12期の広場
12期の広場
2015年2月1日
思い出を綴る(1)
私は現在NHK大津放送局に週2日勤めている。仕事はテレビの午後6時10分から始まるローカルニュースの制作。具体的にいえば、ニュースを取材した記者が送ってきた原稿をデスクが手を加えたものをテレビで放送するために、新聞でいえば「見出し」にあたる「タイトル」や映像の撮影場所、日時のほか、ニュースの内容やインタビューなどを簡潔に文字で表記するための作業をしている。
これまでの人生を少し逆上って思い返すと”放送”になんらか縁があるようだ。小学校6年の時、夏休みを迎える直前のある日のこと。小学校の教室に幾つもの大きな機械が持ち込まれた。機械とは録音機とか集音機のことで、”子ども会議”の模様を収録に訪れたのだった。やって来たのは当時、大阪梅田の阪急百貨店の屋上にあった新日本放送であった。
マイクロフォンを柱のように立てたり机の上に置いたり、収録準備をしていた。そして機械の調整を終わって、耳にレシーバーを付けた人が、”議長”の私に指を差して「議会を始め」の合図「Q」を出した。
多分、顔は強張り、緊張しながら開会を宣言して議事がスムーズに進行したように思えた。この日の議題は「近づく夏休み」だった。各議員からは「夏休みになったら学校の北部を流れる淀川には危険なので近づかないようにしよう」とか、「家では親のお手伝いをしよう」など、”優等生”のような意見が積極的に提案され、すべて全員一致で可決され、収録は約1時間で終了。やり直しはされなかった。
収録後、放送局の人が「放送は今収録した会議の様子を20分ぐらいに編集して、次の日曜日に流します」と告げて引き揚げていった。
日曜日の朝、私は自宅のラジオの前に立ち刻一刻と迫る「放送」に緊張して待ち構えた。いよいよ放送開始。
アナウンサーが「今日は大阪市立浦江小学校の子ども議会の様子を・・・」と紹介したのに続いて、私の声が電波に乗って初めてラジオから流れた。その声は・・・・・
「ただいまからぎだいをはじめます。」と言ったのだった。私は肝が飛び出すほどびっくりした。”議会を始める”と当日言ったつもりが、あがっていて”議題を始める”になってしまった。幸い傍には誰もおらず、瞬間は胸をなでおろしたものの、”放送”なので誰かが気づいているだろうと思い、とてもはずかしい気持ちになったことを今も覚えている。
中学2年生の頃、生徒会の顧問をされていた美術の担当でフランスの印象派の画家セザンヌの影響を受けたという奥田先生に「大淀中学校にも放送設備があればいいですね」と話したところ、その後、何か月かして先生が職員会議に計られた結果、”学校放送”の実現を生み、機材が導入されるに至った。先生の指導を受けて生徒会の役員が交代で昼休みの時間に、校内に音楽を流したり、生徒の呼び出しをしたり一生懸命設備を活用した。当時音楽はLPレコードをターンテーブルに乗せてかけていたが、私は数枚のレコードの中で「ペルシャの市場」が大好きで、当番に当たると何度もこの曲をかけた思い出がある。また学校では、各教室の黒板の上辺りに四角い箱形のスピーカーが設置され、国語の時間だったか、生徒全員が席に着き、スピーカーから流れ出るNHK第一放送の「次郎物語」に聞き入っていた。
余談になるが、この年、奥田先生が私ともう一人の友人と一緒に大阪梅田の御堂筋にあった映画館「梅田シネマ」に招待してくださったことがある。上映していたのは55年米・伊合作の”トロイのヘレン”、一人の女性をめぐってギリシャとトロイが10年も争うという物語のシネマスコープ。この映画に出演していた美しい女優、ロッサナ・ポデスタのにわかファンになったことと”映像”に対する興味を持つきっかけにもなったと思っている。
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石井さん
根っからの放送少年だったと知りましたね。NHKでそれをライフワークにし、今も続けられているのは幸せですね。連載で時代を振り返ることを楽しみにしています。泉