12期の広場

12期の広場

法格言にみるイギリス法の精神  1

3組   松村 勝二郎

 〈人民の安全が最高の法である〉

   1 善き法律家は悪しき隣人

 最初に、有名な格言(俚諺)を考えてみましょう。これは、アメリカ合衆国独立宣言の作成にも関与したというベンジャミン・フランクリン(1706-90)の言であるという。このことばは、どんな法律家を理想と考えるかのヒントになろうかと考えて、私が時に法学部の学生に語っているものです。しかし、この格言には先輩がありました。

 宗教改革の時代、プロテスタント(新教徒)は、一般に、新約聖書の福音書を非常に重視し、その教えを規範と考え、それに基づいて信仰生活と信仰外=世俗の社会生活を組み立てていきます。ルター派の指導者マルティン・ルター(1483-1546)もそうですが、彼は次のように語ったという。「善き法律家は、悪しきキリスト者」「獄吏、死刑執行人、法律家、代言人及び何か無頼漢のようなものは、果たして往生できるだろうか」(大木雅夫「法・人」『時の法令』1323号)。ルターの発言には、「〈キリスト者は善き隣人たれ!〉と教えるキリスト教会が、なかでもプロテスタント教会が、善き=あるべき」キリスト者をその対極にある「現にある」法律家と対照したものでありましょう。‘A good lawyer, a bad neighbour.’と言ったとき、フランクリンはルターを想起したのかもしれません。我が国では法律家とその前身とされる代言人とが、遠い昔のドイツでも無頼漢になぞらえているのが印象的ですね。

 「福音書」に、形式論理を振りかざして原則を押し通そうとするパリサイ人を酷評する場面がありますが(例。マタイによる福音書、23章27節)、上の一文はその文脈から来るルターの法律家批判であろうかと思われます。もとより、「善き」は「悪しき」(good, bad)と韻を踏ませる対置で、褒めているわけではなく、冷笑とでもとるべきでしょう。しかし、法制史の立場からは、ルター時代の法律家の社会的地位と評価とがどうであったか―非常に低かったと言われています―我が国と比較してどうか、といった問題が残されていますが、それにしても、原理・原則だけにこだわり、形式論理を(もてあそ)ぶ法律家の通有性を衝いた、これは痛烈な批判であります。

 最初に、このようなことを述べるのは、ことばというものは真空状態で放出されるものではなく、あらゆることばは、それが発せられた場というか、〈文脈〉をもっているからです。法格言といった法思想の結晶であるとか、法原則の断言であるものは、殊にそうであるといえましょう。そうすると、法格言についても、〈文脈探し〉が重要となります。いつ、どこで、誰が語ったのか、そして特に誰に向けて語られたものか―〈名宛人〉―が非常に重要となります(いわゆる5W1H、特に名宛人の重要性です)。

 ここで法格言について、少し先人の教えを尋ねておきましょう。明治時代の法律家穂積(のぶ)(しげ)は、法格言(法諺)について、およそ次のように述べています(「法諺」『法窓夜話』岩波文庫)。諺は長い経験から生じた短い言葉で、いわば「民智の粋」である。そして諺の一種である法諺、つまり法格言はあくまでも自治的法制の基盤の上に始めて成長するものであり、従ってそれは中国や日本では僅少であるが、西洋諸国では著しく成長したと指摘した上で、法格言を次の2種類に分けている。その一つは法についての格言であり、法律の原則を諺体の短句にしたものであり、これはいわば法曹向けである。もう一つは法についての俚諺であって、これは広く通常人の間に行われるものである。法律家向けの「法格言」と通常人である市民にも広く行われている「法の俚諺」とに区別したのは非常に重要な指摘であります。〈名宛人は誰か〉という私の発想は、この区別に想を得ているとも言えます。なぜなら、法格言は上記2種類に(せつ)然と区別できるものではなく、入り混じって使われているからで、現実に法格言を採りあげて考える場合には、穂積氏の分類を一つの目安にしてさらに名宛人を考えなければならないからです。

 もう一つ付け加えるべきことは、法格言の発達には、たとえば組織の規律やその運営に権力と距離をおく、自律的な法曹団体の存在が不可欠である、ということです(たとえば、試験の合格や養成及び資格賦与すべてが国家の管理下に置かれているような場合を〈他律的〉という)。もしこのような〈自律的な法曹団体〉が存在しないならば、法思想や法準則の結晶である法曹向けの法格言は事実上不要でありましょう。なぜなら、そのような他律的法曹団体においては、職業法曹の深い関心は、判決を導く法原則や判決の核心である法準則の格言化といったものにではなく、おのずから、監督官庁の指示や通達といった有形無形の行政指導に寄せられるであろうからである。

