12期の広場

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第5回 「市岡高校東京12期会」

<第5回 「市岡高校東京12期会」報告>
幹事 事務局長 8組 山田正敏

 本会も今回で丸8年、5回目を数える。そして全員が今年度古希を迎える。

 11月19日(土)午後1時から川合君の世話で今年も銀座の「三笠会館」に於いて挙行、出席者は女性6名、男性16名、計22名であった。

 榎本幹事長の開会の辞から始まり、今年2月に逝去した松永康雄君の為に全員30秒の黙祷。

 その後、本会会長・泉君の挨拶に続き、大阪より本会の為上京してくれた12期全体の会長・酒井君や張君より市岡高校110周年の集まりの報告や12期会の今後の方針等丁重なご挨拶を頂く。

 そして、榎本幹事長より会長人事につき、泉 現会長が12期全体のホームページ編集委員兼任という理由で退任、代わって大石橋君が引き継ぐという事に対して出席者の了解を求め、全員の了解を得る。新会長の挨拶をもらい、川合幹事に乾杯の音頭を取ってもらって食事歓談に入った。

 30分の歓談の後、恒例の出席者全員の近況報告を順番にしてもらった。
満身病で医者が見離したにもかかわらず、どういう訳か益々元気な村木君のユニークな話しぶり。広島から駆けつけてくれた辻君の再生医療の話。加古川からわざわざ来てくれた高尾君(8組)。同じく初参加で12年間土浦にいて、来年4月名古屋の実家に帰るのでこれが初めてで最後の参加ですといいながら楽しそうに話してくれた小野君(6組)。そしてやはり酒井、張両君の丁寧で真摯な話が会を盛り上げてくれた気がする。

初めて東京12期会に参加の酒井君(前列左)小野君(前列中央)高尾君(後列右端)

 結果的には最後になり、古希の祝いをするのであるが、たまたま高谷尚江(旧・富田)さんが本日誕生日だという事でそのお祝いもかねた形になった。彼女の嬉しそうな顔を見て、70歳になっても誕生日を喜ぶ女性の可愛さを感じた訳である。

 その段階では司会進行役(山田)はもはや役目を果たさず、ただひたすらに酒を愛でていただけである。本日の大事な報告事項である「利根川 川上り」の最終報告は、時間の関係で後日改めてという事にし、又、恒例の「校歌斉唱」は忘れてしまったのである。(反省)
ということで何とか終了した。大体こんなところが「東京12期会」である。

 2次会はいつものカラオケで17名が参加。歌を歌う為なのか酒を飲む為なのかわからない2次会であったが、わいわいがやがやで楽しく3時間近くを過ごした。

 残り少ない人生!理屈抜きで楽しむのがこの会の良いところでもある。

※尚末筆になりますが、酒井会長から今回の会に、祝い金を頂きました事を東京12期会の皆さんに報告致します。又、その使途につきましては、本会と2次会に於ける赤字の補填に充当致しました。了解願います。

<20日 東京案内>

 東京12期会に出席の為、酒井、張、村木の3君がホテルに一泊する為、在京組の泉、榎本、山田が同宿し、そして、翌日東京案内をする事になった。

 ルートは、「ホテル銀座ダイエー」→柴又の「帝釈天」→「東京スカイツリー」→「珉珉」(食事)とし、ホテルを出発東銀座より都営地下鉄・京成にて約30分で柴又着。そこでボランティアの案内人に従い、うなぎ屋、団子屋、土産物屋などが立ち並び、昔ながらの趣を今なお色濃く残す参道を約200m歩き帝釈天(題経寺)山門に至る。すばらしい彫刻が施された山門をくぐり400円の拝観料を払い本堂へ。

 そこで驚いた。 厚さ20~30cm横3~4m縦1.5m(ぐらいか)の欅の柾目の1枚板に立体的に彫られた壁板が外壁一面に嵌め込まれており、全部で何枚になるだろう、十二支、色々な動物、人物、風景等が立体的に彫られており、芸術的にも技術的にもまさに国宝級だと感じ入る。そして回廊式の大庭園を見た後、すぐ近くを流れる江戸川に出て土手の上まで上り、「矢切の渡し」は遠望するだけにして、帝釈天の鐘楼で衝く正午の鐘を聞きながらもと来た参道を団子で腹の虫を抑えながら駅まで戻る。

