12期の広場

12期の広場

ダークマターを求めて

6組 小野義雄

 小学校から予備校までずっと私と一緒だった田中敏昭さんは一昨年6月に他界されました。幼い頃から腎臓を患い、年老いてからは週に一度は人工透析を受けながらも明るく、心の優しい男でした。亡くなる1年半前でしたが、小学校の同窓会の前日に彼の家に泊めてもらい、翌朝二人で近くの生駒山の峰を散歩したのが懐かしい思い出です。

 シャープの前身の早川電機に入社し、制御用機器の設計者としてスタートされました。今では家電や自動車などのあらゆる電子装置に使われているマイクロプロセッサがまだ世の中になかった頃、その基本回路の設計をされましたが、当時の早川電機には彼の設計を製品化する力はなく、またその将来性を確信する人もなかったようです。その後日本の別会社で製品化されたのですが、1971年に米国インテルが世界に先駆けて一般向けに製品化した後であり、マイクロプロセッサの開発史に彼の名前が残ることはありませんでした。

1960年代に開発されたアポロ宇宙船の航法誘導用コンピュータは初期の単機能の集積回路を数千個使用するもので、その性能は現在のおもちゃ以下のものでした。
 

 現在地球を周回している国際宇宙ステーション(右の写真)は、当時ソ連が打ち上げ準備中のミール(ロシア語で平和)という名称の宇宙ステーションに対抗 して、1984年1月に米国レーガン大統領が年頭一般教書にて、フリーダムと名付けた有人宇宙基地を10年内に建設することをNASAに指示するととも に、自由主義諸国に参加/協力を呼びかけたことに始まります。

完成したISS (International Space Station)
2009年11月スペースシャトルから撮影
完成した日本のモジュールJEM
(Japanese Experiment Module)
2009年11月スペースシャトルから撮影

 当時はまだ米ソ間の冷戦状態にあり、上空からの軍事施設の偵察という軍事臭が懸念されましたが、それが払拭されて、翌年カナダ、欧州とともに日本も参加することに決まりました。(左の写真)。


 その後NASAでの開発予算の大膨張による全体構想見直しの影響もあり、日本での開発中心メーカーの三菱重工も大赤字が懸念される事態に立ち至り、私は無人小型スペースシャトルの開発チームから宇宙ステーションの開発チームに移り、事業面の健全化と建て直しを行うことになりました。その直後にソ連の崩壊をはじめとして世界情勢が一変し、ロシアの技術者の共産圏諸国への流出を防ぐとともに、ロシアの技術と経験を取り入れて開発コストの削減を狙って新たにロシアが参加することになり、名称もISS(International Space Station),日本語で「国際宇宙ステーション」に変更され、当時すでに老朽化していたミール宇宙ステーションは廃棄されました。このように数度に亘る計画変更により、コロンブスの新大陸発見から500年後の完成目標がほぼ20年遅れて、1998年の最初のモジュール打ち上げから昨年7月の43回目の打ち上げでやっと完成しました。レーガン大統領の呼びかけから27年後のことでした。

 この間に著しい進歩を見せたIT技術が運用管制装置のみでなく、実験装置や観測装置の小型化と高性能化につながっています。いっぽう宇宙ステーションの無重力環境下での精製技術を利用する高純度の医薬品製造といった新たな産業の創生が期待されましたが、地上での精製技術の進歩により宇宙工場の開発という夢は遠のきました。しかし民間では宇宙観光事業を狙う宇宙ホテルの建設計画もあり、すでに試験打ち上げも行われています。さらに次の国際協同の宇宙探査テーマとして、月面基地や有人火星探査計画等がすでに話し合われています。

 
スペースシャトルの操縦室にて

 国際宇宙ステーションの各モジュールの打ち上げに活躍したNASAのスペースシャトルは2度の悲惨な事故を乗り越え、国際宇宙ステーションの完成により その役目を終え、昨年7月の135回目の飛行をもって退役しました。幸いなことに、私は機体のすぐ傍で整備作業を見学する機会があり、また訓練用のモック アップの操縦席に座る機会もあり(左の写真)、よい思い出になっています。


 日本が開発したモジュールは、2008年3月以降3回に分けてスペースシャトルで打ち上げられました。

 第二便で打ち上げられた船内実験室と称されるものは、宇宙飛行士の作業用に与圧されたモジュールであり、米国、ロシア、欧州のものもありますが、日本のものが一番大きく、静粛で快適な生活環境を実現しています。三菱重工とJAXAで設計から組立、試験まで見守ってきた私は、第一便の打ち上げ見学に招かれ、打ち上げ前日に射点近くで記念写真を撮ることができ(右の写真)、深夜の打上げの強烈な閃光と轟音は私の脳裏に深く刻まれています。

スペースシャトル射点近くにて

 

HTV(こうのとり)と筆者(右端)

