12期の広場

12期の広場

-高田松原の“希望の一本松”-

6組   佐藤 裕久

 3.11巨大地震によりライフラインが断たれ、トンネル生活から半分以上抜け出して都市ガスとガソリン入手を待っていた3月下旬から始まる一つのエピソードをご紹介したい。

 3月28日の朝日新聞に、岩手県陸前高田市のメインの海岸:高田松原の約7万本の松が1本を残して、すべて、津波で壊滅したことが記事となっていて、私はびっくりしました。:(図1参照)

図1 朝日新聞(平成23年3月28日)に記載された岩手県・高田松原
図1 朝日新聞(平成23年3月28日)に記載された岩手県・高田松原

 ① 3.11大震災以前、上述のように岩手県陸前高田市にある高田松原は約 7万本の松からなる松林公園であったが、その頃の遠景が文藝春秋5月特別号の『[特別グラビア]東北にふたたび陽は昇る』にも取り上げられ、見開き(左右2ページ)の景観として掲載されていました。図2はそのコピーである。

 同図では、分りにくいが、その左下隅にコメントがあり、次のように記されている:「三陸沿岸では最大級の平野が広がる。白砂青松の高田松原は海水浴場としても知られる。」なお、高田松原そのものは、この図2では、中央やや下部にある、ほぼ、直線的に伸びているグリーンベルト全体です。松原は防風林のみならず防波堤、あるいは、防潮堤でもあったようで、近くで見ても勿論ですが、遠景もまた、まことに素晴らしい松林でした。

 図3は仙台みちのく会の高田松原でキャンプ行事の写真(一番前に市岡14期三澤俊博君もいる)
 

図2 岩手県にありながら、陸中高田ではなく、陸前高田市にある高田松原(海辺に直線的に沿う)
図2 岩手県にありながら、陸中高田ではなく、陸前高田市にある高田松原(海辺に直線的に沿う)
 

 ② 図4には、6月6日朝日新聞の見出し:『名勝の松、まきに再生』の記事を示しているが、残念なが ら、再生というのは、あまりに軽すぎる表現でしょうね。植物の寿命は動物とは違い、場合によっては無限に長いとも考えられます。実際、屋久島まで行かなくとも、陸前高田の少し北、三陸沿岸の越喜来(おきらい)地区には、樹齢7000年あまりといわれている三陸大王杉が、現在もそこの八幡神社の境内で大切 に守られている。(三陸鉄道南リアス線の「さんりく駅」の近くにある)

図2 岩手県にありながら、陸中高田ではなく、陸前高田市にある高田松原(海辺に直線的に沿う)
図3 仙台みちのく会キャンプ(約45年前)




図2 岩手県にありながら、陸中高田ではなく、陸前高田市にある高田松原(海辺に直線的に沿う)

図4 H23-6-6朝日新聞:3.11大震災の津波で流された高田松原の倒木などを、「まき」にする作業

 なお、3.11大震災以前では、最新であった大船渡(市)観光案内のパンフレットで、三陸大王杉の一部とその存在場所を図5に示しておく。(この図では地図が主体で、三陸大王杉は図の左上にある)



 ③図6は(財)日本緑化センター発行の機関誌:「グリーン・エージ 2011年5月号」の表紙です。

 この研究雑誌には、記事『高田松原に残されたマツへの対応』をはじめ、緊急座談会:『津波被害から松原、地域を再生する』や、記事『大震災緊急レポート・仙台湾沿岸の海岸林被害報告』などがあり、5月号の課題は「森林・林業の再生に向けて」となっている。



図5 岩手・三陸海岸「(椿の里)大船渡」遊びカタログより:三陸大王杉

 





④おわりに
生き残った一本の松を、「希望の松」と名付け、これを震災後復興の旗印にしようという動きもある。大変、結構で、夢のある話だと、こちら、宮城県の仙台で、我々も応援したいものだと考えている。ただ、これを「松林を含む植物の再生に利用するのではなく、その松の周りに瓦礫を残し、単なる見世物としての、商業主義の支配下に置くのはどうかと思う」と、散歩で出会った小生と同じひより台の住人が居た。(少々驚いた。)





図6 日本緑化センター発行「グリーン・エージ」5月号




 彼は言う。「松が一本残った」というのは変ではありませんか?「松を一本残した」のですよ。そう言われた小生には、その現場を実際に見ていなくても、このような大津波でどのようなことが起きるのか、多少の判断はできるので、「そうでしたか」と答えた。

 

 例えば、明治29年6月の三陸海岸大津波があった後、『風俗画報 臨時増刊 大津波被害実録 上巻(明治29年7月10日)』、『同中巻(明治29年7月25日)』、『同 下巻(明治29年8月10日)』が刊行された。その復刻版『風俗画報』第117号が国書刊行会により昭和48年11月10日に出版されていた。そこに示された細密スケッチと説明を見れば、彼の言っていることが妥当であろうかと思う。

 例えば、津波に襲われ、流され、上手く(運良く)幼児が大木の二股の分かれ目の所に引っ掛かって、奇跡的に助かった例や、・・・船越村の女性が大木の枝に引っ掛かって、その腹部を裂かれて死んでいる例も描かれている。

