12期の広場

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巻頭コラム

質実剛健の殻を破る

8組  上山 憲一 
 
 ウクライナへのロシアの侵攻に加えて、昨年の2023年秋にイスラエル・パレスチナ紛争が突然起こった。特にイスラエル・パレスチナ紛争では、ユダヤ人を中心としたイスラエルのテクノロジーの発展が最近著しく進み、兵器、農業技術のイスラエルによる世界シェアが地球温暖化と共に増大し、周りの人たちの自由度を制限し続けていく。
 イスラエルは、もちろん米国の強力な援助を受けているが、日本を含め世界の他の国が太刀打ちできないほど早い展開でテクノロジーのイノベーションを行っている。私の米国留学時代と、その後のユダヤ人との共同研究や、彼らとの研究上の競争を通して、独特の情報獲得の習慣と歴史の中で堅持してきた発想法の知恵を垣間見てきたので、彼らが何故将来もテクノロジーを牽引していくと感じているのかをこのコラムで紹介したい。
 私自身は1970年の秋に博士号を収得したが日本では職に就けず、米国のブルックリン工科大学にポスドク職を見つけ、ユダヤ人のマリー・グッドマン教授の下でポリマー合成の研究を行うためにその年の暮れに渡米した。米国の中では歴史の古いブルックリン地区は市岡高校旧校区と同様に大都市の一角に位置し、その昔活発なベンチャー企業が生まれた地区であったという点でも同じであり、私自身ブルックリンの町の雰囲気に馴染むのは早かった。研究室には3人のイスラエルからのユダヤ人ポスドクが働いていて、そのうち2人は世俗的ユダヤ教信奉者で、少年時代に受けてきた教育と家庭の戒律「タルムード」による躾の話をよく聞かされた。彼らの話にでてくる躾は、市岡高等学校の校則の「質実剛健」そのものと同じで、内容が曖昧な点もよく似ている。付き合っていくと彼らは時々戒律を臨機応変に破り、神を信じているが自己の経験で信じる神も変化していくという点でも、仏教を信じる私とよく似ていると思った。「質実剛健」の曖昧さもこれに縛られる個人が殻を破り易い校則になっているのだとその時初めて気が付いた。この2人は、私の知る他の多くのユダヤ人と同様、後にベンチャー企業を立ち上げ、結局それぞれに大成功を収めている。
 この大学の2人の卒業生が近くのユダヤ街で操業していたベンチャー企業ファイザー社に 勤め、第二次大戦中、苦心の末にペニシリンの大量合成に成功し、世界の製造を独占した有名な話を聞いている。また、私がいた1970年にも、大学の中の隣の研究室で教授が急死する不幸があり、ユダヤ人のポスドク仲間がその研究室の研究課題そのままを目的にしてベンチャー企業のアルザ社をサンフランシスコで起こし、我々の研究室のポスドクも何人かこれに加わり、その中に先ほどのユダヤ人ポスドクもいた。その後この企業は見る見るうちに大企業に成長し、今はジョンソンエンドジョンソン社に吸収されるなどの経過を身近で見てきた。彼らの成功の秘訣は複数の世界トップ研究者から継続的に高額の講演料を払い質疑応答で先端情報を集めることにあった。また私達の研究室でも上司のグッドマン教授は、ミーティングで討論が行き詰まり中断すると全米の著名なユダヤ人教授に直接電話で相談し、これにより驚くほどのスピードで研究を進めているのを見てきた。その他の例として、飛び級のユダヤ人高校生が夏季に大学院の研究実験単位を取る目的で研究室に
1970年代・ブルックリンのユダヤ人街から見たマンハッタンの夜景
配属されると、単純な実験でも質問があると参考書の著者に電話して答えを貰っているのを見て驚いた。若いうちから直接見も知らないユダヤ人の高名な先生から情報を得ることが許されるルールになっているらしいことをその時に知った。最高の情報を選ぶことにより、最高の知識として記憶し、最高の知恵を生み出す方法として使っている。日本の研究者はこの方法をとることは苦手で、新しい知恵は自身の直接の研究と出版された論文から得る傾向にある。
 ブルックリン工科大学の私達の実験室の真向かいの部屋がたまたま「米国の高分子の父」と呼ばれ、ナチスから逃れてウイーンからスイスへ家族共々脱出する時に、全財産を白金線に変えてレースで覆ったハンガーに服を掛けてスキー客姿で突破したという米国でも有名な逸話をもつ伝説の研究者であるハーマン・マーク教授の部屋だった。部屋の奥の壁一面が細かく仕切られた200個程の書棚になっており、所々に学術雑誌から切り取った論文冊子が入れてあった。その棚を、秘書と言ってもこの人も教授であるが、個々の棚の冊子が増える速度を観察していて、急激に増加して立ち上る瞬間を見つけたならマーク先生に連絡し、マーク先生はこの棚の数個の冊子の塊を一晩で読み、翌日には総説にまとめていた。その総説を一冊500ドルで全米の企業研究者(日本の企業も数社含む)が買いに来ていた。日本のニューヨーク駐在の企業研究者たちは、マーク先生の予想はよく当たるので日本への連絡は欠かせないという話であった。この総説の凄いところは近い将来ブームになることを予想し、豊富な知識と鋭い感性を基にして新規のキーワードを考え出していることにある。私の知るそれまでの総説は、ブームのピークを過ぎたものをまとめて紹介するものばかりで、中心となるキーワードもそれとなく現れたものであった。
 当時、日本が研究でも米国に追いつく勢いであったが、優れた日本の研究のほとんどすべての源泉が日本以外の国にあるという米国の報告書が出たために、日本の多くの大学・企業の研究者は独創的な発想能力を高めるためにKJ法や水平思考法などの訓練を行うなど苦労している時代であった。
 マークの書棚は古代アレキサンドリアの図書館でパピルスの巻物を保存する棚と同じで、
Herman H Mark先生がブルックリン工科大学に
高分子研究所を設立した時期の写真
ギリシャ時代からイスラムの文化圏を経てウイーン、ブルックリンに、常にユダヤ人の間で受け継がれていたことは想像できる。私がその当時マーク先生の好意で読ませてもらったのは「ソーラーヨット」の名の総説で、宇宙旅行のヨットの帆の材質についてであったが、このアイディアは2010年に太陽光子圧ソーラセイル推進装置をもつ惑星間航行宇宙機「イカロス」がJAXAによって打ち上げられたとき、耐熱性ポリイミドの推進帆で日本が初めて実現している。つまり、このアイディアは公の論文に出てこなかったもので、40年の間、一部研究担当者の頭の中に入っていたものであろう。 新しいアイディアは一寸先にあっても簡単に思いつくものでないが、このように我々の知らなかった一歩先を行くリテラシーの方法を受継いで、新規の領域を予想していることを知った。前述のユダヤ人研究者同志がもつ独特の情報交換網を生かして最速のスピードで研究を進めるという方法をも加えると、日本の研究者がなかなかついていけない側面をもつ。これらに対抗するために日本では情報処理の新しいアルゴリズムの開発が待たれる。
 とは言っても、ポスドク仲間であったユダヤ人が揃って信奉していた「タルムード」は、隣人であるパレスチナ人を破滅させることを教えてはいないと思う。また戒律を彼らは厳しく守るより、有効に破ることによって我々との社会生活や研究生活の国際交流の質を向上させてきていることも見てきた。「質実」をモットーにしながらいつの間にかある程度裕福になっているなどは彼らの「タルムード」の教えの真骨頂であるが、ユダヤ人の起業家が深く関与してきたGAFAMの大部分が常に世界制覇を狙っているような印象を与えているのが気になる。

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