12期の広場

12期の広場

法格言にみるイギリス法の精神 2(下)

3組    松 村 勝二郎
 

     5 イギリス法の罪刑法定主義

 (1)判例法の成文化

 共通法による国内の統治をめざす、ヨーロッパ近代の主権国家は、近代自然法思想を()けて、その法制に罪刑法定主義(人権を保障するために―国家権力の横暴を防止するために、犯罪と刑罰を予め法律の明文によって定めておく主義)を採用する。こうして、ヨーロッパ各国は、罪刑法定主義を盛り込んだ刑法を定めるとともに、刑事訴訟法を整備する。イギリスはどうか。

 周知のように、イギリスは〈不文法国〉と呼ばれることがある。憲法、民法、刑法といった市民の法生活の基本法を法典化していないからである。しかし、個別立法は数多く行なわれている。これについて、エディンバラやエクセター大学の法律図書館における見聞をもとに、私はあるところで、およそ次のように記している。我が国の現行法令集は、条約を含めて、たて・よこ各2メートルぐらいの大きな本箱一つに収まる。イギリスの場合はどうだろうか。少なくとも、10倍のスペースが必要である、と。しかもこれとは別に、約1万冊の判例集が存在するのである。

 これには、大きく分けて、三つの理由がある。一つは、一国家に三個の法域が存在することである。イギリス、つまりこの場合は連合王国は、イングランド・ウェールズ、スコットランド及び北アイルランドの三個の法域に分けられる(略地図参照)。従って、マン島やチャネル諸島、ジブラルタルやバミューダなどの海外植民地・自治領を別にしても、三個の法域が存在していることである。もう一つは、法文の体裁の問題がある。そして三つ目に、イギリスは、不要になった法令をなかなか廃止しない(使用されぬままにおいておく)ことがある(これは、新旧法令の差し替えが行なわれないことを意味する)。これらの理由はなにに由来するのであろうか。

 その理由は、連合王国の形成が順次に行われていき(例.1707 イングランド・ウェールズとスコットランドが連合)、それぞれの法域の法制や裁判所判決を継承してきていることにある(一国内同一法を強制する我が国の法制とは、根本的に異なる)。イギリスの主権は議会にある(三権分立ではない)。それゆえに、議会は、基本的人権を無視する法律すら制定することができるが、しかし法の問題に関しては、裁判所の動向を十分に尊重している。議会は行政の監督に徹している。議会は、その主たる関心を行政のコントロールにおいている。その結果、イギリス議会の制定法には、まったくの新規立法は少ない。つまり、我が国のように、国民の法生活を動揺させる将来を予想した〈見込み立法〉は多くない。将来は、神ならぬ身には誰も予想できない。否、予想しても当たらない。我々にできるのは過去を生かして進むことである、と考えるからであろうか。ともかく、制定法の中心は、整理・修正は加えるが判例法の成文化である。これは、法の実質が従来と変わらないことを保障し、市民の法生活の安定をはかるものである。



 (2)個別法の大群

 (1)に述べたことを別の方向から眺めてみよう。たとえば〈家族法〉をとりあげてみる。我が国の家族法は、民法親族篇を中心に、その周囲に従たる法令が存在している。恰もそれは、大都市とその周辺の衛星都市群のごとき存在である。イギリスはと言えば、主従なく、ほぼ同列に幾つもの制定法が存在している。しかも、新たな重要判決がやがて成文化されるので、たえず追加新法が制定される。従って、制定法には常にその制定年を明記する慣わしである(例。盗罪法(1968)、盗罪法(1978))。また、個別立法は時々整理統合される(consolidated law)。

 このようなイギリスの制定法を表現するならば、それは基本法こそ法典化されていないが、〈(おびただ)しい個別法の大群〉とでも評することができよう。

 (3)盗罪法について

 刑事法は一国家又は法域の法と道徳の基準を表現する規範である。その一端を知るために、個別法の中からイギリスの盗罪法をとりあげてみる。盗罪法(1968)は、主として財産に対する犯罪に対処する盗罪の基本法である。盗罪法(1978)が追加されている。

 盗罪法(1968)は、総則部分と各則部分に分けられる。総則部分(1‐6条)では、盗罪に関する基本用語の説明などが行なわれる(たとえば、盗罪の対象となる〈財産〉は金銭、物的及び人的財産だけでなく、それ以外のすべての財産を含むと明記する(4条))。

