12期の広場

12期の広場

ドラゴンズVSタイガース

6組 小野義雄

 無人の教室で、学生のテープレコーダ群に向かって、教授のテープレコーダが講義を続けるという映画の愉快なシーンを覚えておられる方が多いと思います。

 近年では、インターネットが卒業論文作成に悪用されることがあり、盗作ともいえるそのような論文を検証するソフトウェアの開発もなされているとのことです。インターネットが普及し始めてまだ20年ほどですが、ネットを通じて利用可能な情報量はすでに天文学的であり、どんなこともすぐに教えてくれる便利なツールになっています。

 大学での非常勤講師を長年行っていますが、知識伝達のみの場ではなく、問題解決力の育成につながる講義であることが大切であると考えています。
 

 H-Ⅱロケット開発の中頃、社長から「ロケット屋は江戸時代の駕籠かきのようなもの」と言われ、私はロケットプログラムから離れ、ロケットで運んでもらう製品分野を模索することになりました。総合電機メーカーの牙城である衛星ビジネスにちょっかいを出すのではなく、すでに開発が始まっていた宇宙ステーションへの物資の運搬を担う補給機に狙いを定め、NASAのスペースシャトルに似た無人小型機の耐熱構造の開発等に膨大な社内研究費を使い、肩身の狭い思いをしていました。そのような折、H-Ⅱロケット初号機で何を打ち上げるべきかという議論がはじまりました。

中華鍋のようなOREX
 NASA研究所への出張中に目にした木星への突入機からヒントを得て、無人小型機の先頭部分をロケットで打ち上げて、地球を周回後に太平洋にパラシュートで着水させるアイデアが閃き、その構想と開発計画が採用され、OREXという愛称を戴いて約2年半で開発し(左の写真)、H-Ⅱロケット初号機とともに完璧な飛行を成し遂げました。

 地表への帰還時の周囲の空気は1万度を超えることから、先端の中華鍋のような部分はカーボン/カーボンと称される炭素のみの材料で、表面には高温でも酸化しない炭化珪素層を作り、空気中でも約1400℃まで耐える構造です。その後方の円錐形部分は約1000℃まで耐える断熱性の良いシリカタイルで覆っています。この機体の内部には推進剤タンク、誘導制御用電子機器、計測データの記録/送信機やパラシュートなどがぎっしりです。背面も耐熱性の特殊な布で保護され、小型ロケットエンジンやアンテナが搭載されています。

 ロケットは地上から少しでも離れると後戻りは出来ないことから、初号機からいきなり実用飛行と何ら変わりないのです。そのため徹底的な解析検証や、飛行中の環境を地上で再現して試験を行い、その結果が多くの人によって何度もチェックされるのですが、それでも初号機の発射の瞬間は極度に緊張するものです。私達が手を叩いたり歓声をあげる姿を期待してカメラを向けていた報道陣から感想を聞かれ、「拍手や歓声どころでなく、息を止め、心臓も停まりそうでした」と答えた部分は報道価値がないようでカットされていました。

 無人小型のスペースシャトルは航空機メーカーの技術者が結集して基礎設計が進められたのですが、このプロジェクトは間もなくキャンセルされました。残念ではありましたが、技術的難度や開発コストの点から正しい判断であったと思っています。でも単にキャンセルされたのではなく、次回説明予定の片道のみの補給機にとって代わられたのです。
 

  H-Ⅱロケットと空飛ぶ中華鍋が私の技術者としての最後の製品になり、その後宇宙ステーションプロジェクトを率いるようになってしばらく後のことですが、H-Ⅱロケットの6機目で第2段エンジンの故障、続けて7機目で第1段エンジンの故障により、高価な衛星の打ち上げに失敗して、日本のロケット開発が存亡の危機に立ち至り、H-Ⅱロケットのその後の打ち上げは打ち切られました。現在つくば宇宙センターに展示されている機体は、初号機の打ち上げ前に地上試験に使われたものです。

 第2段エンジンの故障原因は送信されてきたデータから、百数十本の細い配管をろう付けで束ねて作られている燃焼室の一部が損傷し、そこから噴き出した高温ガスが近くの電線を焼損してエンジンを停止させたことがすぐに判明しました。

 いっぽう第1段エンジンについては、苦労の末に3000mの海底から引き揚げられ、その損傷状況から、液体水素を約250気圧に加圧して毎秒約500Lを送出するポンプの翼の一部に疲労破壊を生じ、エンジン各部は一瞬にして焼損したことが判明しました。原因究明結果はもちろん後継機のH-ⅡAロケットに反映されています。

