12期の広場

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松下幸之助翁生誕120年と創業の碑建立10周年を記念して

8組  末廣 訂


 今年平成26年は福島区と大変ゆかりの深い松下幸之助翁(明治二十七年十一月生まれ)の生誕120年の記念すべき年である。そして大開公園に創業の記念碑建立から十年の年月が流れた。当時松下電器OBの一人として記念碑の建立にお手伝い出来、記念碑建立のいきさつやエピソードを歴史研究会30周年記念誌に書いたが、改めて当時を振り返ってみたいと思う。

 松下電器を定年退職した平成13年の秋に福島区役所が主催する生涯学習講座で当会の前事務局長の井形正寿氏を講師として「大開と松下幸之助の跡地」を見学する会に参加した。創業の家や第一次、第二次本店工場等の説明があり、松下電器OBでありながら知らないことが多く、目から鱗が落ちた思いをした。

 創業の大正時代の初め、大開地区は井路川や池を埋め立て、新開地として開発が進み、家や工場が建ち、各方面から人が集まってきて、変化が激しい時代であった。

 記念碑の除幕式に参列された幸之助翁長女の幸子さんが「このあたりはすっかり変わってしまって、昔の面影がありません」と参列者を前に話しておられたのが印象に残っている。

 大開公園に記念碑建立を機に、翁の足跡や跡地を訪ね、当時の大開地域を写真に収めて、かなりの量の資料になっている。また新聞社や放送局に協力してもらい取材活動もした。 

 毎日新聞では5回にわたりシリーズ「幸之助を語る、創業の地・大開で」と題し5名のゆかりのある方に取材し、同行した。

 5人の方は「十一会の子孫」「松下家の植木屋」「翁の愛息を献身的に看病した医師の子孫」また「幸之助翁がよく買いに行ったタバコ屋の娘さん」等で直接お聞きして深い感銘を受けた。その中で幸之助翁が松下の本社を門真に移転して数年後、大開を訪問した時 に、幸之助翁は「わしも2億円の借金ができたわ」という話があり、慌てて松下の株を売ったが、その後松下株が上昇。後で幸之助翁の言いたかったのは「大きな借金ができるほど会社が大きくなった」という事だとわかり皆が驚いた等々エピソードが聞けた。

 また記念碑建立の場所が大開公園に決まるまでの苦労話がある。大阪市は公的な場所で「公人」ではなく「私人」の記念碑は困る、ましてや民間の会社の記念碑は言わずもがなであった。幸之助翁は大開時代に区会議員に当選、その後の公職歴をみても公人の役割をされたことは明白である。また上福島公園にある「洋菓子ヒロタ」の記念碑やその他の事例を示したが結論が出なかった。そして思いついたのが大開小学校50周年記念誌の末尾についていた幸之助翁の詩文「道」を他の大阪市文学碑と同様の扱いとする提案を出し、やっと建立の許可が下りた。

 碑は平成16年11月27日翁の生誕110年の日に除幕式を行った。その後も大開公園を中心にして「ふじ祭り」や「ぜんざいパーティ」等地元の行事として続けられている。

 記念碑の建立までに皆で何度も話し合った旧福島区役所地下の会議室が懐かしい。

 また表面に出ない立場で応援・支援をしてくれたのが当時の松下電器本社である。ほぼ当初から部長職2名が実行委員会のメンバーに入って終始難問を解決してくれた。また記念碑の寄付が始まると本社から部課長職に声をかけ、5000名を超える現役の方から浄財をいただいたことを決して忘れてはならない。

 今年は生誕120年をどのように表したらよいのか福島区歴史研究会でいろいろ話をして、記念の講演会を開催する、と同時に福島図書館では地元大開の展示会を開くことに決定した。

 この記念講演会の講師が元松下電器社長の谷井昭雄氏に決まるのには偶然があった。

 谷井氏は学校法人「関西大倉」の理事長をされており、当会の太田会長とは学校の理事会で時々同席するので「ダメモト」でお願いしたところ、快く引き受けていただいた。講演会では幸之助翁と直接の上司、部下としての裏話が聴けるものと楽しみである。

 話によると谷井氏は個人的に学校と何の関係がなかったが、関西大倉の前身であった「関西商工」に幸之助翁が通ったことがあり、理事長を引受けられたと聞き、大変興味深い話だと思った。

 また11月15日の記念講演会では下福島中学校のブラスバンド演奏や講演後、大開幼稚園児の花束贈呈が予定されている。


HP委員からの追記:
 11月15日 午後2時から『松下幸之助翁生誕120周年記念講演会』(福島区歴史研究会・福島図書館・福島区役所の主催)が福島区民大ホールで開かれました。(冒頭の写真)
 参加者は福島区在住の近隣の皆さんはじめ、区域外の人を含めて、400名。会場はほぼ満席で立ち見がでる盛況ぶりでした。ご存知の通り、福島区歴史研究会は古代史から近代にいたるまでの福島区関連の歴史の顕彰と再発掘をテーマに、その実績も30年におよぶ歴史を持っています。またそのメンバーに生物担当であった小椋先生、同期の末廣、武田両君、そのほかにも先輩、後輩の市岡の卒業生諸氏が参加しており、母校の市岡高校とゆかりが深い研究会です。(末廣君は事務局長です。)
 講演会では現パナソニック特別顧問の谷井昭雄氏(松下電器産業4代目社長)が『師に学び人と街を愛する経営の心』と題して約1時間、講演されました。
 講演は谷井氏が、この地-福島区大開で松下電器産業を創業した松下幸之助翁との出会い、その想い出を中心に、翁の人となり、経営理念を紹介する意義深いものでした。参加者の中には熱心にメモをとる姿があちこちで見られ、講演後の質疑応答も若い人から質疑がでるなど関心の高さを示しての大盛会でした。


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