12期の広場
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2013年10月1日
法格言にみるイギリス法の精神 3 (下)
4 陪審問題あれこれ
(1)イギリスとアメリカ
陪審は、地方住民の中から無作為で選ばれ、宣誓したのち事件の審理に関与するか、刑事事件について正式起訴の決定をするか、する(前者を判決陪審ないし審理陪審、後者を起訴陪審という)。そしてこれらとは別に、不審な死者について裁判手続をするか否かを決定するコロナー(検屍官)の陪審がある。
陪審は、12世紀後半から13世紀にかけて、民事・刑事の双方において、〈事実を知る人々〉として、同じ地域の人々の証言が証明方法として採用されたのに始まる。盛んに行なわれるようになるにつれて、その役割も見直され、証明から審理に参加して〈事実問題〉を判定するという方向へ変化してきている(from proof to trial)。しかし、イギリスではマグナ・カルタ39条(1215)に由来するものであろうか、〈人はその同輩によって裁判されるべし〉との憲法的法原則を形の上だけでも維持することが徐々に困難になるとともに、陪審の付和雷同性や腐敗堕落も指摘され、時代が進むに連れて、イギリスでは徐々に利用の低下を示して、現在に至っている。すなわち、刑事起訴陪審は1933年に廃止され、起訴するかどうかの決定は治安判事裁判所の予備審問に委ねられた。また、刑事事件については正式起訴された事件だけに、陪審が行われ(それも一部は強制的に陪審へと進むが一部は被告の同意で陪審へと進む)、民事事件についても契約違反や不法行為を理由とする損害賠償事件で当事者が請求したものに限られている。
他方、アメリカ合衆国では、刑事の起訴陪審(大陪審)と判決陪審(小陪審)ともに、必ず行なわれるし、民事陪審も盛んに行われている。その法的根拠は憲法の規定によるものであるが、同時に、独立期の職業法曹の不均質が法曹不信を招き、〈素人の判断〉を重視した点もたしかにある、と私は考えている。
(2)陪審の短所
陪審はコモン・ローにおいて発達した訴訟手続である。重要な刑事事件と当事者が陪審に付すことを要求する一部の民事事件において、行なわれている。契約の特定履行や違法行為の差止命令を求める訴えなど、エクイティ法上の手続では行われない。以下では、重要な刑事事件を想定して考える。
さて、陪審には、訴訟の費用や時間といった訴訟経済上の問題、さらに、イギリスでは一般に陪審を選択すると刑の幅が広くなるという傾向がある(結果的に刑が重くなるという恐れがある。)。これに加えて、陪審の短所ないし弱点として、次のような点が指摘されている(指摘は、主としてウィリアムズ『イギリス刑事裁判の研究』学陽書房による)。
- 偶然に選任された集団である。
- 陪審は、法廷において証言・証拠を精査した経験がない。
- 法廷という環境と法廷で使用される言葉に慣れていない。
- 感情に流された判断をしやすい(弁護人の弁論や裁判官の意のままにコントロールされやすい)。
- 陪審は名誉ある仕事ではない。
- 経済的損失をもたらす(その損失は、僅かな陪審手当ではほとんど補償されない)
- 公判を長引かせる。等々である。
(3)陪審支持論
陪審を信頼し、陪審を熱烈に支持する見解は、有力弁護士・裁判官に以外に、否、圧倒的に多い。陪審は、提示された証言・証拠と裁判官の説示に基づいて真の評決を行っている、とみるのである。これは、かれらが陪審制の下における成功者であるからかもしれない。
陪審制には、一般に、次のような長所が指摘される。
- 善良な人々による神聖な評決が期待できる。
- 国民の司法への参加が可能になる。
- 老若男女さまざまな人々から構成されている(裁判官は、多くの場合、高齢男性である)。
- 裁判官の仕事が軽減される(裁判官はアンパイアの仕事に専念できる)。
以上において、陪審の長所と短所を通覧してみた。結果として言えることは、陪審の抱える問題とは、〈陪審は証言を含む証拠にもとづいて真の評決を行いうるのか〉である。特に、自分が裁判に付されたとき、〈その陪審に、自分の有罪・無罪の決定を託せるか〉である。近年、イギリスなどで問題になっている、少数民族出身の被告が多数民族からなる陪審の構成に異議を申立てる背景には、つねに、裁判の原点の問題―その陪審が、証拠のみにもとづいて判決を下しているか、の問題が存在するといえよう。
