12期の広場

12期の広場

3.11東日本大震災体験の二伸

2011年03月26日(土)  佐藤 裕久 (6組)

 市岡・「12期の広場」と名付けられた当ホームページ(HP)・2月号の拙文『めぐりあわせ?~仙台に住んで50年~』・コメント欄No,3に、小生は、3度目の記事を書かせてもらった。

 3月11日に、仙台市のある宮城県を含む東北地方と関東地方とにまたがる太平洋側地殻の広い範囲に蓄積していたひずみエネルギーが数分の間に解放され、“超巨大地震”が発生したからである。

 その報告の最後を次のように結んだ。『我が家は市の中心街から離れていて、多少不便であるが、太白山の麓にあるため、太平洋に近い地区のような津波被害を受けることはなく、家族一同元気である。震災後、水道やガスは未だ来ていないが、2年前に定年退職した後、私は悠々自適の生活に移行しているので、今、あせったり、あわてたりする必要もないかもしれない。むしろ、この機会を利用して、今後のことなど再考してみようと思う。』

 特に、記しはしなかったが、「地震・津波は自然災害であるが、原発事故は自然災害なのか?」ということに関し、私には、人災の要素の方が大きいかもしれないと感じたので、これを整理してじっくり考えてみたかった。しかし、この報告に、直ぐ反応があり、もう少し、地震・津波のことを詳しく伝えてくれないか、といった内容の意見も聞こえてきた。それも尤もな事であると私は考え、昨日までを目標に、再度記事を書かねばならない羽目に陥った。しかし、どのような問題も整理して論ずるには、2万人以上の死者が出たという重い事実の詳細をつぶさに見もしないでは、時間が足りない。従って、原発問題のみならず地震・津波災害についても、今後、我々は何をどのようにすれば良いかについての考察は別の機会に置くこととしたい。

 ここでは、前報の二伸として、私のTU・工学部・精密工学科同級生で、宮城県塩釜市在住の中村悌一郎さんが、今回の巨大地震当日に、彼の運転する車もろとも津波にさらわれながらも、沈着冷静な行動と判断で、生還したこと:文字通り“九死に一生を得た”という事実を、お伝えしたいと思う。

 二伸 先ず、拙いものですが、つぎの川柳を、市岡高校の自習室でよく語り合った友人であり、卒業後も、私を含め三人一緒に、何度も、国内を色々と旅した:(3組)西田安男さん、(4組)寒川詔三さんをはじめとする、同期生の皆さんにお送りします。

“南(みなみ)風 吹けば家より 声がする”
 

 前報において、既に、地震見舞いの電話やメールを頂いていた諸兄9名の氏名を記し、深甚の謝意を表した。しかし、私は地震見舞いの電話を頂いていたことを記録する程のまめな男ではなかったことと、軽い認知症が疑われる、失念症に罹患していたと見え、西田さんから見舞いの電話を頂戴していたことを記載し忘れ、大変失礼致しました。俳句は難しいので、その名手の西田さんには、この川柳を呈し、お許しを乞う次第です。また、昨夜、寒川さんから、お見舞いの電話を頂戴し、上述の、“「九死に一生を得た」友人”の話を紹介する旨、了解して頂きましたので、お二人に、厚くお礼申し上げる次第です。

 前置きは、このくらいにして本題に入ります。
 

1.川柳の意味

 先の川柳の‘南風’とは、我共にとっては、福島県(:宮城県・仙台市の南方に位置する)の方から北方に向かって吹く風を意味しますので、東京電力・福島第1原子力発電所の北方約90kmの所に我が家がありますから、放射性微粒子が風に乗って飛んで来そうで、‘怖い南風’を意味するわけです。‘梅の香’や‘桜の便り’が南から来るならば大歓迎ですが。つぎに、‘家より’とは、(我が家内が)家の中より、と言う意味です。最後の‘声がする’とは、‘「お父さん!南側の窓を閉めて!」と言う家内の声がする’と言う単純なものです。

 今年は春の来るのが遅く、未だ、寒い日が続いていましたが、昨日朝のテレビジョンで、「今日あたりから、南の風が吹くようだ」と言っていたのが、印象に残っています。
 

2.原発事故と友人の生還

・原発事故 平成23 (2011)年3月11日(金)午後2時46分、マグニチュードM9.0の巨大地震に端を発した『東日本大震災』が、2週間経った今も、余震と終息していない原発事故という形で進行中である。テレビジョンや新聞でご存知のように、巨大地震とそれによる津波、続いて、これらによって引き起こされた東電・福島第1原子力発電所の原発事故:1~4号機は、まだまだ不安定で、燃料冷却作業が日夜続けられている。事態は予断を許さない。そのうち、普通に空気を吸うな、などといわれると困る。子供の頃、毒ガス用の防毒マスクが我が家にあって、勝手に装着したが息苦しかったのを思いだす。あれはご免蒙りたいと考えている。

 14日未明に我が家にも電気が来た後、水道が24日午後4時過ぎに使えるようになった。しかし、喜びもつかの間、夕方、7時過ぎには、再度断水となった。また、市ガスの使用とガソリン購入とを待ち焦がれている。さらに、大規模地震であったため、余震も極めて頻繁で大きな揺れのものが多い。揺れが始まる度に、あの巨大地震のような強烈な地震とならないように、いつも、早く収まって欲しいと願っている次第です。同様に、原発事故の早期収束も期待したい。

