12期の広場

12期の広場

平成25年3月市岡高等学校 豚汁会の報告

 3月3日、桃の節句の日に市岡高等学校の100周年記念同窓会館で恒例の「豚汁会」が正午から開催されました。武田博君からのお誘いで私は初めて参加しました。参会者は旧制中学校43期~高等学校10期までの方が12名、高等学校11期10名、12期7名、13期11名、吹奏学部OB・OGが16名、同窓会長の佐藤氏と事務局の方を含め約60名でした。

 12期は、川村浩一君、岸川常正君、酒井八郎君、塩野憲次君、武田 博君、張 志朗君と私の7人でした。高見君も参加しておられましたが13期のテーブルにおられました。

旧校門前でのなつかしい記念撮影です。

 今年度末の65期卒業生総数は、男子140名、女子180名ですが、平成25年度の入学予定者(68期)は、男子111名、女子209名だということです。「吹奏学部が有名なので女子の入学者数が多くなっているのか?」と佐藤同窓会長がおっしゃった後、「これでは市岡の野球部入部者が少なくなるのではないか」という心配もしておられました。

 卒業生で一番若い新進OGのご発声で乾杯、まずは「おでん」へ割りばしが進みました。テーブルには、おでん、お寿司、おにぎり、ファンタ、ジュース、お茶、ビール、焼酎、お酒と並んでいました。その後、アツアツの豚汁が運び込まれました。お寿司とおにぎり以外は、すべてお代わり自由でした。

 各テーブルでの歓談が進み、アルコールも適度に回ったところで、スピーチタイムになりました。はじめは、5期生である小椋先生でした。小椋先生は、卒業式に招待出席されるOB・OGの数が最近では50名を越えると話されながら、市岡に着任した当時、大阪市長など、市岡の著名な卒業生が高等学校を訪問されたときの車が立派で驚いた事や、新任教師としてもっぱらその車のドアを開く係のようなことをしていた事など、ユ-モアたっぷりに披露されました。

旧制中学の大先輩から高校58期まで
期を越えてのすばらしい 交歓です。

 次に、11期生の元阪神タイガース球団社長、高田さんのスピーチがありました。タイガース球団が去年低迷していたのはベテランと若手との交代の過渡期であったためであり、今年からは、上昇機運になると、タイガースファンにとって希望を持たせる内容でした。

 中等学校43期、高等学校1期の加藤さん(83歳?)は、当時学校の正門を入ると、「最敬礼をした」と言っておられました。戦時中で、学徒動員で此花区の住友伸銅にも通っていたとのことでした。

 高等学校13期の中務さんは、読売新聞社の写真部長をしておられたそうです。今でも、月1回、市岡写真クラブの会をしておられ、つい最近、年老いて身体が不自由になった方の写真クラブのお手伝いをボランティアではじめられたとのこと。

 高等学校3期の長谷川さん(80歳)は、戦後、男女共学になった初めの頃の方で、男女仲良しで、今でも、所属していたバレーボール部で年に2~3回食事会をしているとのこと。また、同期会は、卒業以来毎年実施していますということでした。

 スピーチのとりは、我が12期の酒井君と張君でした。12期生も卒業後25年にあたる、43歳の時から同期会をはじめ、60歳を迎えるまでは5年ごとに開催。50代で鬼籍に入る友が多くなり、還暦を迎えてからは、2年に1回実施していますと酒井君が説明。その後、パソコンのインターネットで「市岡12期の広場」を開設していることの説明を張君がして、スピーチタイムは終了しました。

 その後、58期の北口さんが吹奏学部のOBバンドの紹介をされました。18期から64期までの方が参加され、今年で、6年目を迎えたとのことでした。説明の後、吹奏学部OB・OGの方々による素晴らしい演奏がありました。

 演奏曲目は「栄冠は君に輝く」「UFO」「魅せられて」「シクラメンのかおり」「襟裳岬」と参会者の年齢に配慮した選曲でした。その後は前もって配付された歌詞用紙を手に演奏に合わせて、みんなで斉唱しました。「花になれ」「送別の歌」「校歌」の三曲を斉唱しました。送別の歌は初めて歌いましたが、歌いやすかったです。昔、先輩を送るときの歌であったとのことです。

見事な演奏で魅了する吹奏楽部OB・OGバンド

 演奏の指揮を取っていただいた方は、42期の赤澤さんでした。なかなか優しそうで、好感のもてる男性でした。来年の豚汁会では、市岡高等学校卒業生の信時 潔氏作曲の「海ゆかば」を演奏する予定ですと佐藤会長がおっしゃいました。

 以上、約2時間の「豚汁会」のご報告でした。

上野裕通 記
 

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