12期の広場

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3月の修学旅行 (卒業アルバムから)


阿蘇での集合写真

 高校在学当時の行事で思い出深いものの一つに、昭和34年3月24日から28日までの修学旅行があるのではないでしょうか。(第2班は25日から29日)

 4泊5日の行程でしたが、行きの1泊は列車泊、帰りの1泊は船中泊でしたから、正味の旅館泊は2泊です。24日の夕方の国鉄大阪駅を出発、28日は早朝の大阪港着で、目的地は長崎、雲仙、阿蘇、別府でした。

 第1班は25日の昼ごろに長崎到着、長崎市内観光をして雲仙で一泊、26日は長崎から熊本へ渡り阿蘇観光、宿泊は別府。27日は別府温泉観光、そして高崎山まで足を延ばしています。夕方に関西汽船の別府航路に乗船し、28日の帰阪でした。

 春休みにあたる3月末の修学旅行は、高校生ながらも季節はずれではとの違和感があったのですが、明けて4月からは3年生、仕上げの1年が控えるだけにこの時期しかなかったのかもしれませんね。

 「思い出深い」と書きましたが、実の所、思い出は断片的です。卒業アルバムを片手に書いてみました。

 当時、旅行をすることなど滅多になかった時代のことですから、地図でしか知らない九州までの5日間はたいそうな長旅です。第1日目は大阪駅集合後、普通車両での12時間をはるかに超える車中泊です。聞くところの最近の修学旅行では考えられない「強行軍」。通路に新聞紙を敷いて寝る学友もいましたが、ワイワイガヤガヤ、寝るどころではありません。それが無性に楽しくただただ浮き浮きしていたことだけはしっかりと覚えています。

 長崎はおきまり通り、平和記念像、グラバ-邸、浦上天主堂などの観光。その後、雲仙に入り一泊です。今考えるとそれぞれに語るべきことの多い史跡や名所でしたが、何を見つけ何を感じたのか、はるか忘却の彼方です。

 26日、島原半島からフエリ-で熊本県の三角港に渡り、バスで阿蘇に行っています。

 やまなみハイウェーを一路、阿蘇山へ。草千里や、噴煙をたなびかせる阿蘇の雄大な景色に目を奪われました。

 27日は別府の名所、坊主地獄めぐりと高崎山の猿山に行っています。ごうごうと吹き上がる間欠泉や真っ青な海坊主が記憶にあり、高崎山では「ただ今300匹」の猿の群れにへっぴり腰で餌をやっている個人写真が一枚、残っています。

 アルバムの写真を見ると午後3時前後に別府港を後にしたようです。生まれて初めての船中泊。船の名前は「こがね丸」で、比較的大きな船。他の学校の生徒も乗っていたようです。

 つまらない記憶ですが、船べりの波が湧きあがるように白く美しいのに、飽きず眺めて気分が悪くなりました。翌早朝、眠い目をこすりながらの帰宅でした。

 その他 まとまりがありませんが、幾つかの事を以下に書きます。

 ① 集合写真を見るとコートを着ている男子、女子が目立ちます。3月末の修学旅行だったせいでしようが、私も着ていました。私にとっては初めてのコート、母が初めて買ってくれたおろしたて。ちょっと大人になった気分でしたね。春先、街中でスプリングコートを目にすると必ずといって良いほど、それを思い出します。

 ② 当時、他の学校もこの時期に修学旅行をしていたようで、柔道部の猛者であった同窓生に聞くと「一触即発の喧嘩か」という場面があったそうです。そんな事は全くしらなかったのですが、やはり皆さん、血気盛んな高校生だったのですね。

 ③ 帰りの船に他校の女子高校生も同乗していたのですが、モテモテの某君はその女子高生と夜通し?話をしていていたそうです。これも最近聞いた話で、ほのぼのとした気分になりました。

 ④ 母校の100周年記念史によると、3月が主の修学旅行は昭和45年位まで続いています。それ以降は10月や3月となっており、目的地も信州など九州以外が目立ちます。平成9年からさらに遠距離になり、平成12年は北海道ニセコ高原、平成15年はなんとグアムです。

 さてさて、皆さんは修学旅行のどんな思い出やエピソードをお持ちでしょうか。投稿して下さい。

(文責 張 志朗)



行きの車中泊。誰やここまで来て勉強か!


あちこちから温泉が噴き出しています。(雲仙)


阿蘇山頂の写真と思うのですが。


別府地獄めぐり。

浦上天主堂(長崎)熱心にガイドさんの説明に聞き入っています。


雲仙ロープウエイ前での集合写真


帰りの船上、ほっと一息の先生方

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