  また、漂着した数十名の死体を、魚網で地引網のように引き上げている図や、漂着した死体に、カラスらしい鳥が、死体の着物から出ている皮膚の部分を口ばしで、つついて食べている絵,特に、死人の目をつついている場面が少なからずあるなど、まさに、地獄絵そのものである。

 図7-上図の説明は「唐丹(とうに)の小学校教員某の幼児樹間に掛りて一命を拾うの図」と現在もある唐丹小学校の某教員と具体性が明確であり、また、図8-上図は「船越村の婦人大木の枝に懸りて腹を裂かるるの図」とやはり地区村名が記されている。なお、これら画報の目次には、それを描いた画家の氏名も記載されている。描画家は現場に出向いてスケッチしたり、目撃者の話を聴き、描き、目撃者と相談しながら修正していくなどの方法で描いたことが想像できる。

 この種の出版物は、現在の写真・ビデオなどに相当する当時の報道写真に相当するものであっただろうと思う。

 なお、この『風俗画報』などは、公立図書館内でその復刻版が閲覧できると思うが、吉村昭著「三陸海岸大津波」(文春文庫)に、数枚の図が掲載されていた。小生も、それに習い、この文献を見つけることができた。ここに、故吉村昭氏に謝意を表す。

  
図7 上図、幼児が樹間に取り残されている。
図7 上図、幼児が樹間に取り残されている。
図8 右斜め上の図、女性が樹枝に懸っている。
図8 右斜め上の図、女性が樹枝に懸っている。

“-高田松原の“希望の一本松”-” への12件のフィードバック

  1. 金本美智子 says:

    読ませていただきました。今回の想像を絶する出来事に言葉もありません。私たちが二ユース
    で知りうることの何倍もの悲惨を思いますと 簡単に言葉にすることができません。当事者の方々の思いをどう受け取っていくかは これからの行く末を冷静に見守るしか できないような気がします ただ このように ニュースで知らされない現状 また 思いを知らせて下さること 大切ではないかと思います。

  2. 川村浩一 says:

    佐藤様、ありがとうございます。
    ところで、日経新聞6月30日の夕刊に「高田の松で『大文字』」の見出しの記事が出ています。(仙台版でも出ているでしょうか?)
    陸前高田の高田松原の松から作ったマキが「五山送り火」でたかれることに決まったそうです。
    50周年文集でも書きましたが、京都の行事、数々ある中で「送り火」だけは格別の思いを持っています。この夏の「送り火・大文字」はひとしおのものになりそうです。

  3. 佐藤裕久より says:

    ①金本美智子様

    コメントを頂き感謝しております。本文中に記しましたように、私自身が新聞の写真を見て、
    『別れの一本杉』ならぬ、復興の『希望の一本松』と思い込んでおりました。
    また、その松は高田松原(海岸)にありますが、所在地は『岩手県陸前高田市です。岩手県なのに、どうして陸中高田市と言わないのか、これも小生には分りません。)

    機会があれば、宮城県亘理郡亘理町に一人で住んでいた、私の弟の義父(満88歳)の生命力の強さに何故驚かされたのか、お知らせ致したいと思います。

    ②川村浩一様

    いつもコメントを頂き有難うございます。
    都から遠く離れた、みちのくで亡くなった、約2万5千人の霊を京都五山の「送り火」で、
    ダークマターとなるかもしれない運命を背負った人々に、京都見物をさせて旅出させて頂けるとは、なんと粋な計らいだと感謝しています。

    山本先生がいたらご教示いただきたいことが最近いろいろあります。
    ●先輩から
    複素関数についてリーマンのゼータ関数があります。
    オイラーは次の関係式:
      1+2+3+・・・=-1/12
    を、変数を複素関すに拡張して、求めているのです。
    我々には理解できません。
    ●小生は苦し紛れに、次のように答えてしまったのです。山本先生が多分忙しくて答える暇がないでしょうから、川村さん教えて下さい。

    ●以下、小生の返答:
    数学は人工物ですから、分かるという程度をかなり絞って、あるいは、極めることができるのかもしれません。
    しかし、人間には、本当に分かるということは不可能なのではないかとさっき、気がつきました。
    そのようなことは、ずっと昔に、レオナルド・ダビンチは気づいていた、ということもにも気がつきました。

    例えば、ダビンチの有名な絵画:「モナリザ」の女性の顔の輪郭線をダビンチは描いておりません。多分、ダビンチにはモナリザとモナリザを包む、例えば、外気との境界面を詳しく調べれば調べるほど、境界面は見つからないということに気付いていたと思います。

    空気を含む自然は、すべてのものを包むと同時に、その内部にも入り込んでいるため、境はないと考えて頂いて構わないと思います。
    従って、この世に存在するものはすべて、厳密には分けることができないのに、人間は境目があることにした、あると仮定した、または、境目を無理矢理作ろうと努力してきたので、そのような人間の行為は、自然の摂理に反した行為であったということです。

