12期の広場
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2020年7月1日
西條軍蔵君との思い出
8組 榎本進明

故人を偲ぶ文章は、短く心のこもったものが常識だとは思いますが、どうしても皆様にお人なりを伝えたくなって、偲ぶというには適切でない長文になってしまいました。奥様をはじめご家族の皆様にはお悔やみのご挨拶をさせていただきましたが、本稿は少し外れてしまい、彼との楽しい思い出しか浮かんでこなくて、常識外れの原稿になってしまいました。
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人文地理部 ・ 保屋野先生の後ろ | 3組・ 江本学級 ・ 後列 右から 5番目 |
それは、去る5月3日のこと。 酒井八郎君から電話あり。「西條君が亡くなった。詳細不明。八阪中学同級生からのルートのようだ」とのこと。彼も相当慌てていて、筆者もガクガクと腕は震えて、顔がこわばり、まず落ち着かせるのに半日かかりました。そして、ご自宅にお電話をして奥様からお亡くなりになったことをお聞きしました。奥様は落ち着かれてお話をしていただきました。
5月4日に「東京12期会」の方々と編集委員の張志朗君にメールでお知らせしました。内容は以下の通りです。
今朝のご連絡ほど悲しいことはありません。3組の西條軍蔵君がお亡くなりになりました。 昨年11月11日の「東京12期会」でお会いしたのが最後となりました。 昨日(5月3日)ご自宅にお電話をしたとき、奥様から彼のご逝去を伝えられました。 4月3日の早朝6時過ぎに、気分が悪くなり、救急車で近くの日赤病院に搬送されました。 人工呼吸等の緊急処置の甲斐もなく、アッと言う間に息を引き取りました。虚血性心不全でした。 彼は「川歩き」のメンバーで、川合君の亡きあと、リーダーを務めてくれていました。 過去に「利根川」「荒川」を完結して、今は「多摩川」を始めたばかりでした。 小生(榎本)の体調を考慮して中断していましたが、奥様のお話によると、いつも楽しみにしていたそうです。また、12期会の幹事もしていただき、心から感謝しています。 お葬式は、4月8日に、お身内のみの家族葬で見送られたそうです。 今は、コロナの緊急事態宣言のなか、お参りは叶いませんが、一段落後にお伺いすることにしています。12期会の皆さまには、「試練のとき」が続きますが、どうぞくれぐれもお気をつけてお過ごしください。全員無事で、またの再会を楽しみにしております。 |
高校時代、筆者は彼とはほとんどお話をしたことはありません。それが、2003年11月7日の東京12期会発足以来徐々に話すようになり、利根川歩きのメンバーになられてからは、一挙に近しい仲間になりました。利根川は13泊22日、荒川は6泊12日、同じ目的で寝食を共にした「仲間」でした。奥様も「川歩きを本当に楽しみにしていました」と仰ってくれた時は、涙があふれて来ました。それからこの原稿を書くまで、彼とは楽しい思い出しか浮かんで来ず、文頭で書いたように、亡くなって悲しいという心情ではなく、一緒にいて楽しかったことしか浮かんで来ないのです。不謹慎ですみません。以下に楽しかった写真を数枚載せて「西條軍蔵君との思い出」といたしました。
また、市岡時代の「人文地理部」の知識でいろいろ教えてくれました。特に荒川の第2回で、ホームページに次のような報告がありました。「海のない埼玉県のほぼ中央に日本一の川幅を誇る地点・御成橋の付近は2,537メートル。しかし橋の眼下に見える荒川の流れそのものは、20~30メートルの幅なのである。広大な河川敷は田畑が広がり、民家も点在している。不思議・・・」
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1987年3月7日の同窓会。45才の西條君 |
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