 7条以下の各則部分は、広く盗罪あるいは窃盗なる観念に含まれる犯罪行為を各別に定めている。それらは窃盗・強盗・詐欺・恐喝・電気窃盗・盗品に関する犯罪にとどまらず、会計口座に関する犯罪行為や証拠となる文書の不正破壊、さらには会社役員の会社財産に対する不正な取得や会社財産に関する虚偽陳述にまで及んでいる。

 また盗罪法(1978)は、詐欺による役務の領得や欺罔(ぎもう)による責任の回避を、新たに盗罪に加えている。

 注目すべきことは、コモンロー、つまり判例法において従来行われてきた窃盗罪・強盗罪・夜盗罪等を廃止する、と定めていることである(33条)。それはイギリス刑法上、本法(1968)による〈コモンローから制定法へ〉の犯罪と刑罰の移行を宣言するものである。

 次に、〈法文〉の特徴について触れておこう。イギリス法史上、犯罪は〈重罪と軽罪〉に区別された。言い換えると贖罪(しょくざい)不能である極悪の犯罪とそれより程度の軽い犯罪とである。この区別は、犯人訴追手続にも及んでいて、重罪は正式起訴手続に進むべきであり、それは陪審裁判に付される。軽罪は略式起訴手続に、つまり陪審を経ずに、裁判官による審理で処理される(イギリスの略式起訴手続とは、我々が考える正式の裁判であるとも言える)。

 盗罪法(1968)7条は、次のように述べている。「盗罪を犯した人は、正式起訴による有罪判決にもとづき、7年を越えぬ期間の自由刑に処せられるべし。」

 盗罪法は、窃盗(盗罪)は正式起訴によるとその手続を明記した上で、陪審裁判によって有罪の判決が下されたなら、そこで初めて有罪とされて、7年を越えぬ期間の自由拘束刑に処せられる、と述べる。これを日本刑法の次の法文と読み比べていただきたい。

 「他人の財物を盗取した者は、窃盗の罪とし、十年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。」犯罪と刑罰だけに注目し、その審理手続という、被告にとってもっとも重要な問題が欠けていることがお判りいただけるであろう。我が国では刑法と刑事訴訟法を峻別し、法文もそうなっている。それゆえに、法を学んだ者でなければ、刑事訴訟法を想い浮かべないかもしれない。イギリス刑法は、まだ(あえて)訴訟手続と切断して完全に実体法化されてはいないが、しかし逆にそれを生かして、人権上の配慮から手続に注目しているのである。そのいずれが法の素人にとって親切であるか、言うまでもないであろう。

 

     6 〈犯意なければ、行為は罪とならず〉

 この法格言の英文は次のとおり。An act does not make one guilty, unless the mind is guilty.  (上記訳は、ラートブルフ著久保・林訳『イギリス法の精神』から採った。原文であるラテン文は次のとおり。Actus non reum, nisi mens sit rea.) 

 この法格言は古いものであろうが、しかし英法上の犯罪の成立に関して現在も生きている(現役の法格言として警察官や法曹にとって犯罪成否の中心観念とされている)。それゆえに、古くは法曹向けに構成されたものかもしれないが、今では広く市民に向けられたものであるといえる。注目すべきことは、犯罪の成立には、犯意と行為(結果)とが必要である、つまり、〈犯罪=犯意+行為〉であるが、行為に先行する〈犯意〉に専ら関心が集中されている。行為に先行する意思にこそ重点が置かれていることである。行為は、それに先行する意思に含まれている、とイギリスの人々は考えるのであろうか。〈犯罪において考慮されるのは、その結果ではなく、その意思である〉との法格言もあるし、さらには〈意思は、行為とみなされる〉とすら、法格言は述べるからである。

 殺人罪を考えてみる。殺人とは、人を殺すことである。英法上、犯罪となる殺人は、一般に、謀殺と故殺に分けられる。謀殺とは、計画的犯意を持って行なわれた殺人をいう。故殺とは、一時の激情によるなどの計画的犯意なしに行なわれる殺人をいう(つまり、我が国の故意による殺人をもう一段階分けているともいえる)。これに対して我が国の過失致死にほぼ相当する故意によらない殺人を過失故殺という。

 謀殺の成立要件は、〈殺害意思〉のある〈悪しき行為たる殺人〉である。しかし、殺害意思だけでなく、重大な身体傷害を負わせる意思も、殺害の結果を伴うと殺人の犯意に含まれることに注意すべきである。言い換えると、犯行中に結果として死亡するかもしれないという認識があり、かつ被害者が死亡する場合である。〈重大な傷害の犯意〉をもって〈殺人の犯意〉ありとみるのである。