    たとえば、昨日と今日の境目を我々は勝手にあると思っているだけで、そのような境を(時刻を)求めることはできません。現在では、ピコ秒毎のサンプリングで、昨日と今日とを振り分けることはできても、フェムト秒、アト秒、ゼプト秒、ヨクト秒・・・・・と、いくら計測精度を上げても昨日と今日の正確な境目をなす時刻を求めることはできません。境目がないからです。自然を分けることは人間には不可能であるということです。

    少し話を変えて、自然現象を正確に表現するべく樹立されてきた物理学においても、10年くらい前から、宇宙空間は、正確ではないが、全く何もない真空である場所が大部分であると説明してきたことを、破棄せざるを得なくなってきています。

    例のダークマター(暗黒物質)やエネルギーが詰まっていると言わざるを得なくなってきたのです。しかし、マターというから、目には見えないけれど、その素粒子があるはずだと追っかけている、一見、極めて優秀な学者であったり、場合によっては、不世出の天才であるかもしれないが、所詮、その科学者も一人の人間なのである。

    後は言わずもがな、であるが、我々のなすべきことは、人工物と自然物の境目をなくすための操作:人工物と自然の境目に、生命体を含む自然物を配して、少なくとも、見た目に、人工物であると分かりにくい境界面として作り直す作業が必要なのだと考えています。

    その操作を実施すれば、人工物でも宇宙に受け入れられるモノとなるはずだと思っています。                              敬具

    追伸 境目の物質として水を欠かすことはできないと思います。老子は約2500年も前に、人間が習うべき先生は、まあ、水のようなモノだと言っているので、かなり先を見ていたのだろうと思われます。
    (終り)

  4. 川村浩一 says:

    佐藤様、大変な宿題をいただいたみたいですね。高校時代から宿題はすぐ済ませることにしていました。拙速主義で行きます。
    1.山本君の「数論入門」のゼータ関数のあたりを広げましたが、ミミズが悶絶したような記号があり、何のことかさっぱりわかりませんでした。(私の数学は受験数学で終わっております。)
    2.境目など何事も不明確なものだと言うこと。むかし量子化学をかじったとき、どんな粒子も波だと教えられ驚きました。捕まえたと思うと違う場所に逃げているそうですね。素粒子どころでなく大きい原子でも存在は確率だとのこと。時間だって「粒子」でもあり、「波動」でもあるのでしょうね。
    3.われわれの商売はすべて「定義」から始まります。「はじめに言葉ありき」です。「マネジメント」「経営」「管理」「経営管理」の違いの議論(不毛の議論)から始まります。
    4.「らしく」のなくなった現在をなげき、昔を懐かしんでいます。男は「男らしく」日本人は「日本人らしく」です。いまは「男」と「女」の差さえわからなくなっています。
    5.佐藤さんの言われるように数字と言う人工物?でも「1」は理屈の上だけの存在かも知れません。高校1年のとき、小林君相手に「0.999・・・は『1』に限りなく近いのではなく、『1』そのものだ、なぜなら・・・」と言うような議論をしていると、いつの間にか杉野先生が来ておられ、教壇から身を乗り出すようにしてわれわれの議論を聞いておられたことを思い出します。

    いま、NHKで福沢諭吉の「学問のすすめ」をやっています。歳はとっても「実用の学問」を続け、社会に役立ちたいと思っています。「水は方円の器に従う」より、少しはイガイガのあるほうがよろしくはありませんか!?

  5. 佐藤 裕久 says:

    佐藤裕久

    2011年7月8-15日

     川村さん、いつも、Wildな小生に対しても、真摯な
    貴兄の気持を表現して頂き有難うございます。やはり
    市岡高校は素晴らしい。川村さんのような方を輩出し
    続けているのですから。
     なお、川村さんのように、多分、理系教を信じてお
    られる方は、最初の部分からお読み頂いても問題はな
    いと思います。
     しかし、多くの女性を含む、文系教を信じておられ
    る方、あるいは、理系教は苦手!とお考えの方には、
    『最後の(楽しい)部分』をご用意させて頂きました。
    その部分のみ、お読みになればストレスが貯まらない
    と思います。特に、今回の内容は、読後「私も、愛は
    永遠だから、これからでも現役で恋愛してみよう!」
    と、ひょっとしたら、考えられるかも知れません。

    もし、そうなった場合、それは読者の責任であって、
    私が強制しているのではありませんので、念のため。
    では、楽しい夢を見て下さい。

     川村さんを含む理系教の皆さんも、途中はチンプン
    カンプンでも、最後の部分はきっと楽しめます。映画
    『ジュリエットからの手紙』を未だ観ていなければ。

