26期

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【高26期】“26期3年6組還暦記念同窓会” 開催のお知らせ

来る、5月24日日曜日午後4時より、天神橋筋商店街の天神ポルポにて、26期3年6組還暦記念同窓会を開催いたします。
我々26期生、今年で還暦を迎えます。一昨年より毎年同窓会を開催し、旧友と親交を深めています。
担任の染川先生にも毎回お越しいただいています。
 

“【高26期】“26期3年6組還暦記念同窓会” 開催のお知らせ” への2件のフィードバック

  1. 吉田 茂一 says:

    3年1組「もいち」です。お久しぶりです。5年前の先生の喜寿?米寿?お祝い「染川会」に参加して、懐かしい顔もあり、ハタマタ記憶が飛んでって誰かわからないこともあり、それから、先生より「生と死」をこれから迎えるのが自分だったとは思いませんでした。当時特発性右大腿骨頭壊死症の手術直後でまともには歩行できませんでした。が、それから神経ブロック無しでは生活できない、外出もできなくなり、やがて、自己免疫抗体が全身の新駅を破壊して立ち上げれない、お茶は吐く、呼吸困難、という病気になりました。1億人に1000人の発病率で収容された住友病院は都会のど真ん中だがどこにも行けない別世界で待ち受けているのは霊安室でした。何人か見送り諦めかけていましたが、痛くてもどうしても生きたい、その一心でオシメが外れずとも、電動車いすにろうとも、入浴や着替えが介護必要でも、独居で自立目標でヘルパー介護で、掃除・洗濯・シーツ交換家事全般委ねて、デイサービスで脳梗塞や人工関節で歩行障害や様々な患者に混じり、絶対上げ膳据え膳の世界から脱出すると念じておりました。その甲斐あってか、途中人工関節再手術もして、ようやく車椅子生活から解放され、今では井手とこで購入した三輪車でコンビニ言ったり、通院したりしています。しかし、2月にインフルエンザで40℃、それが治ったかと思うと3月中旬に40℃。未だに微熱・発熱で咳き込み、肺が痛みます。かつての全身新駅が破壊された時も呼吸がくるしかったけれど、今回も同様でした。最終的には大学病院で、難病の肺炎、抗生剤は効きません、最終的には呼吸困難で死亡、定期的に検査していきましょうということでした。最近、俳優が昨日まで元気にしていて直接の死因が肺炎と報道されるたびに継ぎは自分かと落ち込んだりしています。私は、3年では所謂全ての価値を否定する尾崎豊のよおうな反抗不登校組で、金子や阿保やらと群れていましたが、職員室で学校新聞「澪標」を自費出版して先生から批判を受けた事が懐かしく思い出されます。職員室には出席簿の欠席や遅刻の印を堂々と消しに行ったものです。染川先生や白井(英語)?や小野先生とかよく意見が対立したようですが、かばってくれたのは一番チャランポランと思っていた加藤先生でした。後に小野先生とは北野高校に赴任なさった時にお会いして蟠りが解けましたが、白井(英語)?先生はNHKの放送を拝聴してから会えてません。数学の加藤先生から3年終業式も終わり27日か28日か職員室に来いと電話があり、「各先生方は単位が不足しているが卒業はさせたいというより迷惑だからと言っている、どうや、卒業するか」といつも盗み飲みしていた一升瓶を机の上に置いて、湯飲み茶わんで苦い酒を酌み交わしたのが、青春の思い出です。当時の卒業アルバムは所在不明です。本当に青い生徒でした。中庭の澪標のあった池とウシガエルの声が未だに夢に出てきます。現在は同期としては、野球部の港高校教師・顧問している河合や同期同窓会世話人の桂、竹井太、染川会世話人の井出とは音信があるが、誰が何組かまではわかりません。恐らく、音頭取りするのは6組の連中に集中しているのでしょう。良かったら私も末席で加えていただけないでしょうか。では、同期会6組世話人様へ。失礼します。

  2. 吉田 茂一 says:

    「もいち」と人は言います。公安刑事までも。しかしあと20年すれば認知度は無くなるでしょう。80までの20年、長いようで高校時代から短かった事を思えばすぐに来ます。お互い達者で、施設に入っても楽しく暮らしていきましょう。失礼します。

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