんお元気にされておられますか?東京市岡会の当日開催された、近藤太一さんのミニツアーにご一緒させて頂いた吉川です。
    当日は初参加の私をサポートして下さりありがとうございました、楽しい思い出となりました。
    NHK放送博物館の展示物は、天皇陛下の玉音放送のレコードなど、歴史価値のあるものばかりで、短時間では見尽くせないと感じました。
    江戸末期に愛宕山から撮られた写真に、私は感銘を受けました。当時の江戸の町並みが360度のパノラマ撮影されていました。その当時に住んでもいないのに、写真を見て、何か懐かしい想いがいたしました。

  2. 榎本進明 says:

     17期の吉川さんが「12期の広場」を見ていてくれたなんて感激です。ありがとうございます。近藤太一さんのミニツアーは楽しいし、為になるし、歩いて行けるところですし私は大好きです。所用で同窓会には参加出来ない時でも午前中のミニツアーには参加したこともありました。これからも毎回参加する予定です。
     メインである「同窓会」も楽しかったですね。先輩の方々のお元気な姿に驚き、後輩の方々のご活躍に目を見張り、「同期会」では味わえない物がありました。同じ市岡高校であることを喜び、胸を張り、誇りを感じました。大切にしたいと思います。
     吉川さんもお仕事をされていますがどうぞお元気でお過ごしくださいね。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です