12期の広場

12期の広場

東京12期会に参加して

7組   小原靖夫
 2019年11月11日東京霞ヶ関ビル35階で開催された同窓会には、関西地方の方始め全国から参集され、和やかな中に各自の人生から湧き出た情報の交換で学びの多い大変幸せな3時間を共有することができました。
 思い起こしますと1960年3月に卒業して60年目になり、この継続を支えられてこられた方々のご尽力には並ならぬものを感じ、敬意を表し感謝申しあげます。私は今回が2回目にすぎず、この貴重な会報に載せて頂くには相応しくないと心得ておりますが、おゆるしくださいますようお願い申しあげます。
 
 歴史(人生)は過去を包含しながら現在を突破し未来に向かっていますが、私は過去を振り返る勇気を長い間、持つことができませんでした。惨めな過去に存在を見出せない自分にある種の嫌悪感を持ち続け、学生時代は劣等感との戦いの毎日であり、社会に出てからは人間関係が上手くゆかず悪戦苦闘の連続で少数者意識に逃げていました。それ故に、ひたすらに未来に向かって邁進するほかありませんでした。同窓会の案内を頂く度に、心が痛み、それを無視する自分の二面性を自覚していました。
 
 今回、私にとっては驚くべき出会いがあり、大いなる過去を気づかせて頂き感謝に耐えません。それは柏木姉(旧姓後藤姉)が、私が市岡高等学校に存在していたこと、私が全く忘却の彼方に追いやっていた時を鮮明に語ってくだり、過去の一点に火が灯されました。柏木姉は、「あるとき席が前後であったこと、私が卒業式には受験で出席できなかったこと」を思い起こしてくださったのです。そのことから鮮明に思い出したことは「人の5倍努力していた自分」でした。
 入学した最初の試験が220番でした。担任の吉田先生との個人面接で、厳しい指導を頂き、素直に従いました。次の試験では8番になり、吉田先生自慢の生徒になりました。それは範囲のある試験でしたから、人の5倍努力すれば可能なことでした。しかし、実力は低く、次の試験では98番になりました。その後も激しい変動が続き、どんなに努力しても物理と生物についていくことができなくなり自己嫌悪に陥りました。今ならそれを受け入れられる知識もあります。
 「この世に生まれる一人一人は、何か今までに存在しなかった新しいもの、独自なものを表している。一人一人は彼と同じ存在がいまだかって世になかったことを知る義務がある。一人一人は彼にしか果たせない使命を果たすべく、この世に存在している。もし、彼と同じ存在が過去においてあったとしたら、彼はこの世に今いる必要はないのだ」(マルチン・ブーバー)
 
 次に、大切なことを想起しました。内向的で暗い性格を丸出しにしていたので、同期のM君が「君には聖書があっているよ」と助言してくれました。同じ時期に川村君が何かの集会に私を誘ってくれたような記憶があるのですが。
 これを確かめたく来年は同君に会いたいと思っています。その何かの集会で私は聖書を読もうと決心しました。読んでも分かりません。M君が教会いけば、と言われ場所まで探してくれました。音楽が苦手な私に讃美歌を歌うのが辛く長続きはしませんでした。この聖書への芽がこのとき、私の中に植えられたと感じたのはずっと後のことでした。とても大事な出会いを忘れ過去を否定し続けた自分が過去の一瞬に助けられていたことに気づいたのは、今回の同窓会に出席して、柏木さんから声をかけて頂いたお蔭です。張兄は現役時代にお助けと励ましを頂いてずっと私を見守ってくださっていました。
 47歳の時に仏教詩人で有名な坂村真民さんと出会いました。最も有名な詩は「二度とない人生だから」で、多くの方の知るところです。もう一つ抜きんでているのが「念ずれば花ひらく」でこの言葉が700近く国内のみならず5大陸に建てられています。私はイスラエルの平和を願い、この仏教詩人の言葉をヘブライ語と英語に訳して、キリストの教えに従い、ヘブライ大学の植物園に建立しました。(1994年3月31日)
 今はひたすら母が残した「希望に目覚め、使命を果たし、感謝に眠る」日の来たらんことを願っています。
 この拙文にお目通し頂く皆さんに感謝いたします。

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