12期の広場
12期の広場
2021年7月1日
「 4代・125年の家業 」-(2)
8組 林榮作

そこで、時計店の経営は、販売と修理が表裏一体となり、ふさわしい修理サービスの提供は必要不可欠でありました。現代ではアフターサービスの考え方は当たり前ですが、時計は遠く明治の時代から経営の基本となっていました。そして、お客様の貴重な時計を扱うわけですから、当然のことながら細心の注意と技術的レベルの高さが要求されました。
例えば、時計の精度をつかさどるテンプ(人間でいうところの心臓部分)がありますが、時計を落としたりして衝撃が加わると、その心棒(テン真)がよく折れました。その心棒(テン真)は約8/100mmの太さで、人間の髪の毛程の細いものです。

今回閉業にあたり、4代目の私としては、冒頭で述べたように残念な思いはありますが、一方では、一介の時計師として、また時計宝飾眼鏡業界の片隅の一 員として、自分なりに活動でき、無事終えられたことを喜んでいるところです。
我が家業の幕引きにあたっては、想像はしていたものの、それ以上に肉体的 ・精神的にエネルギーのいることを実感いたしました。取引先への通知 ・閉店による取引上の処理・販売商品のアフターケア等々、長い間営業していただけに関わる処理が多く、頭を悩まされました。
唯、有難いのは永年の取引先からの慰労と、理解を頂いたことは何とも有難いことで、今しばらくは、余韻を楽しむ気持ちで処理したいと思っています。
次に、店内にある商品をはじめ陳列・備品・営業書類、営業資料そして技術工具・技術資料等々の処理・廃棄、・・・・・・。それらには、自身の歴史はもちろんですが、それぞれに先人の思いが詰まっていますから、どうしたものかと悩みました。
特に前述の大阪大空襲によって店内にあった掛時計、金庫内にあって焼失した数百個の腕時計・懐中時計、そして無数の修理部品などは、役に立たないのを承知 しながら置いてあった、父・兄の無念が伝わってきて、簡単ではありませんでした。
形あるものはいずれ没するといいます。目をつぶって処分することにいたしましたが、そこにこもった先人の無念の思いをどう処理したものか?
私にとって、人生の最終章の課題が一つできました。
私たちは、戦後の高度経済成長とほぼ同時期に社会での活動を始めました。日本経済が右肩上がりの中、その恩恵を多数の人が得られる良き時代を過ごさせていただきました。
しかし、1990年代初頭のバブル崩壊、2008年のリーマンショック、そして今回のコロナ禍による社会構造、意識の変化は、その度に、私たちが過ごした青・壮年時代から劇的に変化し、それらから回復した後も、スイッチが入ったままで元に戻ることはありませんでした。その変化に大きく作用しているひとつが、1946年にアメリカではじめて開発されたコンピューターでした。当初の真空管からトランジスタ、そして IC 素子の集積によって飛躍的にその性能を上げ、今では各人が持つパソコンヘと進化し、そのコンピューターによって構築されたネットワークがスマートフォンに代表される工業製品、また医療 ・交通 ・農業等、社会生活に深く入り込んで、過去の歴史にないスピードで変革を迫ってきます。今や「IT」無では社会が成り立たなくなってしまいました。
そして、進化した人工知能を持つコンピューター「AI」が、自ら人間より賢い知能を生み出す可能性が将来めぐってくるのではないかということまでが、現実味をもって語られ始めています。子供のころ、漫画の世界で空想と思われていた、当時夢の世界が当たり前の現実として目の前に現れようとしています。
科学の発展は私たちの生活を便利に、そして欲望を満たしてくれます。有難いこととも思っています。しかしこれから先、世の中はどう変わっていくのでしょうか。大いなる戸惑いを感じているところです。
私が、40代のころ、取引先の銀行の支店長に「林さん、歳いかれたら、やることを見つけておきなさいよ」とアドバイスをもらいました。その時「ゴルフとか、庭いじりとか、旅行とか ・ ・ ・趣味の事ですか」と尋ねたら 「ゴルフにしても旅行にしても、健康で、仲間がいります。そういうものではありません。」と言われ課題を与えられましたが、未だに見つからず今日を迎えました。
私事になりますが、10年前、丁度「古希」の時に家内を難病で亡くしました。私にとってはそれまでの生き方 ・考え方を見つめ直すきっかけとなり、以来今日に至る10 年間は、日々の生活の中で、家業の将来、家事の事、その他過ごしてきた家庭内の色々の事を振り返る期間となりました。
そして、日々何気なくある生活の一つ一つをこなしているうちに、日を経るごとに家内への表現できない思いが溢れてまいりました。同時に、家族・両親兄弟そして、私の人生に関わってきた人たちに感謝の念が湧いてまいりました。今までのこうあるべき、こうしたい、こうしなければ、・・・。常にプレッシャーを与え、追い詰めていた自分の心が、いつの間にか片隅に行き、今あることを受け入れる自分の穏やかな心に、感動を覚えるようになりました。
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ありがとうございました。
(写真は卒業アルバムの体操部の写真。左から筆者、福井先生、貴田君です。)
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