    さて、川村さんへの回答を以下に記します。

    1.この問題は、現在の小生が解説するのは無理であ
      ることを承知していますので、当該先輩に、現役
      数学者とのやり取りができるように設定しました
      ので、まあ、我々にはこれ以上の議論の必要はな
      いとお考え下さい。(どうも有り難うございまし
      た。)(なお、蛇足となると思いますが、故籠谷
      君の話しだと、「故山本君のいた阪大の建物の近
      くに、放射線だか、[小生は、それが何だったか
      忘れましたが、人体遺伝子に悪影響を与えそうな
      実験設備]があったとか?、山本君が倒れる前に
      も、あの棟の数名の教官が癌などで亡くなってい
      たと思うよ」と生前、云っていたことを憶えてい
      ます。
       なお、籠谷君は、3年前:2008年9月7日:
      小生が学会で、韓国キョンジュ(慶州)に向かい
      成田を出発した日、彼も旅立ちましたが、義弟
      の、「一週間前:8/31に、姉(彼の奥方)が別の病
      院で他界したことを何も知らずに、彼が旅立って
      くれたことが、本当に良かったです」との言葉を
      聴き、無知な自分も助けられた思いでした。彼が
      入院していた宮城県立がんセンターでの、彼との
      最後の対話は亡くなる約3週間前でしたが、別の
      機会があれば、その事についてお伝えしたいと
      考えています。

    2.ご存知のように、「光」は電磁波(:光は波)で
      すが、ある種の金属に波長の短い光を与えると
      その金属から電子が飛び出す、いわゆる「光電
      効果」という物理現象があります。しかし、光が
      波であると考えている限り、光電効果が説明でき
      なかった、ということでしたよね。

      アインシュタインは「光がプランク定数hと振動
      数νをかけた積、すなわちエネルギー(=hν)
      を持つ粒子だと考えればこの現象を説明できる」
      という「光量子仮説」(光の粒子仮説)を提案
      して、光電効果を説明することに成功し、ノー
      ベル賞を受賞しました。なお、光を粒子として
      取扱う場合の呼び名を、現在では、アインシュ
      タインが使った光量子ではなく、「光子(こう
      し)」といっていますよね。

      いずれにしても、「光は波であり、粒子でもあ
      る」という説明は、光の本当の姿が、人類には、
      正確に言えば、西欧人起源の(西欧人がその基
      礎をかたち作って来た)西欧科学哲学では、
      「光とは何であるか」が、よく分からない、
      ということを意味していると、小生は考えてい
      ます。

    3.「定義」は新しい概念、例えば、“虚数”、
      “仕事”、”モーメント”、“エントロピー”、
      “微分”、“行列式”、“テンソル”、などを
      定める(定義する)ものですが、一方、「法則」
      あるいは「原理」と呼ばれるもの、例えば、
      “力合成の平行四辺形の原理”、“熱力学第一
      法則(エネルギー保存則”、熱力学第二法則(無
      秩序増大則)”、“フックの法則”、“オームの
      法則”などがあります。

      小生は、大学院の先輩の出版した著書で、先輩は
      次のように解説してくれました。
       上述の「原理」と「定義」から、いわゆる「定
      理」は導かれる(証明できる)ものである。だか
      ら、『物理や数学で、原理と定義以外はすべて、
      それらを用いて証明できるもので、公式と言って
      すぐ安心して暗記してはいけない。それが原理
      や定義でなければ、かならず自分で証明しておか
      なければいけない』といわれ、自身がそれを実践
      されたことは、同じ研究室で机を並べていた頃
    に、聞いた記憶がありました。

      しかし、その先輩は、法則または原理を鵜呑みに
      してはいけない、とも付け加えられました。すな
      わち、「熱力学第一、第二法則」、「フックの
      法則」、などに従わない現象が、これまでも、ま
    た、これからも発見されて、新しい学問や原理が
      生まれてくる。
       相対性原理や超伝導現象などがその例である、
      ということが、1997年にその先輩が書かれた第1
      冊目の教科書『材料力学のおもしろさ』のまえが
      きに書かれています。当時、『そのとおり、(我
      々も)心しなければならない』と小生は感じ入り
      ました。

       しかし、その後10年もたたない2001年に、先輩
      が著された第3冊目の教科書『力学のおもしろさ』
      では、次のような文が、その「まえがき」の最後
      に、記されていました。

      「従来の自然科学は普遍的な真理を求めて、人間
      の感覚に左右されないように、できるだけ客観的
      なろうとしてきた。このため人間の生き方とか歴
      史とかには関わりを持たなかった。自然科学の発
      達が人間の幸福につながると、無邪気に信じられ
      てきた時代にはそれで十分だったと思われる。
       しかし現在は、自然科学をこのまま野放しに
      しておいてよいのかという深刻な疑問が発生して
      きた。様々な分野で研究や技術の倫理性が問題と
      なっている。したがってこれからの自然科学は
      人間の生き方をも包含するようなものでなければ
      ならないと思われる。」