・中村さんの生還 3月11日に巨大地震が勃発してインフラはすべて停止状態になった。我が家では、14日未明に電気が来たのに私は気がついた。それで、私はパソコンのE-メールをチェックすると、かなりの数の方々から、地震見舞いのメールを受信していた。Cc宛と我々3名とを含めると、精密S40同級会員約40名の半数の20名から、その段階で、メールを受信していた。私は、菅野さん、中村さん宛てと、残る17名にはCcで、「私は無事、お二人は如何?」とメールした。すぐ、「中村・菅野両氏は大丈夫?」との返信メールが届いた。私は、少し距離の遠い中村さんに電話したが、携帯電話も固定電話もつながらなかった。ついで、菅野さんに電話したら、奇跡的に繋がった。彼は「俺は大丈夫だけれど、パソコンの調子が悪くて返信メールを発信できない。皆さんによろしく」ということであった。そこで、「中村さんに連絡が取れないが、彼の安否分かる?」それに対して、菅野さんは「彼は海からかなり離れた東北本線塩釜駅近くに住んでいるので、大丈夫だろう」ということであった。そこで、小生は、この3人の名前で、17名の同級生に、「3名無事」のメールを送った。

 実は、中村さん・菅野さんと私の三人は、地震発生の3日前3月8日の夕方6時から、JR長町駅近くの居酒屋で、「精密S40卒仙台同級会」と名付けた飲み会を開いていた。その時、三人は共に元気でもあったし、夜10時半に再会を期して散会した。その内の二人が地震・津波に被災していないから、大丈夫と思った?残る中村さんの遭難を多数決で決められるはずはないのに。その後、毎日、中村さんに連絡がつかず17日の朝を迎えた。

 再度、中村さんにメールを送るべく、私は文章を書き始めた。しかし、私はもう一度、固定電話で中村さんを、呼び出したら、彼が、「ハーイ、中村です。」とでた。「アー、佐藤やすひさです。やっと繋がったけれど、大丈夫だったんだね、中村さん!」というと、「うん、今朝、電気がきたので、パソコン開いたら同級生からメールが沢山来ていて、大変だった。イヤー、ボクね、津波に巻き込まれて危うく死に掛けたよ。」と言うのである。小生は自分の血の気が引くのが分かった。中村さんは、その一部始終を話してくれた。私が「中村さん、まさに“九死に一生を得た”んだ!同級生のみんなに連絡した?」と聞いたら、今、送信先が最も多くなるメールを探して、そこ(佐々木さん)に返信メールをおくっておいたよ」と言った。私は「今、ボクに話してくれたような内容を詳しく書いた?」と聞いた後、私は中村さんに言った。「中村さんに、何度電話しても繋がらなかったので、ボクは菅チャンの言ったとおり、『電話が混んでいて中村さんに連絡がついていないんだけど、3人とも無事』」と先にメールしたよ』と、中村さんに小生は伝え、入るべき穴を探すべきだと考えていた。
 

3.中村さんのメール

 中村さんのメールは以下のように、極めて簡潔で、要領よく書かれている。

-----------(ここから)-----------

皆さん
塩釜 中村です。
ご心配頂きありがとうございました。
家内と二人、ともに無事ですのでご安心下さい。家は被害が有りませんでした。
通信手段を失い、返信が遅れましたことお詫びいたします。
地震発生時、私は仙台市若林区文化センターで、アンサンブルメンバーと一緒にギターの練習中でした。
すぐに車(一人)で県道23号線を通り塩釜に向かったのですが、多賀城市の仙台港入口交差点で、車ごとあっというまに津波に巻き込まれてしまいました。
大型トラックやら材木やらにぶつかりながら、為すすべも無く渦に巻き込まれながら漂流しました。
完全に水没した車の窓ガラスを右手でたたき破り、脱出して、車の屋根の上に避難しました。
雪の降る中、全身ずぶぬれのまま、一時間半ほど寒さに震えながら、そのまま立っていました。幸い近くの会社の二階に人影があったので、声を掛け、救助してもらいました。電気・暖房のない部屋で、梱包材で全身を包み寒さをしのいで、一晩をすごし、命からがら翌朝徒歩で帰宅しました。
無事に帰宅したものの、固定電話・携帯電話・パソコンでのメールなど通信手段を失ってしまい、今朝(17日)やっとパソコンでメールを見ることが出来た次第です。
これまで返信できなかったこと、お詫びします。
今朝はこの冬一番の冷え込みです。外では水が凍っています。
現在、断水・ガス停が続いていますが、無事でおりますのでご安心下さい。
皆さんのご健勝を祈念します。
ご心配頂き本当にありがとうございました。
中村悌一郎

-----------(ここから)-----------
 

4.おわりに

 この奇跡的な生還を果たした中村氏に対する同級生の反応はメールで私にも届いたが、3月20日午前の時点で(Cc宛を含め) 6通あった。それらのメールは、中村さんの勇気・沈着・冷静・困難に負けぬ心と実行力・奇跡の生還・我慢強さ・不撓不屈の精神・自分の聞いた最高のニュース、などの賛辞が寄せられていた。その日の夜は、私は大変恥ずかしく、あまり眠ることなく、朝を迎えた。  

(終)

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