12期の広場
12期の広場
2014年10月1日
社会宿題 読書感想文 昭和32年 8月
私は『石ころのうたえる』という本を読みました。この本は『農村青年の生活特集』で山形県白川青年隊の人達が労働で疲れ切った腕に一様にペンをとり、眼をこすりながら、叫んだ人生観、社会観なりを素直に表現したものである。わたしはこの詩のなかから特に自分自身に感銘したものを上げて見て、その感想を綴ろうと思う。
まず最初に「二、三男」と言う詩について述べてみよう。毎日田畑に出て汗水たらして働いて・・・。そのあげくに収入はわずか。このめぐまれない青年達は一体、どの様な生活を送っているのだろうと思う。この「二、三男」を川底の石ころととらえた山形県白川の青年達が村の邪魔者「二、三男」の位置から抜け出す為に、働きながら勉強し、土木技術者として立つ道をひらこうとして山奥の土木現場に行った時、眼の前にころがっている石ころを自分の様に思われたのである。このような詩も書き綴られていた。
ごろごろと石ころが転がっている / 爪先にはじかれても やっぱり石ころは
ごろごろと転げて、ぶつかり合っている
邪魔という、だからはじくという / ごろごろ道はけわしく / 人々の眼をそむけさせ
投げられて消えてしまう
転ばない様に静かに脚もとを見よう / ごろごろの石ころを
道路への 堤防への 石ころの生命を
投げつける前に考えよう / 石ころの価値への / たった一つの明るい希望を
声もなく漂う石ころの唄に / 静かに耳をかたむけよう
邪魔とは言わず / あたたかい掌にのせて
それが重すぎたら / それだけの力をこめて
みんなでかたむけよう
私はこの「石ころのうたえる」を読めば、この農村の「二、三男」の問題について人々が正しくとらえ、この問題を考えようとする心が次第に高まってくるにちがいないと思います。実にこの私でさえ社会の矛盾について深く考えるようになりました。最後の五連に書かれている「あたたかい掌」は実際有りえるであろうか。農村の二、三男の上に、のしかかる社会の矛盾はきびしく、二、三男の心は「あたたかい掌」などありえるはずがないと思う。自分自身を「石ころ」と見ざるを得ない心とは、まさに絶望の心であると思う。何故世の中の人達はこの農村の二、三男の青年達をあたたかい手でさしのべて少しでもゆとりのある生活をさしてあげないのであろうか。
ある青年が「貧乏と金持ち」と言う詩について書いていた。それには貧乏はいやだ、金持ちがうらめしい、毎月の月給が二百五十円で食費やその他の雑用品を使うと残り、いわゆる手取りが二十円位だそうです。がしかし彼らは、貧乏は不正ではない、正しく明るい生活はそんなことを問題なしに解決してくれる、汗と土の労働の中から、明るく正しい貧乏の幸福がしみじみ味わえる身の幸福をと叫んで働いているそうです。
私はこの白川の青年達、いや全国の青年達がこれからもくじけずに新しい道に進まれることを心からお祈りせずにいられましょうか。もう少し世間の人は力添をかしてあげたらよいと思います。
1年生の時の読書感想文!感激ですわ。ホンマホンマ、ヘッヘッヘー
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