 スペースシャトル退役後の宇宙ステーションへの宇宙飛行士の輸送は、ロシアのソユーズという3人乗りのカプセル型輸送機に頼っています。

 いっぽう物資のみを補給する輸送機としてはロシアのプロトン、欧州のATVおよび日本のHTV(愛称はこうのとりで、右の写真)がありますが、スペースシャトルに代わって大型装置の運搬が可能な輸送機は搬入口が大きいHTVのみです。
 これらの輸送機はいずれも片道のみの輸送ですが、宇宙ステーションから物資を持ち帰ることができるように、HTVの改良計画が進められています。さらに改良を行って、宇宙飛行士の輸送も行える日が来ることが期待されます。
 

射点へ移動中のH-ⅡB
 HTVは開発がキャンセルされた無人小型スペースシャトルに代わって開発されたもので、総重量約16トンで、その内約6トンが補給物資です。直径 4.4mで全長約10mの巨大な人工衛星と同じようなもので、日本最大のH-ⅡBロケット(左の写真)の衛星フェアリング(白い先端部分)内に収納して打 ち上げられます。

 



 宇宙開発に関わっている技術者の仕事は、ロケットや人工衛星、あるいは宇宙ステーションの開発だけではなく、ユニークなものもあります。そのいくつかを紹介してこの連載寄稿を終えることにします。

 
 今春単身赴任を終えて名古屋への復帰に際し、学生時代から50年続いた喫煙をやめたのですが、昨年3月の東北大地震発生時、私はつくば宇宙センターの建物の外にある喫煙場へ向かっているところで、地面が激しく波打つ状況を目撃しました。福島県の原子力発電所は震源に近く、津波による甚大な損傷も受け、原子力発電の継続是非議論のきっかけになりました。

 30年近く昔のことですが、化石燃料枯渇後のエネルギー対策として、巨大な太陽熱発電衛星やヘリュウム3(ヘリュウムの同位体)を使用する核融合発電の研究に参加したことがあります。前者は直径数百メートルの鏡を宇宙に浮かべ、太陽熱でガスタービンを回して発電し、それをマイクロ波で地上に送電するという壮大なものです。でも空を飛んでいる鳥が焼き鳥になって落ちてくるという心配はないようでした。巨大な太陽電池を宇宙に浮かべるという研究もあり、これは今も継続されているようです。後者は太陽から飛んできて月面の砂に吸着しているヘリュウム3を地球に持ち帰り、核融合発電に使おうというものです。その理由は、重水素とヘリュウム3の核融合では中性子を生じないので、安全な核融合発電を実現できるというものです。しかし毎年北海道の面積に相当する月表面の砂を掘り出して加熱処理という非現実的なものでした。
 

 宇宙ステーションへの輸送コストは1Kgあたり数百万円であることから、水や空気のリサイクルは重要な課題です。尿から再生した水の飲用開始は最近のことですが、呼吸用の空気については炭酸ガスを取り除いて再循環されています。かって炭酸ガスから酸素を取り出す研究も行われ、装置から出てくる真っ黒な炭素粉末が高価な宝石のように見えました。さらに食料のリサイクルについての研究も報告されています。
 

 物理学分野での今年最大のニュースは、素粒子に質量をもたらすヒッグス粒子の痕跡を発見したことがほぼ確実で、次には謎の物質??ダークマターの発見が期待されています。ダークマターは字句どおり目には見えず、宇宙に存在する物質全体の5倍以上の質量に相当する重力を及ぼしている何物かです。興味ある方にはブルーバックスシリーズの本をお勧めします。

 1972年にNASAが打ち上げた人工惑星パイオニア10号が太陽系外縁に近づいた頃、理論計算と計測された位置とにわずかな差を生じ、その原因がダークマターによるのでは?と話題になりましたが、原子力電池から非等方に放射される熱(光子流)による力であるとの結論になったようです。その後1977年に打ち上げられたボエジャー1/2号も同じ現象を示し、現在1号は太陽系外縁を過ぎ、太陽から180億Kmの位置を恒星間飛行をしていますが、原子力電池からの電力で今も観測データを送ってきています。

 ダークマターの発見はノーベル賞間違いなしとのことで、各国でいろいろな観測装置が開発されており、私もその一つの開発に関与しています。大量のガラス棒のようなセンサーを組み込んだ装置をロケットで宇宙ステーションまで運ぶのですが、打ち上げ時の振動から保護する機構の開発を見守ることが私に与えられた課題です。物質ではない幽霊のような何物かの検出ってなんのこっちゃ?と聞かれても私には説明不可能ですが、頭の老化防止によいものと信じ、ダークマターを求めて若い技術者との議論を楽しんでいます。
 

 第一回の「ロケット技術者への道」で書き始めることはすぐに決めたのですが、第二回以降のタイトルと書き出しには結構悩みました。文系の読者も意識していたのですが、後半はどうしても理系向けの内容になってしまい、退屈なさった方には申し訳ないことです。

 また機会があれば、宇宙開発の最新状況などについて寄稿したいと思っています

 2012年8月 猛暑日

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