12期の広場

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薬師岳登山とコロナ禍

5組 泉 信也
 
 コロナ禍のなか、自粛の禁を破って、8月に古い山仲間と「薬師岳」に登った。
 薬師岳は標高2,926m、飛騨山脈立山連峰の縦走路の中ほどに位置し、岳人憧れの「雲の平」への入り口でもある。気品のある山容と氷河地形の痕跡を残すカール(圏谷)は、国の特別天然記念物となっている。昭和38年冬にはいわゆるサンパチ豪雪の中で、愛知大学山岳部の13人が吹雪にまかれ遭難した山として未だに記憶に残る。
 久しぶりの1,600mの標高差、往復14時間近い長駆は残躯にこたえたが、登頂の充足感は何ものにも代えがたい。薬師岳の雄大さと、峯雲を従えた北アルプス全山の眺望が青春時代の記憶を懐かしく甦らせ、コロナで弱った心身のリセットに恰好の処方箋となった。泊まった「太郎平小屋」は清潔で三密対策も十分、広域をカバーするWiFiアンテナでリモートワークさへできそうだ。
 北陸新幹線で便利になった東京~富山は2時間半、ローカル線に乗り換えて1時間の立山案内人の里「芦峅寺(あしくらじ)」では安全と厄除けを祈願し、立山曼陀羅の世界にしばし身をひたした。極彩色の「地獄極楽絵図」は、怖くもあり可笑しくもあるのだが、大日如来による究極の救いは、当時の人々にとって分かりやすく有難いものであったと思う。
 小林秀雄が「考えるヒント」で考察したプラトンの「国家」では、地獄極楽思想が仏教だけのものではないと教えてくれる。地獄で酷い目に遭い、極楽で結構な目に遭った者たちが一緒に野宿し、奇怪だった思い出話をするうち、運命の女神が現れて皆を「必然」の椅子に座らせ、将来の生活を選べと命ずる。結果、善悪の魂が入れ替わるのだが、「忘れ川」の水を飲んだ夫々が、生まれ変わってそれを知ることはない。高野山で見た「密教曼荼羅世界」に通底するようだが、俗人には「立山曼荼羅」のほうが分かりやすい。
 それにしても先が見えない。日々の暮らしはもとより、山登りやへぼな俳句の集まりもままならない。重苦しい気分が続く。そんなある日、知人から「感染した、すまないがあなたは濃厚接触疑い」と連絡があった。身に降りかかるとは思いもよらず、「陰性」判定が出るまでの一週間は、自分のことはともかく、家族や仲間に移してはいないかと不安が先に立ち、「いやな感じ」。初めて身仕舞いのことなども考えた。
 コロナ禍の後では世の中が大きく変わるとか、皆が口をそろえる。人類の歴史は感染病の歴史。紀元前の大昔からコレラ、ペスト、結核、天然痘、マラリヤ、チフス、エイズ、SARS、MERSと枚挙に暇がないが、ヒトはこれらを克服し、進化を遂げてきたという。この度の新型コロナ後はどうなるのか。21世紀は「未曾有の時代」の幕開けだが、自然破壊と度重なる天災、人災に、グローバル化によるパンデミックが加わり、非日常が日常となることを受け入れねばならないのだろうか。答えを見つける旅が始まる。新しい日常に適応するも、せざるも、夫々が自由で納得のいく生き様を探ることになろう。
 それにしても「薬師岳」山行に救われた。新しい年が平穏に明け、リモートでなく生身で皆さんと再会できる日が早やからんことを祈る。

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