12期の広場

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現況報告 最近の思い出

6組 中柴 方通

①学士会館での東京市岡会(7月1日)
 4年ぶりの総会に参加した。学士会館での初めての総会であった。
出席者は59名でこれまでより減少していた。12期からは重松清弘さん、中柴が出席。
榎本進明さんも出席予定だったが、不参加だったので翌日メールを出したところ、予定表を見落とした、見落とすのは初めてとのことであった。私は、頻繁では無いが、何度も見落としをしている。
 会場の進行には工夫が見られ、新鮮な運営だった。事務局の勝田久仁子さん初め関係者の
東京神田・学士会館の玄関
皆さんのお陰でした。
工夫の1つが「市岡の思い出の名札」である。名札には、市岡の思い出の景色、先生、修学旅行先を書く。その名札は、初めての卒業生同士の交流を図るのに大いに役立った。
私は長期間、体調を崩していたので、当日(7月1日)は椅子に座っていることが多く思い出の名札を何度も落として事務局にお手数をお掛けした。




② 論文作成作業による体調不良
 13年ほど前に勤めていた企業を退職したが、その前から行っていたボランティア活動はその後も続けていた。
しろがね通りを挟む2敷地が再開発事業予定地
玉川上水沿いの、駅から東側の井の頭公園に至る“風の散歩道”(駅前デッキからの東側風景)
 
その1つが地元・三鷹市の駅前地区再開発事業でのしろがね通りの存続活動であった。2020年には存続することで一段落していた。その年に三鷹まちづくり総合研究所がまちづくり研究員制度を開設し研究員を募集した。連れ合いと私とで「なぜ市と周辺住民との間で再開発計画の理解にギャップが生じたのか」のテーマで研究員となった。
井の頭恩賜公園入口風景
 

 2022年10月に論文(中柴方通・中柴和子、2022、「なぜ市と周辺住民との間で再開発計画の理解にギャップが生じたのか-三鷹駅南口再開発基本計画(平成17年)しろがね通り通行機能をめぐって」『三鷹ネットワーク大学推進機構 三鷹まちづくり研究』(2(2):41-68)(注:三鷹ネットワーク大学推進機構⇒三鷹まちづくり総合研究所⇒まちづくり研究員事業⇒令和三年度論文集41—68)は発行された。
 中柴方通は体調不良で2023年の前半は一人での外出は控えた。 最近は、周辺の散歩は一人で歩いている。






 

第64回東京市岡会について

8組 榎本進明

 中柴君の記事の通り、筆者は、失念して欠席してしまいました。 中柴君には、体調がすぐれなかったのに、記事をお願いしてしまいました。そこで、筆者は責任を感じて、幹事さんに取材をして本文を書きました。

★新校長先生は33期の辻本利勝さんです。以下がお話の要旨です。
 3月に60才定年となり、再任用で着任しました。市岡卒業生の校長は初めてで、佐藤同窓会長から「120年待っていた」と言われて感激しました。
 高1のとき、小椋先生の生物の授業で、先生が実に楽しく授業を進められて、それに感銘を受けて、自分も全く同じ道を進むことになりました。

★13期大野副会長のお話
 東京市岡会は2019年に設立60周年を迎えました。その後コロナの影響で休会。今年4年振りの開催です。その間、34名の会員が亡くなりました。
 全員で黙祷が捧げられました。

★佐藤市岡高校同窓会長(今回ご欠席)よりのご伝言。
 2年前の創立120周年事業に支援いただいたことのお礼と、今年卒業した鎌戸凪咲(かまどなぎさ)さんが東京芸術大学に入学されたこと。彼女はフルート奏者で、第76回全日本学生音楽コンクール高校の部で入選されたことが紹介されました。

★小椋先生(今回ごご欠席)よりの伝言。
 東京市岡だよりに投稿された記事「自分自身の誕生」を読んでいただいたお礼。要旨は担任や上級生の影響で、ご自身の生涯が決まったことが書かれています。

★事務局より、「送別の歌」の説明がありました。
 明治39年3月旧制中学1期生の卒業式の時に初めて歌われ、それ以来現在に至るまで、歌い継がれています。

★野球部監督・52期野口さん、此花市岡会・19期大山さんにもご参加いただきました。

★以下3点の写真が、事務局より提供がありました。
 
前列中央白シャツが33期辻本利勝校長。その右が20期梅本光明東京市岡会会長
 
 
14期稲森さん(左)、33期辻本校長
 
24期井原副会長(左)、26期勝田さん

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