 それにしても、映画の影響力は大きい。「寅さん」映画のシリーズがなければこれほど人気になり、これほど多くの人々が参詣するだろうか、少なくとも本日の我々の計画には入れなかった。

 次は柴又発約20分で押上下車。「東京スカイツリー」を見物する。来年5月末オープン予定で現在下部の建築工事中、又、周辺の整備もこれからと言うところであるが、日曜日という事で大勢の人出の中、634mを見上げ、その高さと迫力を実感する。東京近辺では見通しさえ良ければ大概の所から遠望出来るが、近くで見るのは東京組みの3人も初めてである。しかしやはり東京タワー同様これも近くで見るよりは離れて見るものだと実感する。

 帝釈天で時間が掛かりすぎた為、次の予定である「浅草寺」は今回カット。時刻は13時10分。東京駅地下の「珉珉」に急ぐ。遅い昼食をまずビールで乾杯。後、餃子19人前、その他単品でそれぞれが好きなように注文し酒も飲み放題で15時30分頃打ち上げ。東京駅で解散した次第である。

以上
さすがに疲れた・・・山田 記
 
第5回 東京12期会(総集編)

<参加者全員の集合写真>
前列右端が泉会長、二番目が大石橋新会長
泉会長、有難うございました。大石橋新会長、よろしくお願いします。(東京12期会一同)



<7組 松永康雄君のご逝去に黙祷を捧げる>

<3組 鈴木毅君のメッセージ>

 松永君の逝去は、本当に残念です。
大学の頃に、曽根崎新地の自宅によく遊びに行きました。興梠と3人で立山によくスキーに行った思い出もこの間のように思い出しています。

 彼が大林組に就職して広島に転勤した時には、広島でも会いました。その現場がきつくて腎臓を患ったようにも聞きましたが、又、そのおかげで奥様と知り合って結婚ということも聞きました。

 昨日(11月7日)奥様からのハガキを頂きました。一言、「残念です」と書いてありました。まさしく実感です。本当に誠実な良い男を無くしました。


 平塚で昼飯でも・・・と言いながら、私の仕事のためになかなか時間が取れず、本当に残念なことをしたと思っています。彼の平塚の自宅にもお邪魔したことがありますから、近いうちに手を合わせに行こうかと考えています。


<泉会長のメッセージ>

 皆さまこんにちは、お久しぶりです。

 今日は古希の祝いも兼ねての同期会と云うことで、酒井会長はじめ遠方からも多く馳せ参じていただいて、大変賑やかな集まりになりうれしい気持ちでいっぱいです。

 古希の出典についてはご存知の通りですが、この杜甫の七言律詩「曲江」について僕の好きな意訳を紹介しますと、
勤め終えれば質屋に通い
飲み屋に毎日入り浸る
酒屋のつけも一杯あるが
どうせ儚い人生だもの(人生七十古来稀)
花に群がる蝶々を眺め
水面を滑るトンボと遊ぶ
光あふれる都の野辺に
しばしの春を楽しまん 「石川忠久 漢詩をよむ」
失意の時期に詠んだものとは言え「国破れて山河あり・・・」の格調高い詩の作者とは思えない脱力ぶりが、かえって俗人の僕には心に沁みます。

 他方ではあの孔子先生でさえ「七十にして心の欲するところに従えども、矩をこえず。」とこの年になって悟っているわけで、我々凡人はその境地に達することを願いつつも、未だに迷い言を云い、悩みが果てないのも当たり前のことなのかと、杜甫と孔子の間を行きつ、戻りつの日々を送っています。

