12期の広場

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つれづれに - 鍋が美味しい

 鍋料理が美味しい季節になった。80才を眼前にした今日この頃は、食が細くなり、また思うほどに進まない。しかし鍋料理だけは別のようである。寒風に身をさらした後、湯気一杯の鍋料理にありつくと、それはそれは幸せな心持になる。
 
 一口に鍋料理と言っても色々あるが、テーブルのコンロに鍋をのせて食べる料理と限定しても、本当にたくさんの種類がある。
 書いてみると、湯豆腐、おでん、すき焼き、ブタしゃぶ、牛しゃぶ、もつ鍋、つみれ鍋、どて鍋、餃子鍋、しゅうまい鍋、ちゃんこ鍋、うどんすき、カニすき、たら鍋、カワハギ鍋、あんこう鍋、キムチチゲ鍋、スンドゥブチゲ、テッチャン鍋、てっちり、くえ鍋 等々。思うままにまかせてもこれだけ出てくる。
さらに、出汁ベースで考えても、和風、韓国風、中華風、欧風に東南アジア風、そのほかのエスニック出汁を考えると鍋料理の種類は限りがない。
 家庭で食べる鍋は時期や家族構成や年齢とその嗜好、懐具合によりバリエーション豊かに変わる。いわんや、手を変え、品を変えての飲食店ではなおのことである。また鍋料理ほど家族団らんが似合うものはない。不思議と会話がはずむのも醍醐味の一つ。しかし残念ながら、この頃は夫婦のみ、時には一人鍋のことが多い。
 手元不如意が毎日のことでやるせないが、てっちり、くえ鍋は滅多に食することはない。もっぱら、ポピュラーな湯豆腐と冷蔵庫にある残り物を使った湯豆腐まがいの鍋である。(誤解がないように加筆するが、“まがい鍋”は家内不在時に、困って自分で作る一人鍋である。)
 てっちりは忘年会、新年会などで食することが多かったが、それも回数が減った。これは店により、価格により食する部位や料理の仕方がかわり、千差万別。淡白でありながらも豊かな滋味と身の締まりと舌ざわりから、確かに美味である。
 くえ鍋も同様。九州地方などでは‟あら鍋“と呼び、てっちりより旨いと言う。それを実感したことが一度だけある。古い話で恐縮だが、還暦祝いにと後輩が一席設けてくれた店でのくえ鍋が、絶品であったことをいまだに覚えている。店の大将曰く。和歌山の漁師直送のくえを使っているそうで、それもたやすくは手に入らないから、毎日電話をしてやっとの思いで手に入れる。また、くえ鍋ほど、‟まがい物”が出回っているものはないと言う。その言に従えばそれ以来、‟本物”と思われるくえ鍋は食べていない。
 息子、特に孫が来たときは、すき焼きが定番になり、カニすきは正月と、おおむね決まっている。
 鍋の中でよく食べるのは、やはり湯豆腐だろう。豆腐と白菜、ネギにポン酢があれば満足で、簡単にできる。さらに春菊が手に入れば言うことがない。しかも淡白で味わい深く、食が進み野菜がたくさんたべられる。
 豆腐は“絹ごし”、もっぱらスーパーマーケットのそれ。味のレベルは高い。“絹ごし”とはよく言ったもので、肌のきめ細やかさ、箸当たりと口に含んだ時の舌触りのまろやかさ、旨味は格別で、うれしくなる。たまに、豆腐の移動販売車から買うことがあるが、さすがに大豆の香りや旨味が強く、湯豆腐が際立つ。しかしタイミングが問題で毎回というわけにはいかない。
 白菜もスーパーで売っていてそれを使うが、やはり冬の白菜が一番。良い白菜に当たった時は思わずニヤリ。柔らかくみずみずしくて甘みが強く、旨さが一層引き立つ。
 具にも、薬味にもかかせないのがネギである。具のネギは煮すぎないようにして食べる。春菊はしゃぶしゃぶした半生を食べるのが一番と思うがどうだろうか。薬味のネギは、きざみたてが一番。特有の青臭い香りと辛みは薬味として必須である。ついでに書けば、下の孫の大好物がネギであることもうれしい。
 要はポン酢。家内が選び、買い置いたものを使うが、その「旭ポン酢」を気に入っている。
 筆者はポン酢好きである。宴会の席でもポン酢の入れ替えは必ずお願いする。ポン酢がうすまり、出汁のようになって味がぼけるのが嫌である。昔はポン酢などという‟上等品“ではなく、酢と醤油を使っての間に合わせであった。事実、独身で一人暮らしをしていた若い頃、豆腐と白菜、出汁雑魚だけで湯豆腐を作ったことが幾度もあったが、‟味の素“を入れた‟酢醤油“で食べ、満足していた。
 こう書いてくると、鍋好き男の下手な‟食レポ風“になってしまいそうだが、どうしてどうして、ただ一寸かたよった味覚の持ち主の鍋への戯言なのである。
 考えてみれば、結局‟酢“が好きなのである。実際、酢の効いた食べ物はおおむね好物で、特に母が作った“胡瓜の味噌酢もみ”はそれだけでもご飯をお代わりすることができた。たびたび酢を使ったおかずが出ていたことを考えると、母も酢が好物であったのだろう。
 筆者が3~4才頃、夜が明ける前から “マンマ、マンマ”と母の頬を打っていたと母から聞かされたことがある。それだけ幼い頃から食い意地がはっていたことは間違いない。
 男の味覚は幼くしては母、結婚しては妻、老いては嫁に左右されると聞けば、一寸わびしい感じがする。しかし食い意地が張ってもしょせん味覚は、食通のそれにほど遠いのが実態で、ありていに言えば“ほどほど”で良いと思っている。つまるところ、好物の味でお腹がふくれ、それなりの満足感が得られればいう事がないのである。
 人生も最終章。今、美味しいと思い、食するものがあると言う事は本当に有難いと、しみじみ思っている。
( 井の蛙 )

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