      小生も、やはり同感ではありますが、それを実現
      するにはどうすれば良いのか、考え始めていま
      す。
       ただ、西欧起源の科学哲学では、如何ともし難
      いことは、既に、明らかになっていると言えるで
      しょう。
       例えば、「物質の科学」を物理学と言うとすれ
      ば、最近、ここ10年くらい、科学哲学の一分野の
      物理学は自己矛盾に陥っていますね。例の、“暗
      黒物質”がその一例でしょう。
       これまでの物質とは全く異なるのに、何故、暗
      黒“物質”と呼ばねばならないのか。2008年9月
      23日、東京国際フォーラムで開かれた、大学共同
      利用機関法人・自然科学研究機構主催『宇宙究極
      の謎‐暗黒物質・暗黒エネルギー・暗黒時代‐』
      なるテーマの第6回自然科学研究機構シンポジウ
      ムに出席しました。その際、正体は不明だが、
      「ある暗黒物質と別の暗黒物質との間には万有引
      力ならぬ万有斥力の法則が成立する?」ことを
      小生が質問したのに対して、講師の回答:”Yes”
      を確認した時、「あー、これで宇宙が膨張する」
      という実験事実を説明する魂胆を垣間見た気がし
      た。本末転倒だな、と感じた次第です。
      
       話題を変えるが、これまでの伝統的な経済学に
      対し、近年、数理ファイナンスが導入され、「価
      格」の概念に明確な意味を与え、数学的な解析を
      可能にしています。
       中世のギャンブルの研究から、確率論がはじま
      ったように、ルベーグ積分に基礎を置く現代確率
      論を理解するために、思考実験として、現在で
      も、やはりギャンブルを考えているようですね。
       投資家は、マネーゲームをやっていると云われ
      るのは、間違っていないと、小生も感じていま
      す。

       世界の経済が、パチンコ依存症(正確にいえ
      ば、ギャンブル依存症)と殆ど相違ない、精神状
      態にあると思われる人(一寸、云いすぎですが)
      に操られているのでは?、と考えている人は少な
      からず、いるはずです。

       ノーベルが一言も云わず、また、遺言も残して
      いないのに、勝手に『ノーベル経済学賞』など
      と、ノーベルの名前を使った賞を授与しているた
      め、我々凡人には、世界の経済問題を解決してく
      れる人がノーベル賞を貰っていると勘違いしてし
      まう。
       誰がこの『ノーベル経済学賞』を作ったのか、
      ご存知でしたら、教えて下さい。お願いします。

       現代経済における「数理ファイナンス」は、上
      述のように、ルベーグ積分に基礎を置く現代確率
      論を適用し、その結果に基づいたコンピュータ
      プログラムを利用しているに相違ないと推察して
      います。
       数学においても、普通の関数が使えない問題が
      出てくれば、例えば、超関数と言う関数を定義し
      て、その問題を(強引に)解くのが数学の進歩と考
      えられているのです。これが、西欧起源の科学哲
      学の考え方の基本と言って差し支えないと思いま
      す。
       ルベーグ積分も、普通の積分(リーマン積分)
      では、積分できない、例えば不連続関数の積分を
      実行するために、ルベーグ測度という、これまで
      と別の“measure:測度(ものさし)”を定義
      (仮定)します。すると、比喩的に云えば、「穴の
      開いた風船が、形を保っているものとした場合」
      仮想的な体積が計算できる、とでも、云えばその
      概念は分かりやすく考えられるように思います。
      (例えば、「紙風船は穴が開いています。その
      風船の容積を求めよ。風船は球殻と考えてよい」
      という問題が与えられたとします。このとき、
      「ルベーグのものさし」を使えば、穴があっても
      なくても、容積は同じと考えます。では、穴が、
      100万個開いていたら、普通は、「う~ん」と唸
      るでしょうが、ルベーグ積分,すなわち、ルベ
      ーグ測度を用いれば、100万個と言わず、それ
      こそ1京個の穴が開いていても、容積は計算でき
      てしまうのです。常識的には、「それは、一寸、
      おかしいよ」と思うのですが、数学の定義(仮定)
      を認めればおかしいとはいえない約束なのです。

       実は、貴兄(川村さん)が、いや我々も、3年生
      の数学III(3)の講義を受けた杉野先生が講義時に
      いつも持ってきていた先生の教科書は高木貞治の
      『解析概論』でしたね。
    その中にルベーグ積分もルベーグ測度も出てい
      ます。
       小生は大学に入ってから、古本屋でその本を買
      いましたが、多くの「解析学(概論)」教科書がそ
      の本に多大の影響を受けていることは、素人の
      自分にも一目瞭然でした。

      (デモ、笑いたくなるような面白い事も書いてあり
      ます。例えば、「微分のことは微分でやれ!」と
      書いてあるのですが、ウル憶えの記憶では、「微
      分の関係式について、従来は、積分を使って証明
      されていた問題を、高木貞治は、微分で証明する
      方が簡潔明瞭であることを、証明して見せていま
      した。」そのような箇所に、上述の「・・・微分
      でやれ!」と書いてあったと思います。

       感度のにぶい小生でも、高木貞治が常日頃、
      [自分のことは自分でやれ]の精神で弟子を育てて
      いたのだろう、と推察しています。

      (あの杉野先生が、その辺りのことも、話してく
      れていたら、もう少し、ボクも夢中で勉強した
      かも。)

