12期の広場

12期の広場

五月の風とバラと

7組         児嶋雄二


 遠ざかってゆく年月の様々なことが朧に薄らぎつつあるが、心に深く刻まれ永く記憶に残っているものもある。三十年ぐらい前にテレビの放映で観た映画『カサブランカ』もその一つで、今もその映像と音声が記憶の中から自ずと立ち上がってくる。

 この映画では、主人公リックに仮託してダンディズムの極致とも言うべき男の理想像が語られている。現実の世界では、人々はただひたすらに日々の平穏を願いながら自らの日常生活を送っているが、リックのような男のロマンと気概に充ちた生き方への憧れを心の奥底に秘めて生きている。だから、この映画を観る時、主人公リックの生き様に共感し、酔い痴れるのだろう。

 主人公リックを演じているのは紙巻タバコを指で摘んで吸い、口の中で転がせるようなリズムで話すハードボイルド・スターのハンフリー・ボガート。ボガートのイメージを基に主人公リックのキャラクターが造型され、ストーリーも創られているとさえ思える程にボガートがタフで陰翳のある魅力的な人物像を完璧に演じきっている。

 とは言ってもヒーローだけでは物語が成り立たない。ヒロインが必要である。共演したイルザ役のイングリッド・バーグマンはこの映画の製作時には未だ二十代後半であったが、清麗としか言いようのない美しさに加え、清新な演技でこの映画をさらに魅力的にしていた。当時は、テレビの面像もデジタル・ハイビジョンではないし、映画自体が第二次世界大戦中に製作されているためモノクローム映像であったが、大きく見開いた瞳、優雅な鼻立ち、魅力的な唇、それらが優美な顔の輪郭に調和した端正な容貌、加えて気品と知的な雰囲気に魅了された。特に、ラストシーンで二人が別れてゆく場面でうっすらと涙を浮かベたバーグマンの表情は忘れられない。

 

 これからは年齡を重ねるごとに否応なく身体が衰えてゆくに違いない。そうであるからこそ、残りの人生を心豊かに送りたい。そのために、何に、どのような楽しみを見出すか、また、それをどのように求めてゆくか、ということが大事になるだろう。そうした考えもあって、六十五歳ですベての仕事から退いて十分時間に余裕を持てるようになったので、花をもっと楽しみたいと思うようになった。

 それまでは、ツツジ、さつき、椿、山茶花、紅梅、ハナミズキ等、花を咲かせるものであってもそれ程世話を要しない樹が私の庭に植わっていたのである。

 害虫の駆除、水、肥料を切らさない等、世話に多くの手間暇を要するため、それまでは手が出せなかったバラを庭の一隅に植えてその華やかな美しさを楽しむことにした。

 意外と思われるかもしれないが、実はずっと前からバラが好きだった。唯、それまではバラの世話する時間が持てなかったのである。その代わり伊丹市北端の荒牧にあるバラ公園、須磨離宮公園のバラ園にはしばしば訪れていた。

 そういうことで、もしバラを植えるならこういったバラを植えたいと思っていたもののリストが頭の中に自然に出来上がっていた。


我が家の花壇

 そう思い立った年の早春の一日、それらを買い求めるため宝塚市山本の<あいあいパーク>に出向いた。オーク材と白い漆喰でできた英国チューダー様式風の瀟洒な二階建て建物に囲まれた中庭にあるグリーンショップが目当てで、その店はバラ苗の品揃えが豊富なことで知られている。

 最もバラらしいバラは、やはり花びらの先が尖った真紅の大輪ということで、ハイブリット・ティ種の「カーディナル」、「ブルグント’81」等予定していたバラをほぼ求めることができた。(一部のバラは後にネッ卜で買い求めた)。ショップを出ようとしたところ、バラの新苗(春苗)を並べたコーナ一があった。多くの種類の新苗が並べられている中で一つの苗に目が留まった。赤い花を咲かせるという他は分からないまま、唯その名前に惹かれて買ってしまった。その苗に付けられた札には「イングリッド バーグマン」と記されていたのである。