 2006年のブータンでの山旅以来、亡き松永君にはじめて手ほどきをうけたころに戻ったように、山と自然に親しむ生活を楽しんでいますが、このところ少しは人の役にも立ちたいなどと殊勝な心がけをおこし、NPOを立ち上げて在宅でのターミナルケアの取り組みを始めました。皆さんにはまだまだの話ですが、何なりとお役にたてるようであれば声をおかけ下さい。

 東京12期会の立ち上げの話が出てから足かけ10年、今回は古希の節目でもあると云うことで、名ばかりではありましたが会長の役目を、実のある大石橋君が引受けてくれることになりました。永世幹事役の山田、榎本両君はじめ良い仲間に支えていただいて、同期会はもちろん、折々の小旅行や利根川歩きなど楽しいイベントを重ねることができました。 

 皆さん、本当にありがとうございました。
先立って行った仲間を偲び、東北の被災地を思い、生かされている我々は、次の節目の喜寿に向けて、これからもしっかりと歩み続けましょう。


注:「ブータン紀行」は別枠で掲載しています。ご覧ください。

<大石橋新会長のメッセージ>

 このたび市岡東京12期会の会長を引き受けることになりました大石橋です。泉前会長にはおよそ8年の長きにわたってつとめられ、本当にご苦労様でした。心から感謝いたします。今後はHP委員をつとめていただけるとのこと、どうかよろしくお願いいたします。

 さて、私が会長をお受けしたのは、次の理由からです。まずひとつは、上で述べた泉君のHP委員への異動に伴い、会長の席が空席になったからです。このこ とは利根川歩きの最終段階で榎本君から聞かされ知りました。その夜、夕食後、一杯飲みながら誰がその席を埋めるのかについて話し合いました。泉君、榎本 君、山田君、そして川合君はそれぞれ重要なポストで活動されているので、その場にいるメンバーでは西條君と私がフリーな立場で、しかも川歩きは私の方が古 参でしたから、何となくお鉢が回ってきそうな雰囲気ではありました。しかしまあ最終的には会員から公募という手段もあるし、と考え、その場は適当に受け流 したつもりでした。しかし、その後泉君からも説得され、段々その気になっていったのです。

 二つ目は、10年ほど前だったでしょうか、山田君が発起人になり、もどり鰹のたたきを食べに行こうと気仙沼へ出かけたのを皮切りに、利根川歩き、初島、 都内見物などなど、楽しい時間を持つことができました。また、総会、忘年会の開催や、個人的ではありますが、息子の焼き物の展示会へ足を運んでもいただき ました。これらは、前会長と幹事、世話人のご苦労によるもので心から有難く、感謝、感謝です。この有難味を形にするには、やはり会長を受けるしかないと考えたのです。


この気仙沼の景色は、今は見られないかも

 さらに三つめは、6年前に大腸がんの手術をしました。その後頻繁に検査を受けていたのですが、6年経った現時点で全く問題なしといわれました。おかげで、テニスなども続けていますし、この程度の体力ならば会員の皆様にご迷惑を掛けないですむだろう、と判断したことです。

 このようにして、会長をお受けしましたが、何分不慣れでございます。至らぬことも多々あると思います。会員の皆様のご支援、ご協力を仰ぎながらつとめて参りたいと思います。

 どうぞよろしく。


<市岡高校東京12期会に初めて参加して  酒井八郎>

 今年の日本は、天変地異の年でした。私自身、16年前に阪神淡路大震災で全壊した店舗兼住宅を再建して後、それを含めて100年を越えた家業の継続と維持にいまだ、全力投球の年月が続いています。

 私達12期生の同窓会も、全体同窓会が5年から2年に一度の開催に変わり、それまでの関東在住の同期生の集まりが、東京12期会として隔年開催となって、早や8年が経過。平日開催ということもあったりして、なかなか上京できず、今回初めて参加させていただきました。

