12期の広場

12期の広場

「みなさん元気ですか」

7組 上野裕通
 
 令和2年は、新型コロナ感染症の脅威の中、何とか生きのびているという現状です。みなさんお元気ですか。
 4月に3組の西條軍蔵君が亡くなられたとのこと、謹んでお悔やみ申し上げます。西条君とは小学校が同じだったし、高等学校1年生の時3組の吉田学級で一緒だったこともあり、ああ、あのハンサムな西條君が旅立たれたかと、寂しさがつのりました。
 
 糖尿病という持病がある私は、今回のコロナ騒動では「死」を覚悟しなければならないかなと思いました。しかし、自分なりに防疫面に心がけコロナと共生しています。手洗い、うがいの励行、マスクの着用とアルコール消毒を欠かさないようになりました。
 予定されていた人との出会いの機会が6月末まですべてなくなり、巣ごもりの時期が続きました。4月に予定されていた市岡の森での花見も中止となり、残念でした。みんなに会えるのを楽しみにしていましたのに・・・。
 外に出かけるのは、夕方の散歩と病院通いぐらいです。夕方の散歩では、寝屋川墓地公園の夕日が当たらないアップダウンのある竹やぶの道を歩きます。ちょっと山歩きしているような気分になることと、足腰を少しでも鍛えられるからです。歩いていると同じ町に住んでいる人、何人かに出会います。「やあ!」とマスク越しに声を掛け合い、突然の出会いの挨拶を交わしています。
 
 自宅にいると、本を読む機会が増えました。福島区の歴史研究会の時に購入した大阪の歴史84「特集大大阪91年」を読み返しました。この本には、6組の井東一太郎君が担当された記事がありました。「大阪労働学校創立の所在地について」―安治川教会は西区安治川にあったのか― というタイトルでした。刊行物の町名に疑問を持たれ、詳しく調べられて寄稿されたのでした。西区九条には、1922年に設立され2年間という短い期間であったが大阪労働学校があった。その正確な所在地は、西区九条北通り3丁目にあったのであり、西区安治川などという地名は当時なかったと井東君は指摘しておられました。
 
 7月になると、退職者会の同好会活動も開催され、囲碁、ハイキング、Eメールなどの同好会活動が再開され、外出する機会も少し出来ました。やはり、人の出会いは大切です。
 今年は7月の終わりごろまで梅雨が長びき、8月になってからは猛暑となりました。この猛暑の中、青春18切符を使って一日の列車の旅をしました。日曜日で混雑していない列車はないかと考え、福知山へ行きました。大阪から篠山口、篠山口で乗り換え福知山へ。
丹波路快速は空いていました。車窓から眺める景色を堪能しました。福知山では、御霊神社と福知山城を巡りました。11時40分から14時20分の一番
暑い時に歩きましたが熱中症にもなりませんでした。水分補給を欠かさず、しっかり汗をかき下着も服も汗びっしょりになりました。福知山城からタクシーに乗り、福知山温泉「養老の湯」へ行きました。いろいろな湯に入り疲れを癒し、湯上りに「氷いちご」をいただきました。なんと美味しかったことか。帰りの列車は、福知山から大阪まで乗り換えなしの直行便でしたので、ゆっくり眠れました。帰宅したのは午後10時前。気分一新した一日でした。
(歩いた歩数:12699歩)
 
 台風9号・10号が通過した後、少し、朝夕の気温が下がってきました。そろそろ秋の訪れかなと心待ちしています。60年前の昔と気象状況も大きく変化して来ました。年寄りには暮らしにくい自然条件になってきています。これから1~2年は「ウイズ・コロナ」の生活になるようですが、みなさん、来春の市岡の森での出会いを一つの目標にして、元気に暮らしましょう。

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