12期の広場

12期の広場

絆深き12期生よ 永遠に

7組 柏木(後藤) 赫子
 
 私が同窓会に参加したのは、卒業25周年に開催された初回(昭和60年―1985年)からです。級友達とはご無沙汰、音信不通でしたので、当日、心躍らせて会場(大阪東急イン)に向かいました。
 受付を済ませ会場に入場した時、“カッちゃん”と一人の男性が声をかけて下さいました。一瞬「?」と、眼鏡の奥で笑っている目を見て“張君”と思わず大きな声を上げていました。懐かしかったです!嬉しかったです!先生方、友人達との再会に興奮している私がいました。
 その後、同窓会の出席を重ねる毎に、忘却の彼方にあった記憶が順次脳裏に蘇り、紅一点で受けた授業(英語、数学)や合唱コンクールで指揮棒を振ったこと等は、掛け替えのない思い出になっています。
 
後列左が柏木さん。2018年同窓会にて
 卒業50周年には立派な記念文集が刊行されました。そして古希を迎えてホームページ「12期の広場」が開設され新たな交流の場が出来ました。
 今回、この原稿を書くにあたって、今一度、バックナンバーに目を通し、その膨大な数に只々驚いています。
 毎月1日の更新が楽しみとなり、かかさずパソコンを開いてきました。数ある寄稿文で私が興味をそそられたのは、8組八島平玐さんの「ヒマラヤトレッキング」と5組泉信也さんの「ブータン紀行」でした。それは私には行きたくても行けない秘境でワクワクして添付された美しい写真を見ながら、現地の空気、風、匂いを想像していました。
 12期の広場から、発見、刺激、元気、勇気を貰い、私の日々の生活の活力の源になっていました。良き仲間達と共に市岡に学べたことを幸せに思い、12期生を誇りに思います。広場の運営に携わって下さった編集委員の皆様のご尽力に心からの敬意と御礼を申し上げます。今後は簡素化して継続して下さるとのことで、こんな嬉しいことはありません。何卒宜しくお願いいたします。
 さて私自身ですが、3月上旬に傘寿を迎えます。よくぞここまで生かされて来たと感謝の思いです。両親達4人を見送り、趣味としていたお煎茶と一向に上達しない英会話を再開しました。お籠り生活の中で、ラジオ体操、テレビ体操、ラジオ英会話を聴くことを日課として今の自分を保っています。俳優、画家でもある榎木孝明さんの追っかけに東奔西走し、第二の青春、人生最良の絶好調時代と思っていましたが、コロナ禍で上京も出来ず体力の衰えも感じ、そろそろ卒業かなと思っています。「憎しコロナウイルス!!」です。
 12期生の皆々様、お元気でいてくださいネ

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