 その年の春を迎え、庭の数種類の椿が順次花を咲かせている頃、植えたバラ苗も既に若葉の間に小さな蕾を付けていた。五月になると、膨らみを加えた蕾が内部に蓄えたエネルギーを費やしながら急ぎ慌てずに徐々に綻び始めてゆき、色鮮やかな瑞々しい花を次々と咲かせた。

 最初に花を開かせたのは、ピンク色の「ラ フランス」で、花びらの裏が表より濃いため、花びらが反り返って上品なピンクの濃淡のグラデーションを見せる。また葉が照葉でなく薄い緑色をしていることもあって可憐でエレガントで、香りも強い。

 次に蕾が開いた時から澄んだ純粋な黄色が鮮やかな「フリージア」。その次に咲いた「マーガレットメリル」は、遠目にはやわらかい白色だが、近づいて見ると花の中心部がうすいサーモンピンクで、外に向かって淡くなってゆき、周辺部は限りなく白に近い仄かな色をしていて繊細で優美な風情を漂わせる。上品な香りもまた良い。

 燃えるような真紅の花色の「カーディナル」はいわゆる剣弁高芯咲きと呼ばれる、花びらの先が尖り花の中心部がキュッと巻いて高くなっている美しい形で、質感もべルべットのようで、花びらがやや丸みを帯びたより濃い赤色の「ブルグント’81」と華やかさを競い合っているかのようだ。

 濃いクリームイエローの花の形が見事なほど整っていて美しい姿の剣弁高芯咲きの「光華」。同じ剣弁高芯咲きで淡い美しいピンク色の花を付けた「ロイヤル ハイネス」は完璧なまでに整った咲き姿である。花の中心部は、やさしい上品なピンクの花びらが重なり、周辺部は、淡いソフトピンクの中に一滴のベージュを溶かしたような色の花びらである。花びら全体が何とも高貴な姿と色合いを見せる。まさにその名の通りの気品に満ち華やかで優美な趣を漂わせるバラで、私の最もお気に入りである。

 これらのバラが咲き誇っている中にあって、「イングリッド バーグマン」だけは新苗で植えたため蕾さえ付けていなかったが、その年の六月末になってまるで駆け込むかのようにやっと二輪の花を咲かせた。

 世界バラ会連合の「バラの殿堂」入りしているぐらいだからこの濃い赤色の花には華やいだ美しさがあったが、イメージしていたものと違っていたのでやや気落ちした。いわゆる半剣弁と言われる花びらの反り返りがゆるく、やや丸みを帯びた花びらであるため女優バーグマンが漂わせる端正、気品、優美さをそれほど感じなかったためであろう。また、バラの花言葉では、赤い花は<情熱的>、<熱烈な恋>を表すのであるが、<気品>、<上品>を意味しない。因みにそれを表現するのはピンクである。そういった花色のイメージも加わって、このバラの花にバーグマンの面影を重ね合わすことができず、花の名に少し裏切られたのかなと思ったのである。

 夏場を迎え酷暑が続いた頃、この「イングリッド バーグマン」の榭を枯らしてしまった。決して粗雑に扱ったわけではないが、私がバーグマンに抱いていたイメージとの違いにやや気落ちした面があったため水遣り等の世話に欠けるところがあったのかも知れない。


 ところが最近になって、バーグマンに関わって信じ難い事実を知った。ハリウッドデビューしてから十年ぐらい後に、バーグマンが夫と子供まである家庭を振り捨て、既婚者のイタリア人映画監督の元に奔り、このスキャンダルがもとで追われるようにしてハリウッドを去った、というもので、それを知り愕然とした。(数年後にハリウッドに復帰、私が十代の頃公開されて観た『アナスタシア(邦題『追想』)』を始めとする映画に出演するようになるが・・・・・・)。バーグマンの実像は奔放なまでに激しく情熱的な女性だった、ということになる。