 大阪での同窓会開催に向けて、住所録の確認でしか、お目にかかることができなかった方にもお会いでき、12期生同士の距離が縮まった感じを強くしました。

 まだ仕事を続けておられる方に意を強くしたり、地域活動に力を注いでいる方に頷いたり、女性の方々のパワ-には関西同様、勇気づけられたりの楽しい一時でした。

 泉会長初め幹事の皆さん、本当にご苦労さまでした。また参加されたすべての同期生の皆さん、ありがとうございました。

 新会長の大石橋さん、共に手をたずさえ同窓会のため頑張りましょう。


来年は全体同窓会が大阪であります。その時にお会いできるのを楽しみにしています。
今年の元旦から始まった、いつでもどこでも誰でも参加出来る「12期の広場」の広がりに、HP委員のメンバ-に感謝しつつ、次々と投稿下さる同期生に拍手!!
 <張 志朗君のメッセージ>

 「感謝・感謝」

 こうしてまた元気に東京の皆さんにお会い出来た喜びが一杯で、思わず握手する手に力が入りました。

 常日頃のこまやかなお付き合いが裏打ちされているからでしょう、市岡東京12期会は和気藹々の一言です。私は久しぶりの参加でしたが、皆さんのあふれんばかりの歓待の心に一気にハイテンションになり、楽しく、愉快な一時を過ごせました。また夜は夜で泉君、榎本君、山田君が関西組と同宿していただいた事、翌日は柴又帝釈天や東京スカイツリーを案内して頂いた事など、皆さんへの感謝感謝の二日間でした。こんなに心を解き放ちまた心浮き立った経験はめったにあるものではないと今、しみじみとかみしめています。

 同時に我が12期同窓会の広がりと厚み、そしてその多彩さを実感しています。

 古稀を迎えると人生一筋縄ではないと思うことが多いのですが、皆さんからまた新しい共感や元気を得たようです。ありがとうございました。




<2組 高谷(旧・富田)尚江さん>

 本日(11月19日)が誕生日で目出度く古希を迎えられました。

 11月19日の市岡東京12期同窓会は私にとって忘れられないものになりました。古稀の70才の誕生日ですでに70才のお誕生日を迎えられた方、これからお迎えになられる方を含めてたまたま私がお祝いをしていただき恐縮しております。でもうれしかったです!ありがとうございました。70才を元気に迎えられたこと今までかかわった統べての方に感謝の気持ちでいっぱいです。いつも同窓会を企画し実行してくださる幹事の皆様お世話さまです。ありがとうございます。次回も元気に再会できますことを楽しみに日々大切に暮らしてまいりたいと思います。



<5組 阿部清二君>

 今年、私の心に残る出来事の一つは、3月11日発生の東日本大震災です。前日の3月10日、地元の新しい仲間11人で、茨城県にバスツアーを行いました。水戸偕楽園での吟行、常陸那珂湊民宿での会食(あんこうなべ)、那珂湊に立ち寄り15時前に現地を離れました。常陸那珂、那珂湊の2ヶ所は津波で大きな被害が発生し1日違いで命拾いをしました。

 復興の願いを込めて私の出来ることとして何ができるかと考え、些細なことですが4月~8月に、ある親睦会の個人会費1割相当を日本赤十字社へ送金しました。

 二つ目は、健康についてです。大学を卒業して約46年、その間、健康に恵まれ、2年前の人間ドッグ受診では60代としてはほぼパーフェクトとの所見がありました。しかし、8月初旬に夕食後絨毯に寝転びテレビで観戦、東京フランチャイズのチームの負け、嬉しくなり立ち上がった瞬間、腰を痛めてしまい翌日10時ごろまで痛みで体を動かすことが出来ませんでした。しかも、当日、妻はポーランドへの研修旅行中。10日程度で治りました。次に仲間7人とスポーツ(ボーリング)をしていたところ、投げた瞬間左脚の膝内側・脚つけ根を傷めてしまいました。元勤務先の先輩から70歳代になると体の衰えが進むので健康に留意するようにとのアドバイスをいただいた直後のことでした。


