12期の広場

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韓国語の入門コースを終えて

4組  藤田 勝利
 HP委員からの呼びかけに応え、5年目にして初めて投稿します。
 僕の余暇のメインテーマはインドネシア(週1回の勉強会に参加)ですが、時々のサブテーマとして、今 朝鮮をかじっています。
 昨年3月で、インドネシアからの帰国子女への日本語教育支援活動を終了し、ボランティア活動もストップしました。一昨年末に軽い脳梗塞にかかり2週間入院治療したこともあって、体力的に限界を感じたからです。
教科書(表紙)
 代わりに、昨年5月から枚方市の公民館で開かれている韓国語講座入門コースの勉強を始め、3月に一応終了しました。
 30年以上も前に米国に駐在していてニューヨークの焼肉店に入ったとき、『アンニョン・ハシムニカ』と『カムサハムニダ』、以外は英語で話すしかなく、「トナリの国の人と話すのに、なぜ第三国の言葉を使うのか?」ともどかしく感じ、「何時かゆとりができたら、韓国語も勉強しよう。」と決心していました。
 70歳になったときそれを思い出し、記憶力の衰えも自覚していたので、NHKのラジオ講座をレコーダーに録り、聞き流して耳を慣らすことも始めていました。昔の百済の南方(朝鮮半島西南部)に前方後円墳が6世紀ごろに造られていたことを知り、行ってみたいと思ったこともあります。
 新しい文字・ハングルを習得するのには苦労しました。50年ぶりに単語カードをつくり、散歩するとき、バスや電車の中で、テレビを見ながら・・・等々にめくりながら、頭に入れる努力をしました。それで覚えたと思ってもすぐに忘れてしまいますが、加齢に伴う自然な現象と割り切り、認知症の予防になるかと考え、何度も繰り返しています。
前方後円墳(長鼓墳)の一つ、
光州月桂洞1号墳
 週に1回1時間半で37回の授業ですので、あまり上達しませんが、入門コースを終了して分かったことがいくつかあります。既にご存知の方が多いと思いますが、僕にとっては新鮮でした。
 一つは、韓国語にも漢字由来語がたくさんあり、漢字の読み方が日本語とは異なるが、一つの漢字には一つの発音しかないということです。例えば「家族」は『カジョク』と発音し、「家」は『カ』としか発音せず、日本語で『いえ、カ、ケ』といくつもの読み方があるのとは異なります。文字はハングルを使うが、漢字の発音を覚えさえすれば、日本人にとって漢字語の語彙を理解するのは易しいのです。中国、韓国、ヴェトナムを含めての表意文字の漢字の有難さを感じさせてくれました。
 韓国語の固有語でも、日本語になっている単語もあるようです。例えば、ノップダ(背が高い)→のっぽ、ウロッタ(泣く)→うろっとする、のように。
 授業の合間には、朝鮮の伝統行事や習俗、歴史などの話を挟んでくれたので、分かっているようで知らなかったことも、興味深く勉強できました。
 例えば、中秋節(陰暦の8月15日)は、日本ではお月見の日ですが、韓国ではチュソク(秋夕)といい、前後3日が休日であり、帰省シーズンとなる。全家族が晴れ着に着替え、新穀でつくった酒とソンピョン(秋夕特有の松葉、栗、ゴマ、緑豆の入った蒸し餅)や、ナツメ・リンゴなどを、名月でなく祖先の祭壇に供えて祀る。秋夕前後には祖先の墓掃除・墓参りを行う。といったことも話してくれました。
韓国の地図
(光州周辺に古墳がいくつかある)
 また、日本では3月になればひな祭りですが、韓国で3月1日はサミルチョル(三一節)と呼ばれ、三・一独立運動を記念する日であり、この運動に参加して逮捕され、獄中で死亡したユグァンスンという女子学生が「朝鮮のジャンヌ・ダルク」と呼ばれている。といったことも知ることができました。
 駐在したアメリカやインドネシアのことはある程度勉強もしましたが、おトナリの国のことをあまりにも知らなかったことを深く反省しています。
 そんなこともあって、3か月に一度の「三国遺事(新羅・高句麗・百済等の史書)」を読む会と、月に一度の渤海史勉強会にも参加しています。
 新羅から由来した仏教典に、角筆(尖った先端を紙などに押し当てて凹ませ、文字や符合や絵を書く用具)で漢字の読み方を漢字のパーツを使ってふり仮名として使っているのがみつかり、日本の独創と考えられていたカタカナの発生に影響を与えた可能性がある。とのことや、まったく知らなかった渤海(698年~926年)が、日本に33回も遣使を派遣していること、日本も13回遣使していること、遣唐使が中断されている間には、唐の文化を日本に伝える役割を果たした時期があった。例えば、861年に渤海使節により伝えられた唐の長慶宣明暦は、その後江戸時代1684年まで、約800年余も使われた。といったことも知ることができました。
 5月から韓国語は初級になり、初歩的な会話の練習も始まります。少しでも会話できるようになって、古代には文化を受け入れるのが多かった朝鮮に日本から伝わった前方後円墳を見に行ける日が来ることを楽しみにしています。

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