 我が国の殺人罪の成立においても、厳密な殺人の故意だけでなく、その故意をもう少し広げて、未必の故意までを含むとする見解が有力である(少なくとも判例はそうである)。英法は、当初から〈刑事訴訟においては、一般的な故意があり、それに相応しい行為があれば、断罪に十分である〉という(『守屋』283)。

 このような〈犯意+行為=犯罪〉とする犯罪の観念と、上に述べた構成要件理論のそれとの比較は、慎重な考察を要求するであろう。しかし、〈犯意なければ、行為は罪とならず〉の法格言に代表される経験的・実践的な観念を中心とする、イギリス刑事法学の方が、一般市民の法感覚に親しみやすいことはいうまでもなかろう。

 

     7 教唆と共同謀議

 共犯と予備罪、つまり、二人以上で行なう犯罪とある犯罪を企てるが、その未遂にまでも至らぬものを独立の犯罪として処罰する予備罪とは、我が国でも昔から犯罪論の難問とされている。なぜならば、さまざまなパターンがあるので、〈犯罪の構成要件に該当する行為〉といえるかどうかという点で、犯罪とはなにかの限界が問われるからである。

 ベーカー氏は、既に見たように、「犯罪とは、罪深い行為であるから国王(国家)が刑罰を科して処罰するものである」と説いている。言葉を換えて言えば、構成要件にこだわらず、〈犯罪とは国家(支配権力)の許さぬ罪深い行為である〉と捉えている点において、極めて現実的かつ歴史的である。支配権力の権力関心という厳然たる事実から出発するからである。この点において、イギリスの犯罪論はきわめて簡単でありながら、それゆえにか、極めて強靭(きょうじん)である

 支配権力の許さぬこの罪深い行為を、犯意と行為との両方向から捉えつつ、しかも犯意こそがその中心にあると考えるのが、〈犯意なければ、行為は罪とならず〉という法格言であるとも言える。

 (1)教唆犯

 共犯とは、二人以上の人が協力して犯罪を行なうことである。協力にはさまざまのパターンがあるが、共犯でむつかしいのは、共犯者AとBとが異なる行為を意図している場合が考えられる。一例だけあげる。AがCを殺害する意図をもってBに毒薬を渡し、それを良薬と偽って是非Cに飲ませてやれとすすめたので、Bは良薬だと信じて飲ませたところCは死亡した場合である。

 さしあたり過失は考えないとすれば、Bは〈犯意〉がないので犯罪とはならないとしても、問題はAである。Aに考えられる「行為」は教唆(きょうさ)だけである。そうすると、このように真実の意図と偽りの表現とが異なる場合、Aは何罪に問われるのか。ここには詳述しないが、これが我が国の犯罪論の難問中の難問とされている。Aの殺害の故意とそれを知らぬBの飲ませる行為とで、Aを殺人罪に問えるか(正しくは、殺人罪の共犯(教唆犯)に問えるか)、である(その本質が構成要件理論にあることは明らかであるが、もし身近に法学生がいたら、是非一度質問してほしい。よくできる学生ほど、回答に窮するであろう)。

 イギリス法で教唆(incitement)とは、犯罪を犯すよう他の人を(そそのか)すことを言うが、注目すべきことは、もし犯罪が現実に実行されると、教唆者は犯罪事実以前に共犯者(accessory)になるとされていることである。ここでの〈事実〉はむしろ、犯罪結果をも含んでいると考えられるので、〈結果発生前に有罪とする〉と捉えるとこの点で、国家の権力関心が見事に表現されているとも言える。

 (2)共同謀議(conspiracy)

 予備罪とは、犯罪の実行着手に至るまでの準備段階を犯罪であるとみなすものである。ここでは予備罪の一つである、共同謀議(共謀)についてだけ考えてみる。英法では、犯罪を犯そうと共謀すること自体が犯罪である。共謀の内容・目的をなす行為とは別の犯罪として捉える。言い換えると、英法は行為の有無にかかわらず、共謀といういわば〈犯意〉だけの犯罪の成立を認めている。そしてそれは、〈犯意なければ、行為は罪とならず〉という法格言からみても、上述したベイカー氏のいう犯罪の意義からみても当然であって、構成要件理論のように行為と見ることができるかどうかといった事実にまったく拘泥していない。共同謀議とは、「二人またはそれ以上の人々の間における、ある人、共同体のある特定階級の人々、あるいは広く公衆一般に危害を加える目的で行なわれる謀議」をいう。それだけである