<1組 藤原(旧・森本)久子さん>

 いつも大変お世話になります。

 おかげさまで、古希の思い出になりました。

 私の近況は、テレビでスポーツ番組を見るのがささやかな楽しみの日々です。時たま美しい自然の場所へ出かけます。

 次は、喜寿にむかって、生きて行ければ、幸せかなと思っています。


後列中央が藤原さん

<8組 辻紘一郎君>

 皆さんに会いたくて広島から駆けつけてくれました。

 年寄りが会うと医療や介護の話になるが、この人を前にするとなぜか安心できる。自身が再生医療に取組んでわかりやすく話してくれるからだと思っている。心強い同級生です。(榎本 記)

彼曰く

 毎日・毎日すこしずつ、挑戦することが70年の成果だと思います。私は、定年を捨て、再生医療の会社 ツーセル にかけて突撃・前進を繰り返します。それはたくさんの仲間がいるからです。


笑顔いっぱいの仲間と (後列左端:辻紘一郎君 前列左端:榎本)

<1組 上原(旧・大川)澄子さん>
東京12期会に寄せて

 この8年間体調をくずしたこともありますが、5回の同窓会に全て出席したことを嬉しく思います。古希の祝いというとおじいさん・おばあさんの集まりの様ですが、私の目には市岡時代の面影が重なり皆若々しく見えます。

 少年のような発想の利根川源流への旅、きっと楽しく、そして苦労されたことでしょうね。

 私の近況ですが、10月から火曜会というシニアのテニスクラブに入会して汗を流しています。ラケットも軽いのに換えました。

 今回の会にお骨折りいただいた幹事の皆様有難うございました。来年の大阪での同窓会にも元気で出席したいと思っています。


後列中央が上原澄子さん

<4組 重松清弘君>

 11月19日開催の同期会では楽しい時間を過ごす事ができました。3年4組から川合さんと神戸から駆けつけてこられた酒井さんと私の3名でちょっと寂しいかなという感じでしたが、お世話いただいた幹事の皆様には感謝、感謝です。ありがとうございました。

 ところで、今私が考えていることを申し上げます。それは、いつか私が完全にフリーになった時、先ずやりたいことが二つあるということです。

 一つは、昭和40年ごろから始めたペンパル交流(当時は流行していました)で、私のペンパル、フランス、オルレアン郊外ボージャンシーに住んでいるミッシェル・ボディンに会いに行くこと。彼女は現在ご主人の病気看護のためコート・ダジュール地方のサントロペの近く、サントマクシムに長期滞在中ですが、このどちらかを訪問することです。文通を始めて40年以上ですが、まだ一度も会ったことはありません。40年以上会おう、会おう、とお互い言い続けてきたのですが、その夢(希望)をぜひ実現したいと思っています。

 二つ目は、バンクーバーの北北東にある小さな町ケネルに住んでいる親友のフィリップ・マクを訪問する事です。昭和42年頃、祖父と一緒に香港に旅行で行ったとき、初めて会った人で、その後交流を重ねて私の親友の一人になりました。彼は昭和50年頃、奥さんと一緒にカナダに移民しました。彼には私が香港駐在中の昭和63年に、一時帰国してきたフィリップに会いましたが、その時の約束は重松がケネルに来て、それから二人でカナダを横断しようということで、この横断はちょっと無理かもしれませんが、ぜひケネルを訪問して約束を果たしたいと思っています。

 フリーになった後も忙しさが続く予感がします。そのためにも健康が第一。皆様もどうぞご自愛ください。


<2組 杲田(旧・鵜飼)慶子さん>

 皆様こんにちわ。(私より先にお話をされた方々の)お話を伺い、つくづく市岡12期の方は素晴らしい道を辿られて素敵だなぁーと、とても感動いたしました。

 私はというと夫が商売をしていますので波瀾万丈、正に小説より奇なる道を辿ってまいりました。ずっと以前からもそれは色々あったのですが、リーマンショックからの金融危機の直撃を受けて、首の皮一枚でつながった・・・のが本当に不思議でした。

 そのときは「夜逃げ」の覚悟・準備をしました。そのあと長引く不況、そして大震災、度重なる台風、挙げていけばキリが無い程次々に襲い掛かる難事、濁流に呑み込まれ乍ら浮き沈みしている木の葉舟そっくりです。今またタイの浸水・・・も他国事ではなく(工場がタイにもありますので)この先の予測不能です。