       長くなりましたので、最後に、まとめたいと思
      います。それが、「まとめ」となるかどうかは、
      川村さんはじめ、皆さんのご批判を頂き判断させ
      て頂きたいと考えています。
       なお、ホームページ委員の責任者:榎本君が来
      月号は、「川くだり特集号にするので、他の記事
      お断り」とか、お達しがありましたので、これで
      も早く、作業をした積りです。
       しかし、今月中に、小生の質問に、即、答えて
      頂いた川村さんに敬意を表し、丁寧にお答えした
      くて、長い返信となってしまいましたことを、こ
      こにお詫びして、エピローグに入ります。
      

    4.エピローグ:

       アルフレッド・W.クロスビー著『数量化革命‐
      ヨーロッパ覇権をもたらした世界観の誕生‐』
      (小沢千重子訳;紀伊国屋書店出版;2003年
       第1刷発行)

       この書籍(邦訳書)は理化学研究所エンジニアの
      一人の方から2-3年前に紹介されました。その際、
      コンピュータソフト設計の手法が、日本人と西欧
      人ではかなり異なるが、汎用性の良好なソフト開
      発は圧倒的に西欧人が得意であること。その理由
      がこの本を読んで何となく分かったように思う、
      とのことであった。

       小生には、この本の書名や帯に書いてある内容
      が少々気になった。翻訳者の小沢の語句や文は
      以下のようである。
      
       書籍題目:邦文はこの章の始めに記したが、
      原著の標題は:
      “The Measure of Reality”- Quantification
    and Western Society, 1250-1600 –
      である。

       通常、Masureとは、上述したように、メジャー
      (ものさし)であり、数学的には“測度”と訳す
      が、邦訳者は、裏帯に次のように記している。:
      ●「ヨーロッパ帝国主義が比類なき成功をおさめ
      たのはなぜか? 理由のひとつは、科学革命に先
      立つ中世・ルネサンス期に、人々の世界観や思考
      様式が、宗教的なものから普遍的・効率的なもの
      に変化していたことだと著者は言う。数字、機械
      時計から楽譜、遠近法まで、幅広い分野に目配り
      しながら、そうした変化をもたらした数量化・
      視覚化という革命を跡づけてゆく西欧精神史。」

       また、表帯には訳者:小沢千重子は、以下のよ
      うに記している。:
      ●「数字、暦、機械時計、地図、貨幣、楽譜、
      遠近法、複式簿記・・・・・
      ものの見方や思考様式を根底から変えた、数量化・
      視覚化という名の革命:

         『 神 の 尺 度 か ら
           人 間 の 尺 度 へ 』
               (紀伊国屋書店 定価3200円)

      という内容の図書です。
       上述したように、小生も関心があり、購入しま
      した。しかし、西暦1600年の後:17世紀以降、約
      100年毎に産業革命が繰り返され、現在に至り、
      西欧起源の科学哲学破綻の兆候が、徐々にではある
      が、明らかになってきています。その原因を深く
      検討するための参考書にはなると思います。
       (真面目の部おわり)

      - – – – – – 最後の(楽しい)部分 – – – – – – –

       最後に、一昨日、忙中閑を見出し、映画
      『ジュリエットからの手紙』(Letters to Juliet)
      を観に出かけた。

       5年以上前、学会発表のため、始めてで最後の
      イタリア・ヴェローナに約1間滞在したことがあ
      る。
       世界遺産に指定されている、そのヴェローナが
      舞台であるので、もう一度、ジュリエット(当地
      ではジュリエッタ)の家:(例のヴェランダが2
      階にあるところ)も出てくるだろうと思ったら、
      そのとうりであったが、凄い恋愛映画でもあった。
      二重の。

       といっても、不倫ではありません。50年ぶり
      に再会を実現した、我々位の爺婆がその一組。

       若かりし頃から、誰にもほおって置かれない
      美人の婆さんの思いを、結果として遂げさせた孫
      年齢に近い[美人女優]演ずるところのMs.●●●
      (この娘
      がジュリエットの代理人となり、婆さんに「愛は
      永遠!」との手紙を書く運命を担った。
       このジュリエット代理人(ジュリエットの家の
      壁に観光客が、男女関係の思いのたけをジュリエ
      ットに託し、手紙として貼り付けて行くが、その
      恋愛相談をジュリエットになり代わり、5-6名の
      ジュリエット代理人)が考えて返事を送る。●●
      ●は米国から、婚前旅行に来たが、恋人は近い
      うち、ニューヨークにイタリア・レストランを
      開店する予定であるため、イタリアに来て、どん
      どん多忙になる。
       ●●●は、暇をもてあまし、観光に出るが、
      ジュリエッタの家の前を通りがかる。
       (ここ、ジュリエッタの家がヴェローナで観光
      客の最も多く訪れる場所であるというのは事実で
      す。小生がそこに出かけたときには、あまりの混
      雑も手伝ってか、壁はあったが、ジュリエット宛
      てに手紙を貼り付けたり、置いていく場所があっ
      たとは思えない。5年くらい前には無かった?
       いや、婆さんが手紙を壁のレンガを抜き取りそ
      の下にジュリエット宛の手紙を置いたのは、50年
      前という設定。本当のことは、直接観てきてくだ
      さい。[*注]地区の老人福祉センターなどで、観
      たい映画:「ジュリエットからの手紙」と、申し
      込んでおけば、そのセンターの映画鑑賞会で、放
      映してくれるはずですよ。)
     閑話休題、●●●がジュリエッタの家を訪問し
      た時、壁に貼り付けられた手紙をすべて剥がして
      籠に入れ、持ち帰る女を見つけ、後をつける。
       そして、4-5名のジュリエット代理人に出会う。
      その次の日に、何故か忘れましたが、もう一度、
      ●●●は、ジュリエットの家を訪ね、手紙剥がし
      も手伝う。
       その時、●●●には、手紙は見えなかったが、
      一つの半割れレンガがあるのを見つけ、その
      レンガを取り除く。
       その下には、セピア色した手紙が、置かれて
      いた。何と、出された日付は、50年前。
      「英国からイタリアに勉強に来ていて、イタリアの
      男性に声をかけられ、お互いに惹かれるようにな
      り、愛を誓い合った。当時、その英国女性はまだ
      10代の時で、なんだか怖くなって、イギリスに
      逃げ帰ったが、帰国後、直ぐに、後悔し、ただ一言
      “お詫びしたい”が、その願いを叶えてはもらえ
      ないか、ジュリエット様!」という文面。
       置き手紙の主は英国在住。しかし、50年も前。
       代理人同士の話し合いの結果、●●●の意見が
      通り、返事を書くこと決定。その返信文を書くジ
      ュリエット代理人は勿論「●●●が担当する」と、
      決まる。
       そこで、●●●は、要するに、「”愛は永遠!”
      だから、遅すぎるということはない」と、ジュリ
      エット代理人としての仕事をこなした。