 

     8 結びに代えて

 社会の現実を、民事法では法律行為論、刑事法では犯罪構成要件論に代表される〈合理的体系的な法理論〉に即して考えていくというのが、近代的法典にもとづく合理的体系的な法学教育の本質である。しかし、その法思考において主客は転倒する。法は支配権力の権力関心の表現であるといった法の本質も、それを反映する社会の現実も、法律家が、その法理論に則して考え、その法理論にのせて構成することができないならば、存在しないにも等しいという原則が、この法学教育をうけた法律家を支配する(犯罪の構成要件を充足しなければ、現実の凶悪行為も存在しないものとみなすのである)。悪しき隣人たる〈よき法律家〉の誕生である。現実問題に対して法的判断を迫られて導き出された判決を中心とする裁判官の経験法学よりも、机上の書物から導かれる大学教授の法理論を大切にするのである。

 刑事法学において、犯罪の構成要件理論を放棄することは、現実問題としてむつかしかろう。しかし、それに過度に捉われぬようにすることはできる(犯罪とは、正常な判断力を有する人が意図的に(又は不注意で)違法行為を行い、それが犯罪と刑罰を定める法律の規定にあてはまる場合である、という私の犯罪の定義はその一例である)。〈法律解釈とは、判決の根拠とする法の正文を読み、その趣旨を明確にすることに尽きる〉ということに徹すれば、上に述べた刑事法の難問の多くが消失するのではないか。そしてその場合、私たちは法の本質である国家の〈権力関心〉に直面し、改めて、人間とはなにか=法とはなにかを考えるのではないか。

 英法は理論的ではないが、判決の結晶たる法格言に窺えるように、判決を通して経験的に法は権力関心の表現であることを(わきま)え、法をめぐる経験理性を()かして人権を考えているかに思われるが、いかがであろうか。

 

 3 イギリスの議会主権は、行政権の肥大を阻止し、その恣意的行動を監督するためのものである。〈行政による統治〉を抑えて〈裁判による統治〉を近代において実現しようとするものである。17世紀の憲法闘争期以来、法曹から議員になる人々が少なくないといった歴史的由来は別にして、民意を反映するには、議会による行・財政のコントロールこそが重要であり、名目上の法治主義を排し、〈法の支配〉を実現するために裁判所(司法部)はむしろ議会と一体となって行政部をコントロールしている、と私は考えている。それは、行政府に対して立法府の優越する支配である。議会を裁判所の延長とみると、行政に対して法の優位する支配である(弾劾裁判所の存在は、議会が裁判所であった名残を示している)。

 4 イギリスの家族法には、養子法、児童誘拐及び監護法、児童法、子の扶養法、家事及び婚姻事件法、家族関係改革法、受胎及び胚子選択法、婚姻法、婚姻生活のための住居法、婚姻女性の財産法などが、内容上の優劣はあるとしても、制定法としては殆ど同列に並んでいる。

 5 この点において、つまり、刑法は国家の権力関心の表現であるのに、それを直視せずに構成要件と言う抽象的概念に解消してしまうという点において、構成要件理論なるものが、ベッカリーア『犯罪と刑罰』に遡り、人権保障的見地から説かれているとされているけれども、構成要件理論なるものの、このひ弱さはどうだろうか。

 6 我が国でも、内乱罪、外患誘致罪、放火罪及び殺人罪などでは、その予備を予備罪として独立に処罰している。

 7 イギリス法史上、共同謀議は、よりよい賃金を要求する労働者たちの運動に対して悪用されたのが知られている。ベイカー氏はおよそこう述べている。中世以来、賃上げのために団結する労働者たちに対して、国王の制定法に反抗することを国王の平和=国家の法秩序を破壊する反逆罪の〈共同謀議〉とする訴追が行なわれてきたが、それは1740年代のストライキの波動の後にますます頻繁になった、と。

 
主要参考文献
 守屋善輝『英米法諺』1973年、日本比較法研究所。(『守屋』と引用・言及する)
 小山貞夫『英米法律語辞典』2011年、研究社。(『小山』と引用・言及する)
 これ以外のものは、必要に応じて言及する。
 なお、英米法格言と言いながら、ラテン語表記のものが多い。それらについては、『小山』「序」に掲げる英米法の辞典類を、またラテン語表記の法格言の日本語訳については『小山』の該当項目か、『守屋』法諺索引から原文の日本語訳をご覧下さい。

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