なお本稿では、紙面の関係で、陪審に適しない事件や専門参審員といった陪審に代わるか補助する法制については、言及しなかった。
5 陪審員からみた裁判員―まとめに代えて
以上に述べた陪審(あるいは陪審員)についての議論を要約し、我が国の裁判員と比較してみよう。
〈両法制の簡単な比較〉陪審員 | 裁判員 | |
a 無差別に選ばれた人々である | ○ | ○ |
b 個性のない人々である | ○ | ?(1) |
c その事件かぎりの決定を下す | ○ | ○ |
d 自分たちだけで別室で判定する | ○ | ×(2) |
e 判断の理由を決して語らない | ○ | ×(2) |
f 事実問題だけしか判定しない | ○ | ×(3) |
(1)イギリス(イングランド)の陪審員は、個性のない人々(無個性)である。全員が、名前ではなく番号で呼ばれる。陪審長(foreman)は陪審員の1番である。
裁判員はどうか。無個性であるはずであるが、新聞やテレビで見る限り、匿名を理由にインタビューを受けたり、ある事件の担当裁判員全員で記者会見などしたりして、意見を表明している。悪を見たことのない人々の集団であるとも言える。
(2)イギリス(イングランド)の陪審は、決して判断理由を語らない。それゆえに、往時において、神判、すなわち、自然神の判断にもたとえられた。神判なる証明方法の代わりに導入されたという歴史的理由もあろうが、判断理由を語らないことは素人の法的判断に相応しい。聞くところでは、我が裁判員に似た法制に、ドイツの参審員制があり、これは審理において職業裁判官と同席して共同して判決を下す。ただし、参審員はなりたい旨希望し、許された者だけが就任するという。言い換えると、参審員としての資格がある程度考えられているということであろう。
自分たちだけ別室で協議し、評決を下す陪審制は、市民の司法への参加と言う利点とともに、裁判官の負担を軽くする利点がある。陪審が有罪か否かを決定し、裁判官は、刑事事件では量刑の問題だけを考えればよいからである。
裁判員制は、これと大きく異なる。裁判官は、一方で法廷の秩序維持・事件の進展を考えつつ、他方で法に不慣れな裁判員を指導して判決へと導き、しかもともに量刑まで考えねばならない。裁判員裁判における裁判官は、まさにスーパーマンさながらの活躍を期待されているのである。精神病を発症しないよう祈るのみである。
(3)事実問題と法律問題を分けたことは、イギリス法の法の叡智を示すものである、と私は考えている。法律問題と称する枠組みをこしらえて、〈陪審は法律問題に答えず〉とばかりに陪審を閉め出したことにより、ある種の法律問題の、あるいは一回かぎりではなく後続事件に関係する法律判断の、決定を職業法曹にとり込むことは、一面では責任の自覚を促したでもあろうが、それとは別にもっと重要なことは、職業法曹、特に裁判官にとって法の理論的考察が深められるという側面があろうかと思う。どのような問題にも〈市民目線〉と称する素人の議論が侵入してくる可能性のある、裁判員制と冷静に比較されたい。
ベイカー氏は、中世陪審において確立したと思われる法格言〈裁判官は事実問題に答えず、陪審は法律問題に答えず〉を持する法制が〈イングランドの実定法[実体法と訴訟法]を念入りなものにするのに役立った〉、と述べている(『法制史第4版』76頁)。深く味わうべき一言である。
主要参考文献
守屋善輝『英米法諺』1973年、日本比較法研究所。(『守屋』と引用・言及する)
小山貞夫『英米法律語辞典』2011年、研究社。(『小山』と引用・言及する)
これ以外のものは、必要に応じて言及する。
なお、英米法格言と言いながら、ラテン語表記のものが多い。それらについては、『小山』「序」に掲げる英米法の辞典類を、またラテン語表記の法格言の日本語訳については『小山』の該当項目か、『守屋』法諺索引から原文の日本語訳をご覧下さい。
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