12期の広場

12期の広場

圓尾君の講演会に行ってきました。

 11月24日午後2時から此花歴史研究会の例会として圓尾博一君の「女性画家—島成園(しませいえん)を知っていますか」と題した講演会がありました。
     
 会場は此花区民ホール3階会議室。講演会は、研究会会員はじめ一般参加者、市岡の同窓生で大盛況。参加者数を聞きもらしましたが大きな会議室ほぼ一杯でした。同窓生は口コミで、酒井八郎(4組)、末廣訂(8組)、松田修蔵(6組)、上野裕通(7組)、張志朗(7組)の各君と北浦昌子(2組)さん、段中文子(5組)さんの7名、ほかに此花区酉島在住の濱崎洋子(1組)
(凛とした島成園写真)
さんが来ておられたようでしたが合流できませんでした。
 講演会はたいそう雰囲気が良く、興味津々、集中した2時間があっと言う間でした。
 講演は「島成園を知っていますか」との問いかけから始まりました。ほとんどの参加者は知らなかったようです。講演の流れは①「島成園の紹介」②「上村松園について」➂「黒髪二題–松園(39歳)の『焔』と、成園(24歳)の『おんな』」④「大正デモクラシ-の女性活動家」⑤「成園の自画像」⑥「アフガニスタンの女性の今」の順序でわかり易く進められました。
 たくさんの話がありましたが、呆けぎみの筆者にはすべては頭に入りません。配布された資料(A4—13枚の労作です)に基づいて印象深いことがらを以下に書きます。
 島成園は堺市の生まれ。13歳で大阪の島之内に転居しています。父と兄は共に『町絵師』、幼い頃から絵に親しむ環境にあったようです。大正元年(1912年)19歳で『6回文展』に『宗右衛門町の夕』を出展して初入選。一躍注目をあびています。以降関西の女流画家としての画業を重ね『三都の三園』の一人と呼ばれるようになります。『三園』とは同時代に活躍した大阪の島成園、京都の上村松園、東京の池田蕉園の三人を指すのですが、池田蕉園は早世。『序の舞』の上村松園は後に『文化勲章』を授与されています。時は大正デモクラシ—の時代、島の生き方とその画業はそれとからみあったものであったようです。「日韓併合」「大逆事件」「世界大戦」と揺れ動く社会情勢の中で、与謝野晶子、平塚らいてふ、山川しずえ、菅野スガ、伊藤のぶえ、市川房枝など、家父長制と男尊女卑による不平等、良妻賢母であることだけが強いられるなど、これにあらがう女性活動家が活躍しました。特に成園は堺生まれの歌人・与謝野晶子への敬慕の想いが強かったようです。「私の模範とする方はあの方・・・その見識ありすべてに通じ、その神髄をよく穿たれるに感服の外ありません」との言葉が残っています。講演で全文紹介された晶子の歌–『君死にしたまふこと勿れ』が、昨今の状況とも重なり、胸に響きました。「黒髪二題」として上村松園の『焔』(大正7年)と島成園の『おんな』(大正6年原題は『黒髪のほこり』)が紹介されました。双方とも画幅いっぱいに「黒髪」が描かれています。『焔』は能の「葵の上」の六条御息所の生霊、『おんな』は鶴屋南北の「東海道四谷怪談のお岩」になぞらえたところは、画伯である圓尾君の深読み、興味深く聞き入りました。さらに島成園についての話がありました。資料に『わかき先駆者』とあり、如何に大阪をはじめ関西の女流画壇に影響を与えたかをうかがわせています。
 成園は大正7年に『無題』として、左目にあざを持つ女性像を発表しています。この作品は結婚前のもので、左目の痣と『無題』とした題名など、恋愛や結婚などについて根拠のない誹謗中傷に苦しめられたこともあったそうです。この絵から圓尾君は清元の名曲『かさね』を連想し、四世鶴屋南北作の「法懸松成田利剣」(けさかけまつなりたりけん)にふれました。
(左) 「無題」(大正7年) (右) 「自画像」(大正13年) 
 また『自画像』についてはその背景の役者絵からでしょうか、「与話情浮名横櫛」(よわなさけうきなのよこぐし)の「源氏店」(げんやだな)まで飛びます。この作品は結婚後の大正13年に発表されたものです。生活につかれた女を演出し、髪を乱し目のまわりの隈を強調して描いているとあり、心身ともに疲弊した自身の姿を第三者的に突き放してとらえているともあります。たしかに時代と封建的家族制、女性差別などに翻弄されながらも自嘲するかの如くまでの自省と強い自我を感じさせてくれます。圓尾君は「この自画像は『源氏店』のお富ではないか」と笑いながら言いましたが、不勉強の筆者としてはその思いまでには至りませんでした。
 最後にアフガニスタンのタリバン支配下での女性の自由、権利の現状について触れられました。39歳の時、バーミヤンの石仏遺跡を見るためにアフガニスタンに行かれたそうです。
 講演は予定通りきっちり二時間。論旨明瞭で、分かり易く、興味深くかつ有意義なもので、参加された同窓生の感想は一致して好評で楽しかったとのことです。
    
 講演会終了後、同窓生7人だけで会食しました。一寸した手違いで当日の主人公である圓尾君はお誘いできなかったのが返す返すもの心残りです。
(記: 張 志朗)
 
 追記:紙幅の関係で成園の作品数を絞りました。またそれらも「資料」からのスキャンで不鮮明であることをお詫びいたします。是非、インターネットなどで検索、ご鑑賞ください。

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