12期の広場

12期の広場

『リレー投稿』  - つれづれに -  ①

何か月ぶりに大阪市内にでかけ用事を済ませた後、時間があったので大阪駅周辺をぶらついてみた。いつもは大阪駅から地下鉄や私鉄に乗り換えることがほとんどで、自然と地下通路を利用するのだが、この日は晴れで暑さも一段落の夕方、地上に出てJR大阪駅の南側(阪神百貨店側)の歩道を歩くことにした。

旧大阪駅北口のグランフロントとヨドバシカメラ

大阪駅の北側は、昨年完成したグランフロントのビル群の商業施設で大阪一のにぎわいと言われている。もともとそこは大阪駅北口とよばれていた場所で、市バスの発着所や旧国鉄貨物の基地、ビルと言えば、大阪鉄道管理局とその職員宿舎だけの印象の「駅の裏口」だった所だ。
高校時代、梅田に行くと、帰りはもっぱらここから自宅までバスだった。社会人になって大阪を離れていた時の帰省時もここからのバス利用。雨降る夜、バスを待つ間の暗がりと自動車のヘッドライトの光の帯が何故か、強く記憶に残っている。JR大阪駅のホームを覆う長大スパンの大屋根に象徴される大阪ステーションシティとあいまって今の変わり様は驚くばかりで、往時の面影は全くない。
それに比べると駅の南側はいくつかの記憶をよびさましてくれる場所が残っている。阪急 東通り商店街(歌声喫茶や名曲喫茶の「モコ」や「田園」、お好み焼きの「起世」などがあった所)やお初天神通り、戦後のやみ市のなごりが長く残っていた阪神百貨店周辺なども思い出深い場所である。集客力で言うと新開発の北側に押されているようで、人の流れや賑わいも昔のそれではないようである。

お初天神通りのアーケード
古い話であるが、旧大阪駅の南正面に木造2階建ての「旭屋書店」があってしばしば通ったものである。高校時代はここで主に参考書を、社会人になってからは文庫本や仕事に関連した専門書などを買った。培風館の「数Ⅲ精義」(岩切精二 著)を学友に薦められて買って帰り、それだけで賢くなった気分になったのもここ。二十歳すぎの悩み多き時期に「人間のしるし」(モルガン)を求めて行ったが探せず、やむを得ず同年輩の女子店員に聞いた所、「宗教書ですか?」と言われて慌てた事もここ。よほどにやせ細って暗い顔つきをしていたのだろう。
木造2階建てから御堂筋に面したビルに店舗移転したあともたびたび通った。阪急梅田駅に「紀伊国屋書店」ができ、その後「ジュンク堂」など大規模書店が次々にできたのだが、本の探しやすさから言えば、御堂筋の「旭屋書店」は、ほどよい規模であったと今でも思っている。事実、「紀伊国屋書店」で探せなかった本が「旭屋書店」で簡単にみつかった経験が一度や二度ではない。
その店が閉店、ビルが壊されて工事中であったのは知っていたが、新ビルが完成、オープンしていたのには一寸驚いた。軽快な外装材を使ったガラスと鉄の近代的なビルではあるが、印象は御堂筋や大阪駅の北側に最近出来た商業ビルと同じ感じ。仮に商業地という与条件への最適解は一つとすると高さや外観などが良く似たものになるのかもしれないが、効率や商業主義の合理だけが今風かと思うと心寒い。当然の如く「旭屋書店」はなくなっており、その代わりに1階正面玄関横の一等地にコンビニエンスストアーが入っていて奇妙なほどに堂々とした風情である。
ビルの向かいが阪神百貨店である。見渡してみると改築なった阪急百貨店は天を衝く超

正面が阪急百貨店、右側がヒルトンホテルで、木造2階建ての「旭屋書店」があったところ
高層ビルで、高層建築物であつたはずの阪神百貨店がいやに低く見える。そのせいなのか、大阪駅前のランドマークの一つであるこの建物も建て替え工事が始まっているようだ。(これと関連して、戦後からある、地下道への階段横の串カツの立ち飲み屋が閉鎖され、あの独特のにおいが今はもうない。)
時とともに街は変わる、人も変わるのは当たり前なのだが、来て見て、会って見ての変わり方には、情けないほど狼狽えるばかり。
この日も仕事関係の友人と会う為に大阪市内にでてきたのだが、会食のあてがはずれた。そのわけが友人の体調不良である。つい2か月前、二人で大いに飲み、食べ、歌ったのだが、一寸した風邪から気管支炎になり、今、飲酒にドクターストップがかかっているという。お酒が生きがいのような友人は酷い落ち込みようで、並みはずれたダンディさと若々しさが消し飛んで、年相応の老人然とした風貌である。
「友は鏡」、友人の姿はとりもなおさず我がことなのであろう。
『人は覚悟と心映え』とどこかで読んだのだが、歳月とともに変わりゆく街や人、さらにそれがもっとも切実な我が身をおいて、「そは如何に」と問われているようで、何とも落ち着かないのである。
(井の蛙)

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