       宛先住所が50年前のものだから、手紙が着くか
      どうかも、分からないし、先ず、返事は期待でき
      ない、と考えられていた。
       しかし、手紙を出して3日目、当のジュリエッ
      ト代理人を訪ね、若い、ハンサムな青年が代理人
      事務所を訪ねてきた。
       車で英国からイタリアへ、婆さんも同行してき
      たという。

       婆さん思いの格好良い(ジェームス・ディーン
      を長身にしたような感じの)孫が、イギリスから
      婆さんを連れて、ヴェローナに出てきたと言うの
      だ。

       50年前、婆さんと一目で、相思相愛になった爺
      さんの名前は、英語圏で言えば、(**)「ジョン・
      スミス」という名であり、その苗字と名前を持つ
      男が、その地域に70名以上もいて、このジュリエ
      ット代理人が、いつも引き気味の孫を説得しつつ、
      何日間も三人で、車で、ジョン・スミスを捜しま
      わる。
       閑話休題、ここで、米英で、(**)ジョン・スミ
      スという姓名の男が多いという話に触れておく。
      「ある会合、(出席者が7-80名程度の会合)で、会
      の開始にあたり、当日の案件の要旨メモが配られ、
      参加者が全員席に着いた時であった。
       受付に電話があり、司会者に、その内容が告げ
      られた。司会者は、会の開始直前であったので、
      電話の呼び出しを告げた。“スミスさん!電話が
      入っています”会場がざわめいた。何と、半数く
      らいの人々が立ち上がったのだ。司会者は続けた
      “いやいや、ジョン・スミスさんです”と、する
      と、一人だけが座ったという、笑い話があると、
      以前、大阪外大(現在、阪大)の英語の教授から聞
      いた。

       閑話休題、捜すのも、もう限界というところで、
      白っぽい馬に乗って、件の、相当に格好の良い爺
      さんが登場する。
               ”パチパチパチ”

       これまで婆さんが、この旅で会った、ジョン・
      スミスは、「見付からなかったら、俺が待ってる
      から是非戻ってきてくれ」という男ばかりだった。
      しかし、婆さんはそんな男ドモには目もくれず、
      恋しさ募る、本物のジョンを捜し求めていたので、
      二人の爺婆はしっかりと抱(いだ)き合う。

       二重の結婚とは、分かる人は分かるでしょう。
       分からない人は、この映画会で、”やっぱり”
    と思うでしょう。      『おしまい』 
       

     

  6. 川村浩一 says:

    今日は祇園祭山矛巡行。快晴です。
    昨日の京響・スペシャルコンサートのあとの京都市長のスピーチ。
    貞観年間、863年に矛の巡行が始まったそうです。この年の7月(太陽暦)に東北の「貞観の大津波」があり、66本(当時の国の数)の矛で悪霊退散をお願いしたとのことでした(他にも厄災はありましたが)。
    今年の祇園祭も大きな意味を持っていますね。

  7. 佐藤 裕久 says:

    川村さん、いろいろとご教示戴き有難うございます。約1150年前には、公式史書『三代実録』には、貞観11年5月26日(ユリウス暦869年7月9日)の大地震発生とその後の被害状況について、詳しく記しています。また、インターネットの別の情報によりますと、創建は724年で、8世紀初めから10世紀半ばまで存続し、その間大きく4回の造営が行われたとあります。第1期:724-762、第2期:762-780、第3期:780-869年で、砦麻呂の乱による消失の復興から869年(貞観11年)の大地震による倒壊まで、第4期は869-10世紀半ばで震災の復興から廃絶までに分けられる、と記されています。
    数年の違いがあるのか、あるとしたら、準拠している暦が違うからなのか、気にしなくても済むくらい昔ですからね。

