12期の広場

12期の広場

今日までを振り返って。これから願うこと

畠平 雅生(3年6組)

 市岡高校を卒業以来もうすぐ半世紀、五十年に成るのか-。多少の感慨と感傷を持って来年の卒業式への招待を聞いた一人です。
 これを記念して、「卒業50周年記念文集」を発行する。こう決まった時、「人の命なんてたかだか数十年。一瞬の時でしか無く、自然の摂理には逆らえない。人生とは生まれた時から死に向かって歩む旅の様なもの。その流れの中でどの様に過ごすか。これが大切なのでは?」この様な思いを何処かに持ちながら過ごして来た気持ちを表すのに相応しい言葉は何だろう?こう思った時、
青春とは人生のある期間を言うのではなく、その様相を言うのだ。
で始まり、
人は信念と共に若く、疑惑と共に老ゆる。
人は自信と共に若く、恐怖と共に老ゆる。
希望有る限り若く、失望と共に老い朽ちる。
大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大そして偉力の霊感を受ける限り人の若さは失われない。

等々で綴られたサムエル ウルマンの詩「青春」が即座に浮かんだ。

よし、これで行こう。そう思って書き出したのだが、心の片隅でそんな格好付けて良いの?二度も癌を患い療養中の身。更に、年始には母親を見送り、初夏には会社を息子に譲った今の気持ちを本当に表している?いつも前向きに過ごしたのではなく、それ以上に挫折や迷いの中でもがき続けて来たんだよなー。心の何処かで声がします。
仕事や親のことでも一区切りが付き、これからは自分に正直に過ごしたいナーそんな思いでこれからの生き方を模索している今こそ、今日までを振り返ってみるのも一つの方法かもしれません。 
 市岡での高校生時代はどうだったか? 好きな学科と嫌いな学科で成績は両極端で赤点も混じる状態。何とかしようとの向学心もそこそこに大学受験の二学期になってものんびりと過ごし、進学校生としては落ちこぼれ気味でこれと言った思い出も希薄。唯一は、中学生時代から家内に竹馬の友と言われる由縁の清水君を通学途上で誘って通ったこと位か?大学受験も早々に受験会場を出よう。そんな粘りのない態度で国公立の大学に受かるはずもなく、私学へ何とか滑り込む。
 入学当初は、拘束時間が多い工学部を専攻したにも関わらず、授業を適当にさぼって学内の美術クラブへ精勤。これに加えて近畿全域の大学生が集まって組織した学生ボランティア協会(略してS・V・A)には積極的に参加。日米初の衛星放送(ケネディ暗殺事件が中継される)も驚きの内にS・V・Aの活動中に見る等この活動に傾倒し、最低限しか教室や部室にも行かずに学生生活を謳歌する。おかげで教授に頼み込んでやっと卒業させてもらう始末。
 大学生時代の最高のお宝はS・V・Aで共に活動した女性との結婚(彼女にとっては不幸の始まり?)と今も付き合ってくれる友の輪を得た事です。
 卒業後は家業に就くが第一目標を頑固一徹な親父を乗り越えることと定めて仕事に励む。おかげで仕事に就いて数年後に結婚した彼女は夫の会社を手伝わされた上に、仕事一途の夫と子育て。おまけに天動説を地で行く姑に振り回されて結婚前の生活とは大違い。体重が前期高齢者に成った今でも結婚以前に戻らない。とても幸せな結婚生活とは行かなかった様。何とか彼女の体重が結婚以前まで戻ってくれることを願っている次第です。
 30代に入って仕事一筋では視野が狭く成ると誘われてYMCAをサポートして活動する国際組織の奉仕団体、ワイズメンズクラブに入会。会では多くのことを教えられ、今も私の財産に成っています。
この会へは清水君も後日入会。22年前、彼と共に旧クラブを出て新しく大阪西クラブを設立。クラブ会報のタイトルを「みをつくし」として今日に至っているのも市岡高校の影響か?
ワイズメンとして活動する中で日本人の潜在能力の高さを知らされた出来事が有りました。それは阪神・淡路大震災の時です。
『収容人数と同じ数だけ同じ物が揃わないから支援物資は配れない。』
『不在で無駄と判っていても、収容人数と同数の数量と同一内容の弁当を揃えて等々、全てにおいて杓子定規な役所の人間達。』
これに対して臨機応変に現場で対処する茶髪の若者達。
不幸な震災の中でも暴動や騒動は起こらず、規律正しく粛々と復興に向けて取り組んで行く被災者達。この様子を見た時、戦後の復興がどの様に成されたか垣間見た思いがしました。
 取引先や知り合いから株はやらないのかとよく聞かれます。仕事ほどリスクの大きいものは無いし、仕事は自分の身の丈で考えて対応できる。時流や投資対象会社の社業を読むと言った能力や才覚も無い上、不精者の私には向いていません。
 仕事上のリスクと言えば悲しい思い出が有ります。
バブルが弾ける以前には夫婦で交際し、親しくしていた取引先の社長が自分の保険で借金を返済してと遺言を残しての自殺。あの時は自社も危なく、悩んだ末に社員のリストラを行い6kgも痩せた。100年に一度と言われる今回の不況でも取引先社長の自殺。真面目に仕事に打ち込んでいた人が自殺の心境に追い込まれるのは悲しい限りです。
中小零細企業は社会の底辺。景気が良く成ってもおこぼれは最後。その代わり悪くなったら影響は一番に受ける。高齢化と共に物づくりをする高度な技の蓄積や技能が継承されずに虚しく消えて行く昨今。これからの日本はどの様に歩んでいくのか一抹の不安を感じます。
 戦後の復興期から全盛期を経て、衰退期?に入る直前でバトンタッチする我々世代。良い時代を過ごした幸せをつくづく感じています。
 これから歩む時代のことを考える時、ある会合を思い出します。
アジアからの留学生達や社会人として日本で働く人達との食事をしながらの懇談会で、留学を経験した中国人との話です。
「来日して一番困ったことは?」「日本語の習得には苦しんだが努力で何とかなった。ただ、一人っ子政策で甘やかされ、自己中心の世界で育ったことを来日して初めて痛感した。相手の思いを理解するのが苦手だった。又、敬語を持たない中国人には敬語の使い方が判らない。苦労するが誠意を持って当たれば日本人は理解してくれる。それよりも親や周りへの感謝の気持ちと、どんな小さな事でも良いから目標を定めて過ごすこと。そうしないと物価の違う日本に来て生活に追われ、何をしに来日したか判らなくなる。この事を皆に伝えて行きたい。どんなに苦しくても自分に誇りを持ち続けることが最も大切だ。」この様にしっかりと現実を捕らえ、自意識を持って対処して来る中国の若者達。自分の拠り所をしっかりと持ち、目標を持って歩む中国や韓国を初めとするアジアや世界の人達。
 この様な人達と交わるこれからの日本の若者達や国の政策は?
阪神・淡路大震災で発揮された若者達と日本人の隠された潜在能力の高さを信じたいと思います。 

 人類の歴史から見れば私の歩んだ人生なんて一瞬の内の一瞬にも当たらない。そんな中で残された時間は無に等しい。
 願わくば、迷惑を掛けた奥方と仲良く過ごす時間が少々与えられ、家族や楽しい仲間達との交わりの内に自分に正直に生き、自意識の有る状態で自然に帰れたらと願っています。

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