 その後H-ⅡAロケットの6号機で、固体ロケットブースタの噴出ガス内の粉末成分による浸食で1基のノズルに穴が開き、そこから噴き出した高温ガスが近くの電線を焼損し、ブースタの分離に失敗したまま飛行を続けたため、地上からの指令で自爆させました。その後ノズルの形状変更による対策がなされています。このようにして、すべての主エンジンが故障を経験することになりました。それぞれの詳細な内容はインターネットを通じて公開されています。

 H-Ⅱロケットは不幸な結果に終わりましたが、その設計思想は信頼性向上と生産コストの大幅低減を実現したH-ⅡAロケットに受け継がれています。

「2001年宇宙の旅」の映画ポスター

 私達が高校時代に観た「2001年宇宙の旅」というシネラマ映画に出てきたドーナツ形の宇宙ステーション(左の図)では、回転により人工重力ともいうべき力を発生させて、地上と同様な生活環境を実現していました。現在の宇宙ステーションも地球周回に合わせて自転を行い、常に同じ部位が地球の方向を向いていますが、非常にゆっくりした回転であり、人工重力に類した力は無視できる大きさです。

 無重力(物理的には無重量が正確な表現です)が宇宙飛行士の健康に与える影響が知られ、宇宙医学の研究者をはじめ多くの研究者から、さまざまな大きさの人工重力の下で小型の動植物を飼育できる装置の宇宙ステーションへの設置が求められ、各種費用分担についてのNASAとの協議を通じて、この装置の開発を日本が請け負うことになり、その開発構想の作成が三菱重工での最後の仕事になりました。

 停年退職後は子会社での技術と縁の薄い毎日でしたが、2年後にNASDA(現在のJAXA)から招かれ、契約完了後はJAXA支援会社から声がかかり、今年3月まで約12年という当初思いもしなかったつくば宇宙センターでの長い単身赴任生活になりました。このようにしてNASDAの職員になり、メーカー時代との立場の違いにとまどいながら、宇宙ステーション計画での各社支援や、打上げ前のシステム試験の技術評価等の仕事を得て、息を吹き返しました。

 

 人工重力発生装置は直径3m程の単なる回転装置なのですが、想定されるあらゆる不具合に対して安全を確保する設計を実現するのは容易なことではなく、日本側の設計の弱点を次から次へと見つけ出すNASAの技術力と厳しい姿勢に辟易し、激しいやりとりもありました。宇宙飛行士に転身された山崎さんもNASDA入社当初はこの仕事に参加していて、NASAの男性技術者と厳しい議論をされている姿に感心したものです。

 話しが変わりますが、藤村兄弟が活躍していた頃からのタイガースファンの私にとって、星野監督が阪神タイガースを優勝に導いた時は大感激で、宇宙センターの仲間に1万円もする万寿(久保田の銘酒です)を内祝いとして振る舞い(右の写真)、皆さんから祝って頂きました。

阪神タイガース優勝記念内祝い(筆者写真)

 NASAは、重要問題の解決に多くの技術者の力を結集する際に、勇ましいネーミングのチームを作るようです。少人数で対応しているJAXAでは、臨時チームを編成しても顔ぶれは同じではっぱをかける以上の効果はないのですが、多くの技術者を惜しげもなく投入するNASAでは特定問題の解決に適任の専門家を集める手段にしているように思えます。

タイガーチーム(米国NASA)とドラゴンチーム(日本JAXA)との技術検討会の一場面(右が筆者)

 多くの重要課題が貯まり、その解決が急がれる事態になった翌年、NASAからの提案で、NASAとJAXAがそれぞれタイガーチームとドラゴンチームを結成して、集中検討を進めることになり、その検討会議後の懇親会でタイガースファンとして、NASAの強力なタイガーチームの奮闘を期待していると挨拶し(左の写真)、実り多い結果につながる協力を要請しました。私の隣に立つビヤ樽のような男は、多くのことを教えてくれたNASAの構造部門の責任者で、夜の六本木を愛する気さくな爺さんでもありました。

 このようにNASA/JAXAならびに日本のメーカーの努力が実を結び完成に近づいたのですが、NASAの資金難からこれを打ち上げるスペースシャトル1機の費用カットとともに開発は打ち切られました。この人工重力発生装置を収納して打ち上げることになっていた構造は、設計に情熱を注いだ若い技術者の願いに応えて、つくば宇宙センターの片隅で雨ざらしではあるが、スクラップにされることなく保管されています。(下の写真)

人工重量発生装置

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