12期の広場

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「 甲子園への夢をありがとう !! 」 — 三井健司君を偲んで

4組  酒井 八郎
 
 市岡高校の野球部エースだった三井健司君が、昨年の11月16日、彼岸へ旅立たれました。
 11月11日、東京で市岡東京12期会の同窓会が開催されて5日後のことでした。ご冥福をお祈りいたします。
 2月、6組の畠平雅生君に続いてのお別れです。お通夜、お葬式には二十人近い12期の同窓生が参列し、三井君を偲び、お見送りしました。京都から7組の別宮君が来ておられたのですが、三井君とは幼稚園、小、中、高校、そして大学まで20年近く同じ学舎で、共に過ごされた間柄だそうです。お二人がまだ幼い頃、三井君の父上が、馬車で荷物を運搬されておられたお姿を憶えておられます。
 荷車と言えば、私にも想い出があります。桶作りの職人であった父の手伝いで、子供の頃、西区の材木問屋へ行ったことです。「すしはんぼ」(ご飯を冷やし、すし飯にする時などに使う“半切り”)や「おひつ」などの木桶を作る材料の「さわら」という木材、ひとかかえもある太くて、長い原木を大八車にくくりつけ、川口町、玉川町、野田、西九条、千鳥橋を経て四貫島迄、汗びっしょりになりながら、何度も運んだことでした。
 別宮君の想い出話を聞かせていただいた後、祭壇横に置かれてある、三井君がコツコツ整理されたアルバムを拝見させてもらいました。
 息子さんや娘さん達と、そしてお孫さん達とのなごやかな家族写真と共に、川西君が撮影された写真が、笑顔の写真が何枚もありました。
 添付の写真は、昭和62年、市岡高校が第59回の春の選抜に出場した時、甲子園からの帰路、応援に行った12期の皆さんで、三井君を中心に撮ったものです。
 高校三年生の夏、藤井寺球場での大阪大会準決勝戦、彼はピッチャーズマウンドで、力投を続け、私はスタンドで、手を振り、声をはりあげ応援、八尾高校を相手に一つになっての試合でした。「もし、あの時八尾高校に勝っていたら !」の想いは、この春の選抜出場で実現されました。
 平成7年、阪神淡路大震災の年にも、市岡高校は春の選抜で甲子園に出場しています。「 甲子園出場 !! 」が、どれだけ多くの人を勇気づけ、元気づけたことでしょう。後輩のプレーに一喜一憂しながら応援し、みんなで校歌を歌い、ふたたびの夢の実現を喜び合いました。
 阪神淡路大震災の当日、三井君の運送会社の車両が貨物運送中に神戸で被災、その救援にご苦労された話を聞かせてもらいました。自宅と商店が全壊した私へも「ハッチャン、がんばりや !!」と声をかけてくれました。
 母校同窓会の佐藤会長から、12期生からも同窓会役員を出すように要請された時、心よく引き受けてくれたのが三井君です。副会長として、野球部の支援のみならず、母校同窓会の運営にも、力を注いでくれました。
 舞洲のお花見には、奥様とお孫さんと一緒に、市岡の森まで登ってこられたこともあり、やさしい「オジイチャン」でもありました。
 三井健司君、本当に長い間、甲子園への夢をありがとう !!   合掌

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