 そんな夫には大変申し訳なく思いますが、私にできることは何もなく「ならば!」と開き直って一般の方が余りしない体験をショックやスリルを満喫? し乍らドラマの主演女優(美しいひと)になって演じている気分で過ごしています。ひとつずつの苦難が超えていけることを楽しんで笑顔でいたいと思います。

  それにもう古稀という節目も過ぎましたのでいつ死んでもいいですし、恐いものなしの心境です。そうそう恐いものと言えば一つだけありました。「もしも 120才迄生きたら・・・」ということがどれだけまわりに迷惑を掛けるかと思うと本当に恐いです。ですがそれも又私がどうにかできることではありませんの で、又「ならば!」と開き直って12期の皆さん全員の方を黙祷させて頂くつもりでいますので皆様どうぞご安心くださいませ。


開き直って・・・ですが危機が忍び寄る!

 「全員」と言いましたが只一人終末ケアのお仕事をされている泉さん!その節はどうぞよろしくお願いします。現世に泉さんお一人を残して彼岸に先立たせていたゞいて私よりも先に行っておられる12期の皆さんと共に泉さんの到着を待ち、(ここに揚げてある)「市岡高校12期会」の旗(横断幕)は私がお棺に入れてもって行きますので、あの世で盛大に12期会を楽しみましょう。これで私の近況報告を終わります。ありがとうございました。


この12期の横断幕は、責任を持って私が皆様のところにお持ちします

<6組 中柴方通君>

 三鷹市で、駅の近くにに住んでいます。ジブリ美術館のある町です。

 住みよい町です。再開発事業のため駅にまっすぐ行ける重要な生活通り(市道)がまっすぐ行けなくなることがわかり、存続の運動を仲間と最近始めました。短期間で千名以上の署名をもらいました。

 これまでつきあいの無かった方との交流が増えました。



<4組 川合兵治君>

 2007年10月にスタートした「利根川 川歩き」が、4年を掛けたこの5月で「川歩き」としての終点矢木沢ダム(総歩行距離約290キロ)で一応の目的を達することができ、素敵な仲間に感謝している今日この頃です。次の目標は「荒川」に決まっていますが、その前に、やり残した「利根川源流」への新潟県側からの挑戦を来年初夏には決行する予定です。

 身体のほうは歩いたり、テニスをしたり健康維持に努めると同時に、ボケ防止には最低週3回は半日を囲碁に費やしています。腕前はやっと初段程度ですが、早く山田兄(山田正敏氏)と「対」または「白番」で対局することを当面の目標としています。

 家族全員(妻、長男、次男、長女と彼らの子どもたち―孫4人)が平穏で健康に暮らせていることに感謝し、何か人のために出来ないかと、これまで5年続けている世界各国の僻地に住む子どもたちを支援するNGOの支援者への通信物の英日翻訳(10通/月)に加えて、今年の初めから週に3日(4時間/日)ほど「学童指導員」というボランティアに従事しています。

 「学童指導員」とは、「核家族」、「夫婦共稼ぎ」の増加により下校して家に帰っても誰も面倒を見る人がいない小学生(1~3年生)を預かり、怪我や病気にならないよう面倒を見、宿題や遊びを共にし、社会のルールを身につけさせるよう指導することを目的としています。子どもたちの元気をもらうことはボケ防止にもつながり一挙両得の仕事です。

 最後になりましたが、現役退職後心にきめた「70歳までには英日翻訳本を手がける」夢は、「80歳まで」にのばして、しつこく追いかけるつもりです。


<8組 榎本進明君>

中央 座しているのが榎本君

 12期の会には当然後輩は入ってこない。同い年が行事の全てをやらないといけない。文書を書くにも、メールをうつにも、住所録のメンテをするにも、時間がかかる。もたもたモタモタして一向に進まない。何をしても「時間がかかる」、これが私の近況の全てである。

 「時間がかかる」と「時間をかける」は意味が違うのであるが、ごっちゃになってしまっているところがある。時間があるので昔より時間をかけて出来 る部分もある。いわゆる「時間がゆっくり過ぎていく」というゆとりの表現である。しかし、私には朝起きてアッという間に夜になり、結局一日何も成果がな かったという日が続く。これって「時間が早く過ぎていく」ではないだろうか。アッという間に80歳になってしまうような気がしているこの頃である。



<二次会の風景>

背筋ピーン。男は背中で踊るのだー!