    そのような大昔の、貞観年間、863年に矛の巡行が始まったということですね。この年の7月(陽暦)に東北の「貞観の大津波」があり、66本(当時の国の数)の矛で悪霊退散をお願いし、安らかにお眠り、あるいは、昇天して戴いたりしていたのですね。
    今回は、僅か1日くらいの間に2万人以上の人々が、忽然として幽明境を異にされましたことに、他にも増して、多くに皆様の力で、安らかにこの地をお去り戴ける様、祈念したいと思います。 合掌

  8. 田端建機 says:

     私は退職してずーっと読まずにいた数理経済学の本をやっと一応読了しました。そして思ったのは、学生時代、どちらかと言うと数学に弱い左翼からやっかみ的に言われてきたこと、「数理経済学は2流の数学者のやる3流の経済学だと」という言動になるほどという感じをより強く抱くようになりました。一時、競争が絶対、規制は少なければ少ないほど良いという主張が近代経済学者の一部から強く発せられましたが、その根拠となる数理的証明の部分はまったく現実性のない前提に基づくものでしかありません。数理経済学をやる連中には法則は現実ではないのだから、仮定や前提が現実と異なっていてもかまわないんだと言う者が多いのですが、とんでもない話です(このことは詳しくはのべませんが)。ノーベル経済学賞は主に数理経済的な業績に与えられるようですが(それも非ケインズ経済学派の学者の業績に偏り勝ち)、それらは、現実を数学的解析し易い部分を都合の良いようにつまみ食いして、数学的には厳密ではあっても、現実の経済現象の理解にはほとんど役にたたないものが殆どではないかと思っています。そもそも、数理経済学のそういう性格を厳しく批判し、現実の経済問題に目を向けるべきだと主張したジョアン・ロビンソンと言う女流経済学者いましたが、本来から言えばノーベル経済学賞が制定されるのなら、彼女など最初に受賞すべきだったと思います。しかし、彼女のような、数理経済学の行き過ぎに批判的な学者、それも資本主義の安定性を問題視するような学者は非常に重要な問題提起をして経済学をリードしたような人であっても、受賞しませんでした。今、私はマル経も近経もそのどちらも欠陥だらけのものだと思っています。佐藤君のノーベル経済学賞への疑問に対してちょっと書いてみたくなり投稿しました。
     ついでに西欧の哲学では自然の法則は理解できないのではないかと考えておられるようですが、東洋の哲学で理解できるのかというと、それも疑問だと思います。量子論や相対性理論はもちろん、近年、我々の時空は10次元ぐらいの時空とするのが良いのではないか等と言われだしていますが、数学的には明確であるとしても、我々一般人はそういう理論を東洋の哲学や思想をもってしても理解しイメージできるようには思えませんが、如何なものか。例えば、西田哲学の純粋経験とか絶対矛盾の自己同一なんて言ったて、科学に大しては直接的には何の寄与もしないと思います。その前に理解するということが何を意味しているのかという問題があると思いますが。量子力学など計算方法として多くの人が使ってはいるけれど、彼らの多くはそれを理解してはいないとも聞きますが、どうなんですかね。

  9. 川村浩一 says:

    今朝の日経新聞。
    見出しを読むと「大文字の護摩木」「陸前高田の松 使用取りやめ」「放射性物質が心配の声」。
    松からは放射性物質は検出されなかったが、それでも8月に入って取りやめを決めたとのこと。浮世には面白いことが多いですね。

  10. 川村浩一 says:

    今朝の京都新聞。
    「『大文字』被災マツ断念」に関する記事。
    見出しを並べると「京都市に批判300件超」「京都に裏切られた/現地の思い無駄に」「風評被害生むだけ/あまりに恥ずかしい」「寂聴さんら疑問の声」
    このあたりの計画や決定は「大文字保存会」のはずですが、京都市はどこまで関与しているのでしょうか?市長は「今回の決定は残念で寂しい。」とコメントしているとのこと。
    すでに被災者が祈りを書き込んだマキは、陸前高田で「迎え火」として8日夜燃やされたそうです。
    結果的に京都市民は「加害者」になったわけです。

  11. 川村浩一 says:

    またまた、日経の夕刊。見出し。
    「別の被災松 送り火に」「京都市と保存会、抗議受け一転、薪500本」
    京都市が「京都五山送り火連合会」に要請したとのこと。五山のどこで燃やすかは未定。大文字以外の4つは受け入れを決定。
    リーダーたるもの、見識が大切という教訓。

  12. 川村浩一 says:

    大文字の送り火から帰ってきました。
    「被災松」の件、松割り木からセシウムが検出されたとかで、結局使われず。学者からは決定に批判的意見。京都市へのメールなどに見る市民の意見は賛否相半ばとのこと。
    角砂糖一つ琵琶湖に落として琵琶湖が砂糖水になったというようなもの。
    「被災松」に関しては これでおしまい。

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