 これまでバーグマンは清麗で気高く知性に溢れた人物だと思ってきたが、それは煙のように儚く消え果る幻影だったのだろうか。そうであるならば、バーグマンの情熱的で奔放なイメージの故に、燃えるような真紅のバラを作り出したデンマークの種苗家がそのバラに「イングリッド バーグマン」と命名したことになる。

 戸惑いと空虚とが微妙に綯い交じった複雑な気分になった。それと同時に、たわいない感傷のせいかも知れないが、若干心寂しい思いにもとらわれた。

 ゆっくりと息を吐いて気持ちを鎮めた後、愛蔵している『カサブランカ』のDVDを取り出してきて改めて観たところ、画面上のバーグマンは間違いなく気品と知性に溢れ、清々しく煌き輝いていた。少なくとも『カサブランカ』の時代の頃まではそうであったに違いない、と信じることができた。『カサブランカ』が最も好きな映画だということもあって、私にとってはその頃のバーグマンだけがイングリッド・バーグマンであり続けているのだ。だからそれで十分であった。

 また、バラの命名のことについても調べてみたところ、実在の人物の名前が付けられている場合、花の姿とか色など風姿がその人物のイメージに相応しいという理由で命名されているとは限らないのである。例えば、ライラック紫の美しい大輪咲きのバラに「シャルル ドゥゴール」、濃赤色の大輪のバラに「ミスター リンカーン」、鮮やかな黄色のシャクヤクのようなバラに「トウールーズ ロートレック」等のように、その人物の容貌•イメージとは全く関係なしに、作出された国(地方)に関係の深い有名人の名前が付けられた例が数多くある。

 あのバラの名前について今一度思い巡らせてみた。この華やかなバラがデンマークで作り出されたのは、スウェーデン生まれのバーグマンが亡くなった僅か二年後のことではないか。また、両国の問は極く狭い海峡に隔てられているに過ぎない。さらには過去にはデンマークがスウェーデンを統治したという歴史もある。そういったことによる親近感の故に、このバラに今は亡き隣国生まれの名女優の名が付けられたのであって、本人のイメージに因んで命名された訳ではないだろう。

 このように思い至ると、群がり立つ雲が吹き払われて一点の翳もなく晴れ渡った私の心にあの清らかに澄んだ気高いイングリッド・バーグマンが帰ってきた。


 今年も近くの山々が麓から次々と鮮やかな新緑に変わってゆき、ホトトギスの鳴き声も聞かれる季節を迎えた。青々と澄み切った空の下、庭には爽やかな五月の微風と光とにきらめく赤、白、ピンク、黄色のバラの花々が明るい緑の生垣に映えて美しい。


「ロイヤルハイネス」

 それぞれのバラの花ごとに趣があるが、ひときわ高貴で典雅な淡いピンクの花を咲かせている「ロイヤル ハイネス」にますます惹かれるようになった。高雅で清冽なイングリッド・バーグマンの面影を今ではこの花の咲き姿に見出すようになったためだろうか。

 この季節には、水遣りはほぼ毎日欠かせないし、肥料も適宜与えなければならない。また、剪定とか整枝も必要だし、黒点病やうどん粉病予防のための薬剤散布や、バラの葉の表、裏につく小さな緑色のアブラムシをブラシで丹念に払い落としたり霧吹きに牛乳を入れてアブラムシに吹き付けて駆除しなければならない。

 こうして庭のバラを眺め、その世話に変わらず精を出していると、清々しく心地よい風が胸の裡にしみとおり、心の中にやわらかく溶け込んでゆく。この心を安らがせる何物にも替え難い時間が、日々の生活の潤いとなり癒しも与えてくれているのだろう。また、時には生きる喜びさえも与えられている、と言うのも決してオーバーではない気がする。

 その後には、やはり花のような甘い香りと芳醇な味と深いコクがあるモカ・マタリということで、自分で豆を挽きコーヒーメーカーで淹れたコーヒーを寛いだ気分で楽しむ。「酒とバラの日々(Days of wine and roses)」ならぬ「コーヒーとバラの日々」を快い五月の風とともに満喫する。そして、晚春の一日がようやく夕べに傾くとワインの栓を開けるのである。

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