 さて、イギリスの法格言は、いつごろ語られたものか判然としないものばかりある、と言ってもよろしいが、それでも文脈探しは重要であります。なぜならば、法格言であるとしても、無原則であるはずはないからです。イギリスの法格言もこう述べています。〈例外のない原則はない。〉〈例外は、原則を証明する。〉しかし利用者が勝手に一般化して使用するので例外はともすると一人歩きをします。そこで彼らはこうも申します。〈あらゆる例外は、注意していないと、原則の地位を占める傾向がある。〉それでは、最初の法格言にとりかかりましょう。

   2 人民の安全が最高の法である

 ここに法とは、なにか具体的なこれこれの法といったものではなくして、基本法、つまり国政の根幹を支える根本法を意味すると思われる。具体的には、国民の総意を代表して国家の主権を担うのは議院内閣制であるか大統領制であるかとか、人権の保障は裁判等において具体的にどのように確保されているか、といったことにあたるでしょう。その場合、この法格言の大意は、人民の安全、言葉を代えて言えば、国民の法生活の安定、否、広く国民の社会生活全般の安定こそが法の果たすべき第一の使命である、といったことになるでしょうか。

 では、この法格言は、いつ頃生まれたか(5W1Hはどうか)。すべて判然としません。しかし、この法格言からは、「人民」が主人公になってきている時代であることが窺われますから、おそらくは17世紀、国王主権か人民主権(議会制)かといった憲法闘争の時代であろうかと思われます。法律家や政治思想家はもとより、しかしいっそう強くは、その動向を事実上左右する市民に向けて発せられた短句であったものが永く生命を維持して―この法格言がいつの時代にも共通する要素を有するので、今に伝えられているのではないでしょうか。

 『守屋』によれば、‘The safety of the people is the supreme law’なるこの法格言を自著である『法格言集』に収めたのは『随想録』で知られるフランシス・ベーコン(1561-1626)であるようですし、モンテスキュー(1689-1725)がこれを採りあげて、『法の精神』においてこの法格言に言及しているようです。(『守屋』は、説明しないで、参照文献だけを挙げている。)

 さて、この法格言は、為政者あるいは裁判官といった法に(たずさ)わる人々の心構えにすぎないのでしょうか。それともある国家では、そのようなたんなる心構えを越えて、さらに立法や司法に携わる人々を具体的に動かしている例があるのでしょうか。たとえばある時代のある事件の判決等においてこの法格言を根拠に判決の核心となる法準則を導いている例があるのでしょうか。というのは、〈国家の安全が最高の法である〉という正反対ともいえる法格言が存在するからですが、まことに〈例外のない原則はない〉ですね。『守屋』によればアメリカ合衆国にある州で―この国は憲法は共通しますが、民・刑事の法制は各州毎に異なりますが、コネチカットとマサチュセッツの州裁判所判決において、この法格言に言及しているようです。

 イギリスは、権利請願(1628)、ピューリタン革命(1642-49)を経て、名誉革命(1688)によって事実上の人民主権を確立します。主権は、人民の総意を代表する庶民院ならびに貴族院と国王との三者の相互協力によって行使されることになります(このことを表現するのに〈議会における国王〉と言う)。その後も紆余(うよ)曲折はあったものの、庶民院を中心とするイギリス議会の主導の下に、事実上の人民主権の実をあげて、現在に至っています。そして、現在のイギリスは、国政の根幹を支える法制、つまり憲法に相当する基本的法制は比較的安定していますから、この法格言が政治史の表舞台で活躍する必要は、それほど強くは存在しないでしょう。しかし〈法は社会を写す(かがみ)〉でありますし、どのような社会もつねに変動していますから、国政の根幹を支える法制にもいつ重大な亀裂が生じるか判りません。法思想・政治思想の価値観の結晶ともいえるこのような法格言の出番が、いつまた来るかもしれません。

 我が国ではどうでしょうか。そもそも〈人民の安全が最高の法である〉といえる状態が確立されたことがあるでしょうか?
 

主要参考文献
 守屋善輝『英米法諺』1973年、日本比較法研究所。(『守屋』と引用・言及する)
 小山貞夫『英米法律語辞典』2011年、研究社。(『小山』と引用・言及する)
 これ以外のものは、必要に応じて言及する。
 なお、英米法格言と言いながら、ラテン語表記のものが多い。それらについては、『小山』「序」に掲げる英米法の辞典類を、またラテン語表記の法格言の日本語訳については『小山』の該当項目か、『守屋』法諺索引から原文の日本語訳をご覧下さい。

 

 松村君とお会いして略歴をお聞きしました。筆者略歴としてご紹介します。(HP委員記)
 1964年関西大学法学部卒業。同修士課程を経て、海技大学校に就職。外航船員の法学教育にあたるとともに、イギリス法制史を学ぶ。この間、神戸商船大学航海科、甲南大学及び同志社大学法学部などの非常勤講師を歴任する。2005年、海技大学校教授を退職。現在、関西大学法学部非常勤講師。
 著書『法と誠実』(1991)、『イギリス法史講話』(1995)、『法学講話』(2000)以上いずれも明石書店。『船員法講義』(1991)成山堂書店。他に訳書『中世イングランド王国の法と慣習 グランヴィル』(1993)明石書店。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です