12期の広場

12期の広場

山本さんを囲んでの食事会


 カナダ在住の同窓生、山本久美子(5組 旧姓 古荘)さんが今年も里帰りされました。早速、柏木赫子さんから連絡があり、恒例の食事会を8月30日、京都で開きました。
 山本さんはカナダに永住してすでに40年、オンタリオ州のトロントで元気に生活しておられます。毎年、日本に8月~9月初めの3週間ほど滞在して、日本におられるご家族や旧友と再会され、また日本の各地を旅行されておられます。
 久々に12期の卒業50周年記念文集を開くと、山本さんが書かれた文章にこうありました。『毎年8月に帰国しているので、平面的で荒涼と広がった単調なカナダの風景に比べて、ひっそりと咲いている桃の花や春風にはらはらと散る桜、遠く春の霞に包まれた山々、目前に広がる菜の花畑、赤い夕日に照らされ色彩を深める紅葉、落ち葉と一緒に舞飛ぶ赤とんぼ・・・。そういった細やかでやさしい日本の風景がとても懐かしいです。』
 「山本さんを囲んでの食事会」に私が参加しはじめてすでに十数回になりました。(情けない話ですが、記憶がはっきりしません。ただ今は鬼籍に入ってしまった山元君もいたのでそれくらいにはなるのでしょう)今年もつかの間の関西滞在ですので、それにふさわしい所ということで、京都になりました。
 この日の京都は曇り、特有の蒸し暑さも一時ほどではなく、午後3時、京都南座前に集合して、食事会前のそぞろ歩きを楽しみました。
1年ぶりの再会に皆さんニコニコ
(前列左から二人目が山本久美子さんです)
 参加者は、女性が山本久美子さん、柏木赫子さん、古藤知代子さん、木本みつるさん、男性は川村浩一君、塩野憲次君、川副研治君、田端建機君と私、張志朗の合計9名です。
 集合後、近くの八坂神社から円山公園へ。夏休み最後の日曜日、外国人観光客を含めての人並みは、あいも変わらない混雑です。しかし、公園に入るとその広さや、緑のせいもあってか思いのほか、ゆっくりできました。私は初めての円山公園です。繁華街から歩いて20分程度でこのような“別世界”があるのは、京都ならではのことかもしれないと一寸驚きました。そぞろ歩きとはいえ、名所や歴史のいわれもどこ吹く風のようで山本さんを囲んでのもっぱらのお喋りです。早々に知恩院前を通り、食事会場にいきました。
 食事会場は「京新山」。前の道は石畳で傍に白川が流れ、振り向けば、鴨川です。『もっとも京都らしい雰囲気の場所』(川村浩一君の言葉)のロケーションでした。
 料理は京料理にしました。部屋はお店の心遣いで、最上階の一番良い部屋。障子の向こうに四条界隈一帯と鴨川、その川沿いにずらり並んだ「床」の景色が見下ろせました。
 暮れなずむ古都の風情を独り占めしている感じで、京都に決めた甲斐がありました。
 乾杯後、早速料理に舌鼓、くつろいでのよもやま話に花が咲きます。話題は、齢相応に健康のことから始まり、近況や高校時代の思い出などです。今年も吉田先生の化学の実験でのマッチの擦り方の指導の話で笑いがはじけました。(記憶しておられますか。アルコールランプに火を付けるとき長手方向にマッチをすると、マッチ箱の消耗が早いので、短手方向で摩擦面を短くするべしと指導された事)
 年齢でしょうか、食べる方や飲む方は往時の迫力はありませんが、お喋りだけは瞬時に高校生に戻るものですね。またすでに「老境」にあるようですから、彼我の想いは同じ、それだけに遠く離れている山本さんを囲んでの語らい、笑いがことさら大切に思えました。
 午後9時前、名残を惜しみ、来年の再会を約束してお開きとしました。
 柏木さんから9月5日、日本料理の食材を一杯買い求めて山本さんが無事、離日されたと教えてもらいました。 ( 張 志朗-記)

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