最後は六甲おろしで締めくくるぞー

こういう姿を見ると幸せを感じるね

痛いのイタイの飛んでけー 元気だぞー

外は大雨だけど2年に一度の大はしゃぎ

少し疲れたのでムードある曲でシンミリと

<翌日は快晴であった>
柴又駅前の寅さん像
全くのおのぼりさんに
なった面々
帝釈天の回廊
確かに見事な彫物であった
眺めていて飽きず
お陰で予定が大幅に狂って
浅草寺はパス
今度は上から下界を
見てみたい




<欠席者の近況>(コメント付のもの)

<女性>
1組 古谷野(旧野村)泰子さん: ご母堂(100歳)逝去につき喪中。葬儀のため帰阪、後片付けその他いろいろあり欠席
2組 鹿谷(旧谷野)明子さん: 膝が悪く遠出が出来ない
4組 兒玉(旧青木)恭子さん: 6月に肺炎を患い少し落ち込んだが今は元気。趣味で京鹿子(京都に本部がある俳句の結社)に投句して遊んでいる。当日は京鹿子東京支部の句会があり、当番幹事のため休むわけにいかず欠席する

<男性>
3組 鈴木 毅君: 得意先のゴルフコンペの案内が入り今回も欠席。ぜひ皆様にお会いしたかったが残念。関大のバスケ東京OB会にも全く参加できない状況
4組 上本晴彦君: 皆さんにぜひ会いたいが体調が悪く、又、歯がほとんどない状態で残念
4組 野田播磨君: 体調悪く欠席
5組 小川朋邦君: 当日は先約があり欠席。暫く皆さんに会っていないので参加できないのが残念
5組 興梠十七郎君: 松永が逝ってから東京に行く楽しみが少なくなった。葬儀については奥様の希望もあって誰にも連絡をしなかった。春に頸を痛めて大変だったが現在はゴルフに耐えられるまで回復している。今回は参加できない。皆様によろしく
6組 佐藤裕久君: 土曜日は太極拳の稽古日。11/5~6は東京で学会出席。11/6~7は東北大OBの杜遊会で奥飛騨温泉郷に旅行。等々で日程・軍資金不足で今回は欠席したい
6組 平松弘行君: 体調悪く欠席
7組 三浦孝文君: 当日は先約があり欠席
7組 水谷 卓君: 皆様に会いたい気持ちは強い。しかし体調が悪く欠席
7組 須藤憲司君: 都合により欠席
7組 橋本 豊君: 都合により欠席。昨年9月より仕事から完全にリタイヤ。現在は地域活動、エレクトーンレッスン、ウォーキングやマジック教室に通ったりして元気
7組 大西佑治君: 同居している94歳の母の体調が悪く、現在外出を控えている
7組 山崎 巌君: 実弟逝去につき喪中。又自身の体調悪く欠席
7組 小原 靖夫君: 出席予定が前日風邪をひき発熱で欠席、9月にウイーンからパリを経由して自分のペースで真に気ままな旅をした
8組 佐藤 登君: 都合により欠席
8組 稲田 紘君: 当日は学会発表のため鹿児島に出張
8組 小林勝之君: 病気療養のため欠席
8組 萩原貞雄君: 当日は野暮用あり、この時期なにかと行事が多くやりくりつかず欠席
8組 緒方(旧戎田)君: 都合がつかず欠席。10月下旬に北京ツアーに参加。激動する中国を垣間見た。心身の健康に留意しながら元気でやっている

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